古椿2 家出の理由
誘鬼が家出をするのは、大抵が父親とのいさかいの後である。
誘鬼の家、
というのが、先代までの主な役割だった。誘鬼の両親が婚姻したと同時に、先代が早々に隠居を決め込んでから、状況が変わった。
変わったといっても、家督争いだとか、新当主の一族に対する恐怖政治が始まっただの、反対に分家が力をもって骨肉の争いが云々とか、そのような血なまぐさいことがあったわけではない。地域をまとめる長老が、なにかと顔も広くフットワークも軽い拝家に、地域の取りまとめも任せることにしたのだ。なまじ特殊な力のある家が、一般の地域社会の長になるということは、どう見ても剣呑だろうと思えるのだが、異議を唱える拝の人間の他には、特に反対意見もなく、あっさりと拝家の隠居が長老に充てられた。ただ一人最後まで反対の声を上げていた拝の当主である勇が、ここいら一帯の征服だとか国家転覆を図るとか、人々を傀儡のように操るだとか、そんなことを企てたらどうするつもりだと問うと、長老にそんな物騒ことを考えているのかと逆に問われ、あげく痛くもない腹を探られまくり、反対するのに疲れ、ヤケっぱちで云と言ったのだった。
そして、しばらくは大人しく長老の座に就いていた先代の隠居であったが、それも数年で退任し、悠々自適な生活を送ったのち、静かに目を落とした。
そのようなわけで、現在の誘鬼の家の家業は、先祖代々の本来の家業に加えて、町内会長のような仕事まで行っている状況であった。
誘鬼は決して家業が嫌いというわけではない。父親とのいさかいで家を飛び出すことがままあるが、家族仲は特別に悪いというわけではない。それでも誘鬼は家業のことで父親と言い争って家出する。
誘鬼の父親の勇は、本家の血を継いでいるわけではなかった。勇は先代の側近であったが、もとは役所の人間であった。勇の仕事ぶりを気に入った先代が、大根の収穫ばりに勇を引き抜いて自分の秘書としたのだった。その後、先代の娘である
勇は細かい性格で、祭りやまじないごとの記録を、それは細かく書き記していた。例えば祭りを行った期日に天候から潮の満ち引き、祭壇の幅や供物の種類なども、毎回のように記している。図による記録も少なからずある。加えて役所勤めをしていた経験を大いに役立たせ、役所に出すための書類にはわずかな誤りもない。物事をしっかり理解したうえでの作業であるから、間違いなどないに等しい。理解しているから弁もたつ。前職でもずいぶんと有能な事務屋であったわけで、そのへんを気に入った先代は勇を側に置いていた。華多菜は、事務処理は好きではない。先代もどちらかといえば苦手な方であった。血によるものなのだろう、誘鬼も弟の
ついでにいえば、地域の長老が拝家に長老の座を押し付けたのも、長の座にいては逃れられない雑務から逃れたい一心からであった。何かといっちゃ複雑な事務手続きが面倒で、毎度のこと勇に代筆を頼んでいたのだが、ある時それをするくらいなら、いっそのこと拝家が長老になれば仕事も早かろうと、元長老は名案を思い付いたのだった。そして実際、拝家が長老の仕事も兼務したことにより、地域の者にも役所の者に対しても、言うべきことはきっちり言うし、書類の不備は皆無で迅速、役所からも感謝されることとなったのである。
口論の原因はこの辺にある。実戦的な仕事も大事だが、それを記録することも後世のためにおいて大切なことである云々。人様に宛てた書類の不備や誤りなどもってのほか、読みやすい字でしっかりハッキリ書きなさい等々。机に向かってする仕事を適当にやっては、結局あとで面倒をするのだから、はじめから誤りのないように、しっかりキッチリ云々などと、畳に正座してくどくど説教されるのである。わからないではないが、事あるごとに毎回毎回、長々長々と説教される身にしてみれば、たまったものではない。勇としては、自分がいなくなった後のことを考えて言っているのであるが、そう簡単に親の心を理解する子供などいるものではない。
「いーかげんにしろ、クソ親父!」
切れたのは足のしびれだけではなかった。我慢の限界を超えた誘鬼がそう怒鳴って、けつまずきながら部屋を飛び出したのは、家出のほんの十五分ほど前の出来事だった。
いつものことではあるが、誘鬼はチッと舌を鳴らした。しかしこれもまた、いつものことであった。
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