第40話



 二人で顔を見合わせたとき、隣の部屋の玄関が、どことなく厚かましい音で開いた。



「あんらまあ!!」



 寝起きの今井のおばさんだった。おばさんは前髪にカーラーを巻いて、その下で目を見開いた。



「こんな時間に騒がしいと思ったら、やだもお詩絵子ちゃんじゃないのお~! しかもなになになあ~に? この可愛い男の子は? この間の向井さんはどうしたのよ~二股? もしかして二股してるの? そういうの感心しないわあ~おばちゃん」


「違うよおばちゃん! こいつは」


「違うって言われてもねえ~そんな抱き合うみたいにして言われても説得力ないわ~」



 おばちゃんは頬に手を当てて、けしからんという顔をする。私は慌ててチビ朔を突き飛ばした。



「違うのよおばちゃん! 私はそういう尻の軽い女じゃないの!」


「でもまあいいんじゃないのぉ? 若気の至りってあるし、そうやって男をとっかえひっかえできるのも若いうちだけなんだから。おばちゃんも若いころは」


「だから違うってー!」



「こんばんわー」



 話が変な方向へ進みだしたころ、チビ朔が愛想のいい笑顔でさえぎった。



「ごめんねおばさん、こんな時間に起こしてしまって。僕はこいつの兄です」



 僕? 兄?

 おばちゃんは「あんらあー!」と目を見開いた。



「いつも妹がお世話になってます。お隣さんが優しいから住みやすいって、話には聞いてたんすよ」



「あらあら、そうだったのお兄さん! 詩絵子ちゃん、あーたこんな可愛いお兄ちゃんがいたのねえ! おばちゃん初耳よ!」


「……」



 私も初耳だけどなあ。でもまあ、兄ってことにしてもらった方が助かるな。ここは面倒だから、チビ朔に任せとこう。



「お兄さんおいくつ?」


「22っす」


「あら、詩絵子ちゃんと同じじゃない」



 言われてチビ朔はハッとしたが「まあ、双子っすから!」となんとかごまかした。



「そうなのねえ。言われてみればちょっと似てるわ~目元なんてそっくり。二人して大きな釣り目で、猫みたいねえ」



 今井のおばちゃんはまじまじと私たちの顔を見比べる。私とチビ朔は思わず顔を見合わせた。


 ……私たちって、似てんの? もしかして、それで主任は……。


 思わぬ共通点に気づかされたが、ひとまず早く帰って眠りたいので、私たちはすばやく会話を終わらせて、そそくさと家に引っ込んだ。


 そして二人で玄関に倒れこむ。



「……どうしよ。もうベッドまでもだるい」



 ひんやりした床に頬をくっつけて、私は呻いた。



「同感……あのおばちゃん話長いし」


「だいたいなによ双子って。なんで私が妹なのよ」


「どう見たって俺のが大人っぽいだろ。弟なんて言ったら疑われちゃうだろ」


「ないない。あんた高校の頃からちっとも変わってないし」


「お前も変わってねーよ」



 そこで会話が途切れる。そうなるとしんとした静けさが広がり、二人の熱っぽい息遣いだけが冷たい玄関先で響いた。



「こんな話してる場合じゃねーな」


「……そだね」



 壁をつたいながら部屋に入り、私たちは前のめりでベッドへ落ちた。身体がじんわりと布団に沈み込み、その極楽に目を閉じて全身の力を抜いた。



「ベッドだ~ベッド最高~」


「ほんとあったけー。ベッド開発したやつは偉大だよ」


「誰がつくったんだろうねえ」


「知らねーけど、大天才だろうな」


「だよね。とくに風邪ひいたときなんかは、もう一歩も出たくないもんね」


「分かる。こいつには魔力があるよ。すげー引力」


「引き寄せられるからね」



 目を閉じたまま、ぼそぼそと会話する。



「お前、声枯れてるじゃん」


「あんたも枯れてるよ」


「まじかよ。俺の美声が」


「なにが美声よ」


「声は意外と大事なんだって。声フェチの子って結構いるからさ」


「へえ~気になったことないな。ていうかあんたさ、あの男が不審者だって、どの時点で気づいてたの?」



 さっきの男、チビ朔は容赦なく蹴り落としていたけど、なかなか出来るもんじゃないよなーと思ってたずねた。



「えー? そんなん最初っからに決まってんじゃん。なんか玄関でごたごたやってんのが見えたからさ。鍵閉められる前に間に合ってよかったぜ」


「最初から分かってたのに知らんぷりして来たんだ」


「その方が相手が油断すんじゃん?」


「あんたって意外と賢いよね」


「そして冷静な判断力」


「自分で言わないの。いや、ほんとに助かったけど」



 少し沈黙が訪れると、眠気が泥のように這ってきた。ああ。眠い。せめて冷えピタ貼って寝たいけど……まあいっか。



「清水。清水。寝た?」



 眠りの谷底へ引きずりこまれそうになった時、チビ朔は呼んだ。私はう~んと唸りに近い声を上げる。



「もう寝るとこだったのに」


「目あけて」



 私はうっすらと目を開いた。チビ朔の顔が目の前にあり、柔らかそうな金色の髪がベッドに垂れていた。


 ちょっとドキリとした。でも、それを表に出さないように私は言った。



「目、似てるかな? おばちゃんテキトー言ってない?」


「お前ちょっとドキっとしたろ?」


「な、なんで分かんのよ」


「俺も今目開けてドキッとしたもん。思ったより近くて」



 部屋が静かになる。私は少しだけ冷静さを取り戻し、今の状況を頭の中で整理してみた。


 一つのベッドに寝そべり、見つめあう男女。

 暗い部屋。視界には互いしか映らない。


 私は壁際に寄り、距離をとった。


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