第58話



 そうして詩絵子はベッドにもぐりこみ、朔はソファーに寝そべり、寝る体制が整ったところで彼女は問いかけました。





「前から不思議だったんだけどさー、チビ朔はなんで私を好きになったの? 一応ナンバーワンホストなんでしょ? 選び放題のはずじゃん? なんでよりによって私なんて選んじゃってんのよ」


「そりゃあ……」



 あれ? なんでだろ?


 朔は少し考えてみました。けれども、彼女のことを好きというのが一つ確かにあるだけで、理由らしいものは特に見当たりません。



「ん~~~。意地かな?」


「意地? やっぱそうなんだ?」


「お前が俺を相手にしねーから」


「……もしかして主任と同じ趣味なの?」


「それはない。でもま、素直なところはいいんじゃねーの? 自分の欠点もちゃんと認めるし。あとあれだな、一緒にいて全く頭使わなくていいところ」


「なんでバカになってんのよ」


「なんだろうなーお前って建前とかあんまねーだろ? お前が明け透けだから、俺も透明でいられんだよね」



 二人の声は、薄暗い室内にぽかんぽかんと浮かんでは消えていくようでした。


 色々と理由を挙げましたが、本当のところは朔自身にもよく分かりません。うまく言葉にできません。


 それらの想いは、どうやら言葉に変えて伝えることができないものらしいのです。



「ふーん……。そういうもんなんだ」



 その言葉を最後に、やがて彼女は眠りにつきました。朔も寝ようと思いましたが、詩絵子の眠りは浅いらしく、なにやらうなされている様子です。


 マジで怖い夢みてるじゃん……。


 もうとても眠く、体も重かったのですが、朔は引きずるようにして彼女のそばへ行きました。



「おーい。寝た?」



 毛布から覗く彼女の顔は、苦しそうに歪んでいます。


 なんだよ……あのドエムに奥さんがいんの、そんなにショックなのかよ。そりゃまあ……そうだよなー……。



「はいはい。分かったよ。人肌が恋しいんだろ」



 朔はふてくされながら布団に入り、その細い体を腕に抱いてやりました。


 ときおり、苦しげな寝言が聞こえてきます。そうすると、彼女の後頭部を撫でて腕に力をこめます。



「大丈夫だよ。怖くないよー」



 そうしていると温かくなって、詩絵子は安心して落ち着くようでした。しかし今度は朔が大丈夫ではなくなりそうでした。


 ……やばい。この状況で我慢とかありえねーだろ……。



「詩絵子ちゃん。お兄ちゃんこのままじゃ危ないから、ちょっと離れるよー」




 小さく言って、そーっと体を離します。それからベッドの端まで転がり、そこで体制を落ち着けました。


 はあ~。やばいやばい。もう寝よ。我慢は体によくねーわ。


 そうして体の力を抜き、目を閉じたころ



「ううっ……」


「……」



 朔は重い瞼を持ち上げます。そしてごろんごろんと転がって、再び詩絵子を胸に抱いて頭を撫で、落ち着かせてやりました。



「はちいちがはち…はちにじゅうろく…はちさんにじゅうし…はちしさんじゅうろく…」



 そうしている間、念仏のように九九を唱えてなんとか理性を保ちます。




「清水……やっぱ寝てんのー?」



 とうぜん返事はありません。ちょっと顔を覗き込んでみると、今度はずいぶん深く眠り込めたようでした。規則正しい息遣いが聞こえ、その安らかな睡眠を見ていると、訳もなく胸が詰まります。


 安心するのに、切ない。相反する感情は化学変化を起こして胸の内に膨らみます。たまらなくなり、彼女の無防備な額へ、ちょっと口をつけました。



「ねえ、ほんと好き」



 これまで、女性に何度言った言葉だろうか。その数はよく分かりません。しかし同じ形の言葉でも、全く違う真新しいものでした。


 そのように真新しい本当の言葉は、スポンジみたいにたっぷり心水を染み込ませて出ていくので、うんと疲れてしまうようでした。


 それなのに、出ていったあとでもっともっと溢れるのは、なんでしょう。



「伝わんねーなぁ……伝わってほしいな……」



 それはまだよく分かりませんが、愛の正体であるように思うのでした。







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