「電卓になりてーよ」
第50話
みなさんどのように思われるか、ホストクラブというある種異質な空間は、汐崎朔にとって、事務的な仕事場となんら変わりないところでした。
「それでまあ、女と手を繋いで歩いてるとこ目撃しちゃってさ。浮気……だよね。それでちょっとやけになっちゃって、ここに来たんだ」
グラスを両手で包み、女性は涙ぐんで語りました。けれどそのあとでぱっと笑い、気丈に振る舞おうとします。
「ま、いいやっ! あんな男こっちから別れてやるから! 失恋なんてみんなするもんだしね! 飲も飲もッ!」
汐崎朔は、彼女の隣で静かに話を聞いておりましたが、この時ようやく女性の手をそっと握りました。
女性は少しびっくりしたようでしたけれど、朔はその顔を見つめて手に力をこめました。
「いいんだよ。元気でいなくて」
朔はちょっと顔を傾けて微笑みかけます。
「失恋はたしかにみんなするけど、みんなするから辛くないわけじゃないんだよ。ミカちゃんにしか分からない苦しさがあるんだよ」
女性は呆けてしまいましたが、やがてその目を潤ませ、両手で顔を覆ってしまいました。
「ごめん。泣いちゃって」
朔はその目元はハンカチで優しく抑えてやります。女性は朔を見つめていましたが、やがてうつむいて言いました。
「ありがと。私、なんていうのかな。人前では明るくいないとって……思って、て……弱いとこ見せちゃいけないって……ごめん。また泣いちゃう」
彼女がそう言ったところで、朔は女性の後頭部に手を回して、強引に自分の胸に押し付けました。
「大丈夫。見えないよ」
しばらくの間、彼女は彼の胸の中で涙を流しました。やがて涙は止まりましたが、女性は胸にもたれたまま落ち着いていました。
「こんなことされると、好きになっちゃいそう……」
女性はすっかり顔を赤らめています。朔はその頬を両手で包み、顔を上げさせて視線を繋ぎました。
「俺にしとく?」
挑戦的な笑みを浮かべると、女性はもう彼以外は視界に入らないという様子になり、うっとりと朔を見つめます。
そうした時、汐崎朔は心の中で薄く笑いました。
―――はい、落ちた。いっちょ上がり。
分かるよ。明るい影では傷ついてる自分に気づいて欲しいんだよね。そういう気丈なところも見抜いて、心底受け入れてほしいんだよね。心の隙間、お埋めいたします、ってね。有料だけどさ。
彼女を見送ってから、朔は首を回して一息つきました。
「今日はもう客とらないでねー」
「あ、レオさん、今の人どうでした?」
受付に告げると、問いかけられました。朔は調子よく答えます。
「ああ、バッチバッチ。OLさんだけど、結婚資金でけっこうため込んでるみたい。わりと太い客になるよ」
「おおっ、いいっすねえ」
そのまま過ぎようとしたところで、朔はふと思い立って止まりました。
『女の子たぶらかして金をせしめる極悪非道!』
いつか言われた言葉が頭をすぎていきます。
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