第96話
私は壁に背をつけて、野犬に追い込まれたネズミのように震えた。
しかし、彼女の怒りはみるみる内に落ち着いていき……というよりは、無理やり押さえ込むようにして収まっていった。
「……まあよい。どうせそんなことだろうと思っておった」
サンドラさんはなにやら懐から包みを取り出し、そっぽを向いてその小さな箱を差し出してきた。
「拙者が代わりに用意したプレゼントだ。これを美雪殿に渡せばよい」
「え……」
サンドラさんが選んだプレゼントってこと? 手のひらに箱が置かれる。この小さな包み……この重さ……この包装……。
ん? けっこう普通じゃん? サンドラさんのことだから奇抜なの出してくると思ったけど、どうやらアクセサリーっぽいし。
「でも、これってサンドラさんが美雪さんに用意したものじゃないんですか……?」
私が手ぶらでくることを予想して、わざわざ買ったのならともかく……自分が渡す予定だったプレゼントを譲ってくれるってことなのかな……?
「サンドラさんが美雪さんのために用意したプレゼントなら、直接渡した方が……私は後日用意しますんで」
「いや、頼まれてくれぬか」
私の言葉を遮り、彼女は視線を下げた。
「拙者は一介の執事。執事ごときがこの特別な日に献上品を送るなど、身分をわきまえぬ愚鈍な行為。そのような真似はできん」
「え……それくらい、いいじゃないですか。昔はよく一緒に遊んでたんですよね?」
「身分の差というものが、拙者と美雪殿の間に深く刻まれておる。それは今も昔も変わらん。幼い頃はそれが見えていなかっただけだ。しかし年を重ねるごとにはっきり見えるようになり、今では重厚な壁のように間を隔てている」
そういうものなんだろうか。私にはよく分からないけど、金持ちってそういうとこ大変なのかな……。子供の頃は友達で、一緒に遊んだ思い出があっても、その思い出に蓋をした上に、新しい関係を築いていくしかないのかな。
「なんか……寂しいですね」
思わずこぼれた言葉だった。率直に感じたことだった。でも言ってはいけないことのような気がして、「あ、いや」と慌てて口ごもる。でも、サンドラさんは落ち着いた声で言った。
「けれどこの身分の壁が、拙者と美雪殿を繋いでいるでござる。壁さえ隔てていれば、そばに居られる。寂しくなどない」
そう言って彼女は微笑んだけれど、その笑顔はちょっと寂しげだった。私はなんとも言えず、手のひらの箱へ視線を落とした。
「お待たせしました」
戻ってきた美雪さんは、紙袋を手に下げていた。
「さ、早く渡すでござる」
サンドラさんが耳打ちをする。私は半ばせっつかれるように、サンドラさんに渡された小さな箱を差し出した。
「み、美雪さん、これ……メリークリスマス」
自分がこのプレゼントを渡していいものか、私は気まずさに顔を伏せる。美雪さんがどんな顔をしているのか見えなかったけど、少しして、彼女の長く細い指が、丁寧に箱をつまんだのが見えた。
美雪さんが箱を開け、感嘆の息を漏らしたのが耳に入る。そういえば、サンドラさんの用意したプレゼントって何だろう? 私からのプレゼントってことになるんだけど……。
気になって顔をあげてみた。
「……」
指輪……?
もう一度目をこすり、目を凝らして見てみる。やっぱり指輪だ。しかもこれ……。花をモチーフにしたデザイン……ホワイトゴールドの5枚の花びらが、ダイヤモンドを優しく包んだこのフォルム……。
これ、美里が見てる雑誌に載ってたやつだ……。たしか値段は、70万を超えてたような……。ていうかアウトでしょ! アクセサリーとは思っていたけど、指輪はないでしょ指輪はっ! 私みたいに知り合って間もないやつが指輪って……! 重っ!
「〝StoM〟」
指輪の内側を見つめて、美雪さんはぽつりと言った。私は思わずのけぞった。
ま、まさか……イニシャルの刻印まであんの……? 〝StoM〟……サンドラから美雪へ……。……私もイニシャルSだけど……。
ていうかなんなのよ!? クリスマスプレゼントが高級指輪でしかもイニシャル刻印って、結婚間近のカップルじゃん! クリスマスの浮き足立つロマンチックな雰囲気に便乗して、相手からイエスを勝ち取るために備えた最強の武器じゃん!
重っ!
「美雪さん、あの……! こ、こここれはですね、ちょっと、ちがっむぐっ」
事実を明かそうとしたところで、背後からサンドラさんに口を塞がれる。
「み、美雪殿、よかったでござるなっ。よもや詩絵子殿がこのように気の利いた贈り物を用意しておるとは……。ま、まあ、やはり拙者の言った通りでござろう。詩絵子殿も美雪殿と過ごす聖夜を楽しみにしておったということでござる」
「本当に、詩絵子さん……ありがとうございます」
美雪さんは幸せそうに目を伏せた。
ち、違うのに~~~! これじゃあ私が重いやつと思われるじゃん! 今日この日に全霊を懸けてきたみたいじゃん!
しかし、美雪さんはこんな風に続けた。
「サンドラのわがままを、聞いてくださったんですね」
「……」
……むがっ?
「サンドラ、メリークリスマス」
持っていた紙袋を、美雪さんはサンドラさんに差し出した。私の口を塞いでいたサンドラさんの手がするりと落ちていく。
「み、美雪殿……これは……」
「私からの、クリスマスプレゼントですよ。受け取って」
美雪さんは聖母のように優しく微笑んだ。それを見たサンドラさんは、まるで目を通じて真心を受け取ったみたいに、その薄青い瞳からぽろぽろ涙を流した。
「サンドラ、執事のあなたは頼もしいですけど、たまには一緒に遊びましょう。昔、友達だった頃のように」
サンドラさんは手の甲で涙を拭いながら、「……うん」と子供のように答えた。
なんだか私の入り込む余地はないようだったので、私はそのまま二人を残し、静かに家を後にした(なんとか玄関にたどり着けたよ!)。
イルミネーションが遠い空の星々のように滲む街を歩きながら、私はぼんやり考えた。
美雪さんは全部お見通しだったんだなぁ、とか。色々と変わってる二人だけど、やっぱり変わった形で絆があるんだなぁ、とか。それでもあの変態執事を傍に置いとくのは危険だよなぁ、とか。
私には……ない。あんなに思いやれる相手が……いない。生まれてからこのかた、一度も……ない。
二人の心温まる結びつきを目の当たりにしたせいか、自分が独りぼっちなこと急に気づいて、少し寂しくなった。
「よしっ!! そうだっ!! こうなったら、主任の邪魔しにいこう!」
主任はこの温かいクリスマスに、一人ぽっちでパソコンに向かって虚しい仕事をしているはずだ。ははんっ、それって私よりも寂しいやつじゃーん? 人の温かみに触れることのない冷徹な仕事人間じゃーん?
心の平穏を保つために、私より寂しい奴を見とかないとっ! 今夜は一人でいたくないしねっ!
私は聖夜の街を駆け出した。
つづく!
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