第3話 自己評価論

子供の頃、昆虫図鑑が好きだった。

ボロボロになるまで図鑑を見て、色々な虫を覚えた。

何故、虫が好きだったのか、覚えてはいないが、

たぶん、カタチが怪獣みたいで、

「かっこいい」とか、思っていたんだと思う。


全ての子供が自然に持っている「未知のモノへの好奇心」に従い、

俺は、端的に「虫」が「なんだか、かっこいい」と思って、

図鑑を見ていただけだ。(たぶん)


なのに周りの大人は、勝手に、

「この子は、図鑑を見て調べるのが好きなんだ」と

勉強する行為や姿勢に興味を持ってるかのように判断する。

言葉では「徳ちゃんは、虫が大好きなのよねぇ」等と言いいながら、

「ゴマダラアゲハ」とか「ルリボシカミキリ」とか、

普通の大人が聞いたことのないの虫の名前をいくつか覚えただけで、

「ウチの子は頭がいいに違いない」的な思い込みをするのだ。


ここから、望まぬ洗脳が始まる。

「あなたは、やればできる子」「頑張って勉強なさい」

のような、直接的な教育方針もあれば、

「おまえの好きな事をやればいいぞ」「できることを頑張ればいいんだ」

のような、何かを「やる」事を刷り込むパターンもある。


親も含めた自分以外の人々の期待、

いつまにか自分の中で作り上げられた理想の将来像、

そういったものと、現実とのギャップにさらされて、

なんだかとても胸の痛い気持ちになってしまう事が

俺にもあった。


もちろん、

そのプレッシャーを糧にすることができる人もいるだろう。

でも、俺にはできなった。

できなかったけれども、そんな俺が、こうして今に至るのは、

(確かに、社会人として大成はできなかったが)

こんなことを、自分に言い聞かることを実践したからだ。




①世の中の大半の人は、自分よりも優秀なのだ。

 自分のポジションが、ある程度上の方にあると思うから、

 できない自分に嫌気がさして、屈辱を感じ、

 周りからのプレッシャーや言動に、恐怖を感じるのだ。

 所詮、俺は、「できない人」で「たいしたことないヤツ」なのだから、

 自分としてやれる範囲の事さえ、やればいいのだ。

②仮にこのヤマを越えられなくて、最悪の事態になっても、

 死ぬことは無い。

 


だからと言って、

全ての事を適当に流せるほど、俺は自堕落でもなかったので、

「良い加減」な努力はしてきたようには思っている。


「論」とは言いながらも、

俺は誰にも強制もしないし、共感も求めないし、反論も受け付けない。

ここにあるのは、

「俺だけが信じている正論」

である。

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