第46話
「前から思ってたんですけど、主任って料理上手ですよね。好きなんですか?」
「以前の仕事で、厨房を任されていたので」
答えながら、おわんを持って立ち上がる。それを見て私も慌てて立った。
「主任いいですよ! 私やりますから!」
「詩絵子様はくつろがれてください。風邪なんですから」
ちょっと振り返って曖昧に笑い、主任は再び台所へ入った。すぐに水を流す音が聞こえてくる。私とチビ朔はまたまた顔を合わせた。
「な、なんだろ……私、すっごい普通に接しちゃったんだけど……」
「あいつ、怒ってねーのかな」
「いやでも、いつもより明らかにテンションは低いよ」
「そうだな。テンション高い時は、あんときのあれだろ? ロープを自在に操るんだろ?」
「そう。あんな感じ」
今の主任はやっぱり元気がない。チビ朔とのことで落ち込んでいるのか、はたまた落ち込みつつ喜んでいるのか……。う~ん……判断が難しいな。
「主任……?」
台所へ顔を出してみる。主任は食器を洗い終え、手を拭いたところだった。
「あの、ちょっとお話が」
「詩絵子様、今鍋を火をかけています。あと5分ほどしたら火を止めておいてください」
ぐつぐつと音を起こす鍋をさして主任は手早く言った。そういえば、煮物かな? おだしのいい匂いがする。私は鍋の蓋を取る。
「わあ。筑前煮だあ~」
「お、こっちは豚汁だぜ」
チビ朔もやってきて、もうひとつの鍋を覗き込む。ほのかな生姜の匂い~。体があったまりそうだよ~。
「おいしそうだね」
「おいしそうだな」
「身体ポッカポカになるね」
「ポッカポカだよ~」
実家でお母さんに看病してもらってるみたいだなあ。私たちはその懐かしさを感じる料理の香りを堪能し、顔を緩めて湯気を吸った。
「この薬を一錠ずつ飲んでください。こっちは解熱鎮痛剤、こっちは咳止めです。解熱鎮痛剤の方は、次の服用まで6時間はあけてください。それでは、これで失礼します」
テーブルに薬を並べ、主任は荷物をまとめて帰り支度を整える。
「えっ! 主任帰っちゃうんですか!?」
「すみません。用事がありまして」
「そ、そんな……!」
まだなにも解決してないじゃん! ご飯ごちそうになってる場合じゃなかったんだよ!
ちゃんと話し合わないと……ッ!
どうやって話し合いに持ち込もうか。そう考えている間に、主任はもうドアの前まで行ってしまう。しかしそこで主任は一度止まって、こちらを振り返った。
「詩絵子様……。その、大丈夫ですか?」
私は質問の意図がよく分からず、ぽかんとして答えた。
「え……大丈夫です、けど」
「そうですか。それではお二人とも、お大事に」
と言って、主任はドアの向こうへ消えていく。扉が閉まりきってしまう前に、私は腕を伸ばして叫んだ。
「あっ、主任! 今日は会社やすみ、ます……」
パタン。
そうして主任は出て行ってしまった。
「ちゃっかりしすぎぃいい!!!」
「ぶはっ!!!」
朝。出勤前に家まで寄ってもらった美里に事情を打ち明けたところ、強烈なラリアットをくらい、私はベッドへ沈んだ。
「サイテー! その状況でさっくり連絡事項ねじ込む辺りが、あんたの身勝手さを全部あらわしてるわ!!」
「だってだって! 他になに言えばいいか分からなくって……! あとで連絡とる方が気まずいと思って……!」
「それが最低だって言ってんのよ!!とにかく引き留めて話し合うべきでしょ!!」
「だって主任が避けるんだもん!」
「口答えすなーー!!」
美里は飛び上がって私にのしかかり、背中に乗り上げて腕で首を絞めにかかった。
「ぐ、ぐるじ……!」
バシバシとベッドを叩いてギブアップを示す。その横でチビ朔が「ギブ?ギブ?」とカウントを開始する。
「ふう。しょうがない。黙っておこうと思ったけど、あんた達に話しましょう」
パンパンと手をはたいてベッドに座り直し、やや神妙なトーンで美里は言った。私はむくりと体を起こす。
「なに? なんかあったの?」
「主任のためには黙っておいた方がいいと思ったんだけどね」
「主任のためって……美里って、実は主任スキなの?」
「そりゃあ尊敬してるでしょ。あんなに仕事できる人もそういないからね。私も助けてもらったことあるし。未だにドエムなのが信じられないくらいよ」
「へえ。あいつってそんなに仕事できるんだ?」
チビ朔は意外そうに言ったあとで、「それもそっか。あのマンションの最上階に住めるんだから、そこそこの役職についてるはずだよな」とひとりで納得した。
「では、少し時間をさかのぼり、変態男がこの家を訪ねてきた辺りの話をしましょうか。その時、このアパートの外では、こんなことが起こっていました」
そうして美里は、真面目な顔で話を始めた。
つづく。
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