第65話
主任の話はこうだ。
美雪さんは、主任の父親の大事な取引き相手の娘で、主任にとって機嫌を損ねてはならない相手だった。親同士は妙にウマがあい、頻繁に彼女の家で会食をしていた。
そうなると、必然的に主任は美雪さんと遊ばなくてはならなかった。主任はこの時間がたまらなくキライだったそうだ。
『帝人さん、今日はなにをして遊びましょうか。おままごとはあまりお好きじゃないですか? それとも、外へ行って遊びますか?』
美雪さんは明るく尋ねる。彼女は気が優しく、大人しい子供だったという。
『あなたのお好きにどうぞ』
一方、帝人少年は、少し冷めたお子様だったようだ。
「主任、意外とエムっぽくないですね」
「当時はまだ、自分の趣向に気づいていませんでしたので。僕の父親は自営業をしているのですが、ひどく貧乏でしてね。彼女の父親との取引きが我が家の家計の命綱というところがありました。ですので、彼女の機嫌を損ねてはいけないというのは、子供ながらにひしひしと感じておりました」
二人は広い家の庭でバトミントンをした。
『私、あまり運動は得意じゃないので、強くしないでくださいね。さ、いきますよー』
本人も認めるとおり、彼女は運動が下手だった。バトミントンのシャトルは、へろへろとあらぬ方向へ飛んでいく。
『あ! ごめんなさい!』
彼女が叫ぶがはやいか、帝人少年は一足でシャトルへ追いついてラケットを振り切り、彼女の足元へそいつを叩きつけた。
『きゃっ!』
美雪さんは驚いて悲鳴を上げる。そんな彼女に、帝人少年はラケットを手の平でぽんぽん弾きながら言った。
『本当に下手ですね』
「えー!? いいんですか!? 機嫌を損ねちゃいけないんですよね!?」
「反抗期だったんですねー。さっきも言ったようにうちは貧乏でしたから、彼女みたいになに不自由なくぬくぬく育った、いかにもお嬢様という人は癪にさわったんですね」
帝人少年は容赦なくスマッシュを決め続けた。しかし帝人少年のこの行動が、美雪さんにはいい方向へ働いたのだ。
スマッシュの連続で疲れ果て、地面にしゃがみ込んだ美雪さんはこう言った。
『帝人さん……強いんですね』
彼女はポッ…と顔を赤らめて帝人少年を見上げる。その瞳は愚直な心酔をたたえていたという。
「その時の顔がですね、未だに忘れられないんですよ……。もっと痛めつけてと言わんばかりの目……。ゾッとしました」
世にも恐ろしいというように、主任は鬱蒼と呟く。
「主任? 私すごく似た人知ってますよ?」
「このようにですね、僕の反抗的な態度はことごとく彼女を喜ばせる結果となってしまいました」
ある時、中学生になった二人は川へでかけた。
『帝人さーん! 見てください! 魚がおよ……』
彼女は足を滑らせて川に転落した。バシャバシャと水を跳ねて、美雪さんは頭を沈めたり浮かしたりしている。
『た、助けっ……!』
帝人少年はというと、木に寄り掛かって座り、本を読んでいた。気持ちのいい木陰だったので、助けに行くのが面倒だったという。
「ひ、ひどい……! 主任! それはあんまりですよ!」
「ちょっとは危険な目にあった方がいいと思ったんでしょうね。とても過保護に育てられたようですから」
『どうですか?溺れそうですか?』
少し経ってから、帝人少年はふと顔を上げた。彼女はやはり水しぶきを上げて暴れている。そこで帝人少年がどうしたかというと、手近にあった長い木の棒を、その場から彼女へ差し出した。
『もう少しです。はい。こっちこっち。そうです。はいガンバ』
「お、鬼ですよ! 溺れそうな人にその態度! 実はドエスじゃないですか! 『ガンバ』が妙に腹立つし!」
「彼女のために一歩も動きたくなかったんですねー。なにせ反抗期ですから」
なんとか棒をつかんで必死に陸へ上がった彼女は、はあはあ肩で息をしていたが、やがて恍惚と目を細めて笑った。
『私のために、ありがとうございます。初めて、少し……自分で泳げた気がします。この棒、一生大事にしますね』
「なんてこと言うんですよ……。詩絵子様、ゾッとしますよね?」
「それはゾッとしますねー」
「え? するんですか?」
ある時、高校生になった二人は映画を観に行った。泣けると話題の恋愛ものだったらしい。ストーリーの終盤、館内は観客のすすり泣く声がいたるところから漏れ出し、彼女も例外なく涙を流していた。
『うっ……悲しい……』
ハンカチで目元を抑える彼女の横で、帝人少年がなにをしていたかというと、むっしゃむっしゃとつまらなそうにポップコーンを頬張っていた。
美雪さんはそれを見て、驚いた顔をする。
『帝人さん、こういう話はあまり好きじゃなかったですか……?』
『ストーリー展開が稚拙。ありきたりで面白味がなく、ただただ主人公が不幸で見ていて胸糞わるい。よくこんな話をあたかも感動もののように仕上げてるな。これ食べますか』
帝人少年は唐突にポップコーンをすすめる。
『いえ……私は……』
『そうですか』
そう言うと一気にポップコーンを口に流しこみ、映画も終わらないうちに立ち上がった。
『あなたとは趣味が合わないようですね。ごちそうさまでした』
むしゃむしゃ咀嚼しながら、帝人少年は美雪さんを置いて映画館をあとにした。
「さ、サイテー……! しかもごちそうさまって……美雪さんのおごりですか!」
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