「興奮しちゃうじゃないですか」

第68話




 ピンポーン。

 とある部屋の呼び鈴を鳴らし、私は覗き穴から見えないようすぐにしゃがんだ。


 警戒した動きで、ゆっくりとドアが開かれる。その瞬間、ドアの隙間に足を滑り込ませた。



「やっほー美里ちん! 泊まりにきたよー!」



 風呂上りと思われる美里は、首にタオルをかけていて、シャンプーのいい匂いがした。彼女はしばしこちらを眺めてからドン、と私を突き飛ばし、無言でドアを閉めた。



「待って待って! せめて事情だけでも!」


「なんなのよその大荷物はぁ~! 面倒事の匂いがプンプンすんのよ!」


「うぎぎぎぃ~」



 なんとかドアに隙間が開いたところで、私はがッ!と素早く足を滑り込ませて顔をねじ込んだ。



「あ、あんたはしつこい新聞勧誘か!」


「お願い入れて! 私帰るとこなくなっちゃったの!」


「知らん! 他を当たって!」



 私は思わずうつむく。



「……他に友達……いないんだよね……」


「……」



 美里はしぶしぶ家に入れてくれた。



「それで? なんなの? なんで急に家なき子になってんのよ」



 部屋に入ってソファーに腰を下ろすなり、美里は怪訝と問いかけた。



「へえ。美里んちってけっこう広いね。わあ! ロフトあるー」


「あんた追い出すよ」


「すみませんでした」



 ロフトのハシゴを登って家を物色していた私は、すみやかに降りて美里の前に正座した。どし、っと横にリュックを置く。そうして準備を整えてから、顔を上げた。



「それでは事情をお話します」


「手短にね」


「はっ、承知しています」



 さてさて。どこから話せばいいのやら……。とりあえず、主任に奥さんがいたってところかな。



「美里ちゃんもご存じ、向井主任こと私の忠実なる駄犬には、聞いて驚けびっくり仰天、実は奥さんがいました」



 美里はぽっかりと口を開き、ぞんぶんにマヌケ面をさらした。



「おおっ、いい顔だね。そう。私も最初聞いたときはそんな顔になったよ」


「え……うそうそ……主任に? 奥さん? あの人独身で通ってるじゃん」


「それがねー偽装結婚とかいうやつらしいの」


「偽装結婚?」



 私はとくと説明してやった。


 主任が養子縁組をもくろんでいたこと。奥さんが同じくドエムで、嫌悪の対象ではあるものの、結婚相手にはちょうどいい人材だったこと。


 そして、主任が私たちの想像をはるかに凌駕する、第一級の超危険人物であること(ここはとくに念入りに話した)。


 そんな主任から逃げるためには、泣く泣く家を手放さなくてはならなかったこと。



 美里は呆けた顔で話を聞いていた。それでも話が終わる頃には真面目な顔になり、ぽんと私の肩に手を置いて前のめりに言った。



「詩絵子……全力で逃げな?」


「美里ぉーー!」



 よかったよー美里が分かってくれたよー!



「マジで超危険人物じゃん。養子縁組って……本気だったんだ」


「なにせ結婚までしてたからね。あの人は着々と準備を進めていたんだよ」


「理想の女王様を手に入れるために……おそろしい……」



 美里はその顔に恐怖をにじませる。



「それでさ、私んちってたぶん主任の監視下にあるでしょ?」


「でしょうね」


「だから家を出ないわけにいかなかったんだよね。場所も知れてるし、危険かなって」


「賢明な判断よ」



 美里はこくこくと大きく頷く。



「でもあんた、会社はどうすんのよ?」



 問われて、私は腕を組んで首をかしげる。



「会社ねー……会社に行ったら、どうやっても主任と顔合わせることになるじゃん?」


「それは必至ね」


「だからこのまま飛んじゃおうかと。そんで手ごろなバイトでも見つけて生活していくよ」


「楽観的ねー」


「なんとかなるでしょ」


「そういえばご飯もまだなんじゃない? なんか食べる?」



 立ち上がりながら、美里は問いかける。



「え! なんかあるの!?」


「今日の残り物なら」


「食べる食べる! 腹ペコなの!」


「オッケー」



 美里はすぐキッチンへ行って、ロールキャベツを用意してくれた。赤いトマトソースによく煮られたロールキャベツが、ご飯をお供に私の前へやってきた。



「すごー……これ美里が作ったの?」


「料理は好きなのよ」


「美里ってさ、実は女子力高いよね。いつもお弁当、手作りだし。ん! おいし~」



 ぱくりと一口食べて、私はうっとりその味を舌に染み込ませる。

 いいな~料理上手なのって。美里って実はいい女だよね。巨乳だし、一緒にいて楽しいし、なんだかんだで世話焼いてくれるし、部屋も綺麗だし。なにより巨乳だしね!



「ごちそうさまでした! あ~美味しかったあ」



 満腹になってソファーに寄りかかる。「はいどうも」とちょっと笑って、美里はすぐに食器を持って立ち上がった。そのかいがいしい姿に、私は唖然とする。



「美里~~~! なに!? なんでそんなに可愛いの!? 私が男だったらこの場でプロポーズしてるよ!」


「あんたって勢いだけで生きてんのね」



 美里が食器を洗っている間、私はソファーでごろごろとゲームをした。



「ねえ、お泊まりなんて大学以来じゃない?」


「んあ? あー……そうかも」



 実は私と美里は大学時代からの付き合いなのだ。そう考えると、わりと長い時間を共にしているなー、と少し感慨深いものがある。



「美里とこんなに長い付き合いになると思わなかったよ」


「会社も一緒なんてね。大学出たら顔合わさず済むようになると思ったのに」


「またまた照れちゃって」


「照れとらんわ」


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