第7話 妄想論

全ての生物が、

「自身の命の存続としゅの保存のための活動」を、

一番重要なこととして生きている事には異論はない。


ひとも究極的には同じだ。


仕事をするのは、食べ物を取得し、自身の命を保つためだ。

健康を気遣い、病気をすれば直そうとするのも、自身の延命のためだ。

遊んだり、休養したりするのだって、結局は健全な状態を保ち、

より長く生きるためだ。


恋愛をし、家庭を持つのは、人というしゅの保存のためだ。

ただ、より良いしゅが保存されることを最重要と考えると、

必ずしも全ての人間が結婚し、子供を産み、育てることが正しいわけではない。

物理的、生物的な面だけではなく、精神的、文化的な面も含めて、

種として進化するためには、

様々な生活様式やバリエーションが必要であるからだ。


しかしながら、

「自身の命の存続と種の保存のための活動」であれば、

全ての行いが容認されるのかと言えば、俺は違うと考える。

「人」は、他者を認識し、社会性を持つ生物だからだ。


他者に迷惑をかけるようなことは極力行うべきではないし、

そのような可能性の有無に関して、常に想像力を働かせながら、

生活すべきだと思う。


が、逆に言えば、

自分ができうる範囲で十分に想像力を働かせた結果、

他者に迷惑がかかる可能性が十分に低いのであれば、

どれほど自己中心的でも良いのではないか、とも思う。


例えば「」だ。

自分の頭の中だけで、何をどの様に妄想しようが、

その内容を口外せず、行動にも出さず、記録にも残さなければ、

どれほど自己中心的な事を考えようと、

他者に迷惑をかけることは無い。


ここで俺の「妄想」内容の一例を挙げようと思ったが、

人に話さないからこその「妄想」なのだから、

そこは、その、ご容赦いただきたい。

ある意味、それほどの「妄想」が俺の中にあるという事だ。


しかも「妄想」は、

「空想」や「希望」から始まりながらも、

「検討」や「考察」を経て、

実現の可能性のある「夢」や「構想」へと、

つながっていくことが、まま、ある。

最初は、自己中心的な考えからでも、だ。


初めての妄想から、数十年。

俺は、今でもこれを実践している。


①どれほど自己中心的な考えだろうと、いつでも妄想はする。

 ※但し、気持ち悪くなるようなモノは例外とする。

②妄想の時点では、決して口外しない。

 他者にとっても有意義な構想に至ってから話をする。


結果、俺はこの歳になっても

「常識のある一般的な考えの人」という評価を得ている。(と、思う。)

同時に、「つまらないヤツ」という評価も得ているかもしれない。

実はかなり「あぶないヤツ」であるにもかかわらず、だ。



「論」とは言いながらも、

俺は誰にも強制もしないし、共感も求めないし、反論も受け付けない。

ここにあるのは、

「俺だけが信じている正論」

である。








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徳之助の論 徳之助 @tokunosuke

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