#7 愚痴を呑み込む夜の酒

 今日も遅くなった。

 我が家へと向かう夜道を歩きながら、つい仕事中のことを思い出して自己嫌悪にかられる俺だった。

 部下につまらない叱言を吐いて、

「社会人としてなってない」

 などと、抽象的なダメ出しをした俺。そういう明確な根拠もない文句のつけ方って誰よりも俺自身が一番嫌いなはずなのに、ささいな凡ミスを繰り返す部下の頭悪さにイラッとしてつい口から出てしまったのだ。

 誰だって得手不得手えてふえてはある。俺の価値観でケチをつける筋合いじゃないのに。

 ミスした部下じゃなくて自分に対して腹が立って仕方ない俺だった。


 マイホーム、すっかり消灯されてひっそり。

 キッチンの電気をつけて、おもむろに冷蔵庫から缶ビールを出してぷしゅっと開栓する俺。

 変に気が疲れたから、食事は簡単にしよう。

 ゴミ箱には嫁が晩メシにしたらしいコンビニのカルボナーラ容器が突っ込んであった。うむ、麺でいこう。


 冷凍うどんがあるから、これを茹でてネギと大葉を刻んでぶっかけうどん。

 さっさと風呂入って寝よう。いつまでクヨクヨ思いわずらっても仕方ない。

 しかし、うどんだけではちょっと寂しい。

 ネギを多めに刻みすぎた気がするので、こいつを混ぜ込んでだし巻き玉子でも添えるか。


 玉子ふたつ割って、酒とめんつゆを適量。ネギぱっぱ。

 うどん用の湯を沸かしている間に、ささっとフライパンでだし巻きを作り上げる。

 無心に卵液を焼き重ねていると、憂さを忘れていく。

 せっかくのだし巻き玉子だ。ビールから日本酒に切り替えて晩酌といくか。


 ご大層な銘柄の日本酒を常備しているわけではない。卵液にも使った安いパック酒をコップに注ぎ、うどん用の鍋に突っ込みかんを付ける。

 旨くない安酒でも燗を付ければ多少マシってもんだ。

 酒を温めているところへ冷凍うどんを放り込み、解凍。なんとも雑な調理風景である。


 茹であがったうどんを水でシメて、薬味とめんつゆを注ぐ。洗う皿が増えるのは面倒だから、だし巻き玉子もうどんの上にポイと乗っけて出来上がり。

 リビングのテーブルには、嫁がインスタントコーヒーでも飲んだらしいカップが置きっぱになっていた。

 やれやれ。だらしない奴。

 こういうのって仕事中の俺だったらガチギレしてそうな要素なのだが、家にいるときは不思議と穏やかにやり過ごせる。オンとオフとで二重人格なのか俺。

 ちゅるちゅると冷たいうどんをたぐり、ホットな玉子と酒を味わう。満足。


 洗い物を済ませ、シャワーを浴びる。

 湯冷めしないうちにベッドへ転がり込むのがベストなのだが、明日の朝用にちょっとだけ準備がしておきたくて、キッチンに舞い戻る。



 だし用昆布を軽く水洗いして、鍋に浸しておく。ついでに煮干しも。

 ひと晩水に漬けておき、朝になってから軽く火を入れれば濃厚なだしが出来上がる。これで味噌汁を作ろうって算段である。

 煮干しは、頭とはらわた部分をむしり取る。残しておいたからって、そこまでひどくエグ味が出るわけでもないが、いつもこうしている。癖みたいなもんである。

 むしった頭とはらわたは、捨てちゃ勿体ないからその場で食う。これがなかなかどうしてオツなツマミになる。もう1本缶ビールを開けて飲みながら、ちまちまと仕込み作業だ。


 朝から鍋で米を炊こうとすると、浸水も見込んで相当な早起きをしなければならない。なのでここは文明の利器に頼って炊飯器予約だ。米をといでセット。

 なんだかんだでさっさと寝られない。

 ひと通り終えて、まだ残っているビールをちびり、ちびり。


 冷蔵庫の唸る音だけが響く、夜の台所。

 そうだ、俺、こういうひとときが一番大事で生きてんだ。

 なぜともなく、そんな気持ちが湧いてきた。


 忙しい思いして、仕事のために生活の時間削って、神経もすり減らしている日々、

 なんか逆だよな。

 生活のために仕事してるはずなのに。

 なんで仕事のことで過度にイライラしなくちゃいけねえんだろ。



「ん……むむぅ」

 半睡状態に近い嫁がキッチンに入ってきた。物音で起こしちまったのだろうか。

 嫁はおぼつかない足取りで冷蔵庫の前までたどり着き、中からビールを出した。

「ぷはぁー!」

 ひと息に350ml缶半分くらい飲んで、至福の表情を浮かべる嫁。

「……お前、喉乾いて起き出したとか?」

「うにゃぁ……?」

 寝ぼけてやがる。

「言っとくけどビールは水分補給になんねえぞ。後からまたトイレに起きるハメになるからな」

「うん……うん、布団から貞子だよぉ」

「寝言で返すな! つーか、どんな夢見てんの!?」

 あと布団から現れんのは伽椰子!

 困ったちゃん度が起きてるとき比4割増しくらいの嫁だ。

 ビールの後に水を飲ませ、ついでに一緒に歯磨きもして、再びベッドまで送ってやった。


 頭を撫でてやると、嬉しそうに身じろぎして、また眠りの底へ落ち込んでいく嫁だった。

 窓から差し込む月明かりが、嫁の寝顔を照らし出す。

 眺めている俺もまぶたが重くなる。


 明日は、部下にも穏やかな接し方がしてやれそうな気がした。

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