第42話


「なにそのキレ方! ていうか怒って言うことじゃないじゃん!」


「優しく言っても受け取らねーからブン投げたんだよ!」


「私はあんたキライ! キライになった! 弱ってるとき狙っちゃってさあ!」


「俺だって弱ってんだから条件は一緒だろ!?」


「なにその理屈!」



 そこで同時に咳き込む。



「げほ、げほ。くそっ。風邪なのに大声出させるから」


「あんたのせいじゃない」


「だいたいキライって言うなよなあ~。けっこうキツイんだぞ」


「あんたが卑怯だからでしょ」



 卑怯、の部分を強調する。なんだか熱が上がった気がした。熱にくわえて酸欠おこしたかな。



「……ていうかマジか。ホントにダメなのか」



 ややあって、チビ朔はつぶやいた。


 いつものように当り障りのない言い方……だったけど。

 それから、「そっか~」とため息を吐いて、熱にうるうると光る黒目で、ぼんやり天井を眺めた。あっけらかんとした言い方だったけど、諦めと納得が入り混じった溜め息だった。



 そんな言い方は私を切なくさせた。恋の終わる瞬間が、その短い言葉に見えた気がしたから。


 今になっても、なんでチビ朔が私を好きなのか、私にはさっぱり分からない。『ぜってー落としてやるからな!』って言ってたし、思い当たる理由といえば〝意地になってる″くらいだけど。


 でも今は、『ただの意地でしょ?』なんて軽口を叩けなかった。言えないってことは、きっと正解じゃないんだ。



「チビ朔、寝ようか」



 なんだかいたたまれなくなり、自分が悪者になったようで落ち着かなくて私はそう言った。この時はじめて、チビ朔の想いは本物だったんだと、終わりの時にようやく気が付いていた。これ以上会話を続けていれば、『いいじゃん、ずっと友達でいようよ』とか『他にいい人見つけなよ』とか言ってしまいそうだった。


 でもそれらはきっと、チビ朔を痛めつける言葉たちだろうと思った。



「うん……最後にもう一回言っていい?」



 細い声が聞こえる。『最後に』って、なんて寂しい言葉。



「……なに」


「こっち向いて」



 私は顔を上に向けていた。そっちを向いたら、目が合ってしまう。



「やだ」


「大丈夫。ほら、もう指一本触らねーって」



 そういうことではなくて、顔を合わせるのが気まずいのだけど。私は一度深呼吸をして、チビ朔の方へ顔を傾けた。



「……なんでお前が泣きそうなの」


「え」


「なんか、つらそうな顔してんよ」



 我知らず、全身が強張っていることに気づく。なにかを必死に我慢しているときのように。



「あんたも……チビ朔だって悲しい顔してるじゃん」



 私に負けず劣らず、チビ朔も悲しそうに顔を歪めていた。そういう顔を、チビ朔は無理に笑わせる。



「はは。俺がつらいのは当然じゃん。フラれてんだからさ。ちなみに初めてだかんな」


「なんか、うつるよ……。つらいのが」



 そう言うと、チビ朔はそのうるんだ目を細め、はにかんで笑った。



「好きだよ」



 これが最後になるからかな。その声はずいぶんと奥のほうまで届き、じんわりと心へしみこんでいく。


「ありがと」と私はなにかをこらえながら答えた。



「言って。お前も、好きって」



 チビ朔はまっすぐに私を見ていた。私は小さく首を振る。




「それは……ダメな気がする」


「今日だけ……今だけだから。俺を好きになってよ。それで諦める」



 どうしよ……。私はチビ朔を見返しながら考えた。けれどそうして目を合わせていると、頭はうまく回ってくれないようだった。



「……スキ」




 ちいさく呟く。チビ朔は耳をすませるように、静かに瞼を閉ざした。



「だめ。ちゃんと名前呼んで。チビ朔じゃなくて朔な」


「え……注文が多いよ」


「うん。ごめん」



 な、なんで謝るのよ~いつもみたいに言い返してよ~。



「ちょっと待って。練習させて。さ、『朔』ね。チビが抜けると違和感だね。さく、朔……朔。朔、スキ」



 チビ朔は目を閉じて聞いた。聞き終えて目を開き、私の頬を撫でてそこにある髪を耳の後ろへ流す。


 それから頬に手を這わせ、こちらを見つめた。



「もう一回」


「も、もう一回って……それに触ってるじゃ」


「お願い。もう一回言って。すげー幸せ」



 チビ朔は顔を寄せ、こつんと額を合わせて目を閉じる。私は小さく息を吸い、その息を声に変えて吐き出した。



「チビ朔、スキ」


「違う。朔」


「……朔、スキ」


「もう一回」


「お、終わんないんじゃ」


「あと一回」


「ね、ねえこれ、ほんと恥ずかしっ……」


「あと一回だけ」


「朔……スキ」


「俺も。俺も好き」



 頬に添えられた手が少し降りて、顔を上げられる。もう他にはなにも見えず、視界はチビ朔でいっぱいになっていた。


 あ、だめだ。

 瞬間的に思った。


 そうした時、パッと唐突に電気がついた。不思議なことに、ちっとも眩しく感じなかった。


 瞳が横へ動く。そのひどく短い合間に、頭の中をちろりと嫌な汗が流れるのを感じた。



 そこには主任が立ち、逆光の中でこちらを見下ろしていた。



 つづく。



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