古椿4 そして、そのばかたれな兄貴はというと

 そのばかたれな兄貴は、田んぼの中の十字路をまっすぐ進んでいた。田んぼが切れると、その先は森が続き、その向こうに大きな町がある。

 杏子あんず色の空がいっそう深くなってきた。黒く長い影が、誘鬼の行く先に伸びている。じきに日も暮れる。

「日が短くなったな」

 誘鬼は西に沈む夕日を振り返った。秋の日はつるべ落とし。このまま進めば、森へ入る頃に日が沈む。道が通っているとはいえ、夜の森はなかなかに危険だ。日が暮れてから森の中を行く旅人もないではないが、よほどの事情でもない限り、わざわざ視界も道も悪い夜の森を歩く物好きはそう多くはない。常識ある人間であれば、この時刻から森を越えようなどとは考えない。

 さてどうするか。日を改めて出直す、というのは、三日に一度家出をしている誘鬼の行動としては、ある意味日常茶飯事ではあるが、さすがに選択肢には入れなかった。森を通っても田んぼの中を歩いても、結局のところ、外で夜を明かすことには変わりない。何より、今日のところはここを進むと決めたのだ。そのようなわけで誘鬼は足取りも軽く、森へと続く道に歩を進めていったのだった。


 森の中ほどまで来た頃。日もとっぷり暮れ、頭上の木々の葉が時おりさやさやと音を鳴らす。風があるらしい。田畑の中では風を遮るものがなく、野宿となった場合に寒い思いをすることになっただろう。森の中でもさほど変わりはないだろうが。

 リリリリ。

 リリ、リ。

 秋の虫の音が、わきの下草の中から聞こえる。

 ひところほどの勢いはなく、静かなその音はどことなくはかなげだ。

 火狩の炎が、大気の流れにゆらりとゆれる。その赤い炎に、木の枝葉に張られた蜘蛛の糸が、控えめにきらりと光った。

 その一瞬の光に、誘鬼は子供の頃の出来事を思い出す。鬼ごっこだったか探検だったか、家出ではなかったと思うがとにかく藪の中を歩き回っていて、女郎蜘蛛じょろうぐもの巣に頭から突っ込み、それは気持ち悪い思いをしたのだ。顔や髪についた太い糸をそっと引きはがしていくときの、ぱちぱちという音と感触を思い出し、誘鬼は顔をしかめる。あの地味に弾力があって粘着質で、割に丈夫だがすぐに切れてしまう扱いにくさには、本当にまいった。

 それ以来、やぶの中や狭い路地裏を行く時は、多少気をつけて頭が通る周辺を手でいでから進むようにしているが、やはり数回に一度は蜘蛛の巣にかかってしまう。ほぼ百パーセントの確率で、頭から。しかし、たぶん顔の何倍も多く足元などにも引っかかっているけれど、まったく気づいていないだけかもしれない。せっかく張った巣を、不作法にばりんばりんと引き破られて、蜘蛛からしてみればかなり迷惑なことだろう。

 もう少し進んだ先で、今日のところは休もうと、火狩の照らす足元に視線を送った。初めて通る森ではない。この先に作業小屋があって、旅人などが休むことも可能ではある。それもちらりと脳裏をかすめ、誘鬼はこのルートを選択したのだった。

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