第63話



 壁の陰から半分体をだして、びくびくしながら答える。その瞬間


 ―――主任は飛んだ。


 いや、一瞬のことでよく分からなかったのだけど、主任はおもむろに立ち上がってデスクを足場に飛び上がり、こっちまでの距離を宙で三度ばかり回って詰めてきて、私の目の前へ着地すると同時にシュタッ!と素早く土下座した。



「来てくださってありがとうございます! 今日はもう来られないかとッ…!」



 主任は土下座のまま叫ぶ。



「……」




 だ、だからあんたは何者なのよ~!! 土下座に何パターンあんのよ!


 中国雑技団でも通用しそうなアクションに圧倒され、私は壁にしがみついてそこから顔だけをのぞかせた。



「来てくださって、って……あの、私の方が謝らないといけないと思うんですけど……」


「どうかされましたか?」


「今日……無断欠勤で……その……すみませんでした」



 今の奇跡のアクションを披露されても逃げなかった理由はこれだ。主任は会社の上司。会社を無断で休むとそれはそれは多くの人に迷惑をかけることになる。


 きっと主任にも迷惑かけただろうなーと思い、私は謝罪した。



「僭越ながら、『詩絵子様は風邪をこじらせ、引き続き本日も欠勤』という旨の連絡を受けたということで、そのように措置を取らせていただきました」


 え……マジ?



「主任ありがとうございます! ほんとヤバいなって思ってたんですよ! 今後は気をつけますね!」


「いえ、めっそうもありません」



 うわーよかったー! やったあ! 権力バンザーイ! 心が軽くなったよー。



「ではどうぞ詩絵子様、こちらにかけて下さい」



 主任は自分のデスクまでいって、恭しくそこの椅子をすすめた。



「え、いいんですか?」



 その席は会社の人間にとって、軽々しく腰をかけてはいけない特別なものだったので、私は少しためらった。


 実際みんなが使っているものよりも良いやつだろうし、主任だけずるいなーとは思っていたんだけど。


 どうぞどうぞと勧めるので、「それじゃあ」と腰をおろしてみる。高揚して座ったはいいものの、主任サイズに調整されているので、私の足はぷらんと宙に浮いた。



「……主任って、やっぱり大きいんですね」



 後ろの主任を見上げる。主任は顔を横にむけて、笑いをこらえているような声をもらした。



「主任……笑ってませんか」


「とんでもありません。しかし一枚だけ、写真をとっていいでしょうか?」



 そっか……。主任って小さいものが好きなんだよね。こういう小ささが強調されたような姿スキなんだろうな……。



「……嫌です」



 なんだか悔しかったので、そっぽを向いて答える。



「詩絵子様、さすがは詩絵子様です。徐々に女王様としての頭角を現していらっしゃる」


「ち、違いますよ! 今のはなんか……なんとなく悔しかっただけで」


「例のピンヒールの日も近いですね?」


「一生こんわ!」



 そう言ったあとで『しまった…』と思った。でも、たぶん私が『しまった』と思うよりもはやく主任は私の前に土下座していた。



「それはそれでありがたきお言葉!」


「どっちなんですか……」



 もうドエム彼氏っていうか、土下座彼氏じゃん。


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