古椿1 誘鬼、家出する

「ちいっくしょう、出てってやる!」

 威勢のいい怒鳴り声とともに、勢いよく妻戸を開け放つ音が、のどかな秋の昼下がりの空に響いた。

 栗色の髪の少年は、家人の仕掛けたトラップをことごとくクリアし、あっという間に垣根を飛び越えていってしまった。そのまま足を緩めることなく全速力で道を駆け抜けていく。「ちいっくしょう」という言葉とは反するように、少年、誘鬼ゆうきの口元には微笑を見て取ることができた。ただ、微笑と表現するには少しばかり品がなさすぎるが、悪意を感じるものではない。せいぜいいたずらっ子が何かいたずらを思いついたときのような笑みである。

 傾きはじめた太陽を背に、集落の外れまできたところで、誘鬼はようやく歩調を緩めた。長い影が誘鬼の行く先に伸びている。集落を抜けると田畑が広がる。水田の稲は黄金色の穂を垂れて、夕日を浴びて一層光り輝いて見えた。空には背を赤く染めた蜻蛉とんぼが飛び交い、一日一日秋が深まっていくのを感じる。

 誘鬼は稲穂に手を伸ばすと一房つまみ、手首を返して引いた。プツリと小さな音をたてて摘み取った穂を、誘鬼は目を伏せてそっと頭上に掲げた。摘み取った穂先を見て、我が家の稲もいい出来だ、などと思うのだった。

「さて、と」

 穂先を髪に挿し、誘鬼は来た道を振り返る。追ってくる者のないことを一応確認し、こぶしを握った両腕を天に突き上げて大きく伸びをした。

「どっちに行こうかな」

 誘鬼はこの先にある十字路をどちらに進むか考えていた。前回は左側の道を選んだ。その前は右だった気がする。とすると、今度は久しぶりにまっすぐ行ってみるか。夕方の田んぼ道をのんびり歩きながら、誘鬼はそのように決めた。

 前回、前々回に続き、今回も誘鬼は家を飛び出した。俗に家出ともいうだろうが、大声で「家出」を宣言して堂々と出て行き、いずれは戻るので厳密にいえば家出とは言い難い。しかも家出も一度や二度ではない。ついでに言えば、初めての家出は誘鬼が五歳の時だった。こんな調子なので、家を拠点にあちこち放浪しているといった方がいいかもしれない。母親に言わせれば「単なる家出馬鹿」の一言である。

 誘鬼はひとえに袴姿という、隣のみよちゃんの家に回覧板を持っていくような身軽な格好である。それより重装備に見えるのは、腰に差した太刀と袈裟かけに背負った風呂敷包みがあるところだろう。それでもそのままどこか遠出をするような出で立ちには見えない。今回に限らず、大抵このような軽装備で家出を決行する。いつともなく家を飛び出すと計画を立てているので、突発であっても誘鬼にしてみれば「家出」を「決行」すると表現するのである。

 もともと誘鬼は外に出るのが好きなたちだった。行き先を告げて真っ当に出掛けることもあれば、行き先は告げずとも、堂々と家出を宣言して家を飛び出すこともある。

 今回は正真正銘の家出である。本人がそう言っているので否定しようがない。


 


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