第2話 缶飲料論

高校生の時、ほぼ毎日のように部室に顔を出す、

大学生(のはず)のOBの先輩がいた。


それこそ、俺たち後輩が授業中の間に部室に来ていて、

部室においてあった後輩の弁当を勝手に食べてしまったり、

買い込んできたスナックやらジュースやらを食べ散らかし、

常にほぼ同じ服装で、髪もボサボサ、

およそ「素敵なかっこいい先輩」からは、

もっとも離れたポジションにいた人だったが、

とても人懐っこい性格だったので、決定的に嫌われる人ではなかった。


この先輩が、ある日、買い込んできた缶飲料を開けながら、

ふと言ったあの言葉が、俺は今でも忘れられない。


「このヨー、缶ジュースの口をつける場所ってヨー、

 本当はものすごく、汚かったりすんじゃねぇの?」

「どこで、誰が触ったかもわかんねぇし、どういう扱いされて、

 自販機の中とか、店の冷蔵庫とかに入れられたかも、

 わかんねぇじゃん。」


え、先輩がそれを気にするのか?

いや、しかし、それ以上に、「確かにその通りだ!」

と思った俺がいた。

極端な話、非常に汚い手で触られたかもしれないのに、

その缶のフチに、俺はいままで何の疑問も抱かずに、

ダイレクトで口をつけて中身を飲んでいたのだ。


「いやぁ、ほんとに、そうっすね。

 じゃぁ、先輩は、いつも拭いたり、洗ったりしてから、

 缶ジュースを飲むんですか?」

「いや。汚くても、俺、気になんないし。」

「さすがっすね、先輩」


じゃぁ、何故、そんな話をしたのかは、今も謎だが、

この事は、俺に同時に二つの気づきを与えた。



①他人の手を経てきたものに直接口を触れるのは、

 常に汚染の可能性を考慮して、気を付ける必要がある。

②一方で、いちいち気にしなくても、大事には至らず、

 俺も(先輩も)元気にしている。



この、「確かに存在する危険性への気づき」と、

「それでも、気を付ける事を自らに課さない感情」の同時性は、つまり、

「缶ジュースを飲みたい」という欲求が、

「危険を避けなければならない」という気持ちを凌駕しているという事なのか。


似たような事象は、その後の人生であまた経験することにもなる。

「着替えを持っていないのに、ノリで海に飛び込む」とか、

「すごく厳しくて怖い父親がいる彼女への告白」とか、

「本当は予定の7割しかできてないのに、納期を宣言する」とか。



缶飲料を見るたびに、俺は、この不思議な人間のさがを思うのだ。


「論」とは言いながらも、

俺は誰にも強制もしないし、共感も求めないし、反論も受け付けない。

ここにあるのは、

「俺だけが信じている正論」

である。



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