第32話



「ちょ、ちょっとちょっと! あんた絶対に泥棒しないでよ?」


「しっ。静かにしろって。あいつ風邪で寝込んでんだろ?」



 言われて口を閉じる。風邪のときによその男が入っていくほうがダメな気がするけど。


 でも主任ってチビ朔のこと気に入ってるみたいだし、もしかして喜ぶのかな? ……それはそれで嫌だけど。


 靴を脱いで忍び足で入っていくと、以前来たときと同じように、ドアの前にロープが落ちていた。チビ朔はもう当たり前のようにロープを拾い上げて、こちらを向いた。



「あいつ今なら弱ってるからさ、前みたいならないんじゃね? せっかくだから、お望みどおり縛ってやろうぜ」


「……あんたってさ、恐ろしいほど怖いもの知らずだよね」


「バッカ、この間の恨みを晴らすチャンスだろ?」


「恨んでんだ?」


「今度は俺がビビらせてやるよ」



 ガキ大将みたいな顔で笑うので、私は溜め息をついてチビ朔へ哀れみの目を向けた。



「やめとこうよ、主任にとってあんたは『小さき彼』で、どうも可愛いものとして認識してるみたいだからさ。なにされてもきっと動じないよ」


「小さき彼って言うな!」


「いいじゃん。ゴロもいいしあんたにぴったりのあだ名じゃん」


「くっそ~! ぜってービビらせてやるからなっ!」



 ロープをぐっと握り、チビ朔はドアをあけた。



「よおドエム彼氏! またきた……ぜ」



 台詞の最後の方は、ほとんど息のようになって消えていく。扉を開け放したその先では、主任がソファーの背もたれから無理にブリッジを決めたような体制で、だらりと仰向けにぶら下がっていた。


 ちょうど干された布団のような格好だ。腕は力なく床に垂れ、血が抜けたように青白い顔をしている。持っていたスーパーの袋が床に落ちる。私は思わず両手で口を覆った。



「ま、まさか……死……!?」


「ば、ばか。そんなはずねーだろ。また俺たちを怖がらせようとしてんだ」


「ど、どうしよどうしよ! こういう時って110番だっけ!? 消防車だっけ!?」



 スマホを取り出し、何かしなければとぶるぶる震える手を動かした。でも一気にてんぱってしまって、何をすればいいのか全く分からない。



「大丈夫だって! 大袈裟なんだよお前は。ほら、おい、大丈夫かー?」



 冷静なチビ朔は主任に近寄り、垂れている腕をつついた。主任はびくともしない。



「う、動かないじゃん!」


「まあ待てよ。おーい聞こえるか? こんなとこで寝たら頭に血がのぼるぞ」



 チビ朔は主任の腕を持ち上げ、ソファーに戻そうとする。



「お、おもっ! こいつ重っ! デカっ!」



 だん!

 チビ朔の手から腕がすっぽ抜け、主任はちょっと危ない音をたてて床に頭を打ち付けた。


「…………」


「…………」


「あ、あんた……もしかして、どさくさに紛れて主任を殺そうとしてんの……?」


「ち、ちげーよ! 手が抜けちゃっただけで……今のは……大丈夫か? 今の、やばいかな?」


「や、やばいでしょ! すごい音したじゃん!」


「と、とりあえずソファーに寝かさないとだよな……。あ、これ使えるんじゃね?」


  

 チビ朔は床に放り出していたロープを拾い上げる。



「な、何に使うのよ」


「ほら、腕がだらーんとならないように体に固定して、そんで持ち上げれば」


「なるほど!」



 私も協力し、ロープを主任の背中に通す。チビ朔が腕を体の横に抑え、ロープを巻いていこうとした……ところ、白目をむいた主任がひとりでに動き出し、床につけた頭をドリルのようにぐるんぐるんと回転させ、前回同様ロープを勝手に巻き取っていった。


 そしてやっぱり干された布団みたいな状態でソファーの背もたれに垂れさがり、それきり動かなくなる。私たちは顔を見合せた。



「……起きてんの?」


「いや、白目向いてたぜ……?」


「そ、そっか。寝返りみたいなもんか」


「きっとロープ様に反応しちゃったんだな」



 そう納得し、主任を持ち上げてソファーへ寝かせる作業へ移る。私とチビ朔は主任の左右に分かれて立ち、胴の下へ手を入れて持ち上げた。



「こいつ、が……マジ重いんだよ!」


「うわっ! ホントだ!」


「わっ、お前! 離すなって!」


「ぎ、ギリ持ってるよ!」


「ちょ、ムリムリムリ!」


「いったん置こ! いったん! ね! あ、わわっ、お、おち……」


「え! ちょっと、ま……」



 びたん!



「……」


「……」



 今度は顔からいった。もろにいった。

 ロープで縛ってなければ、(危険を察知して目覚めたりして)主任もまだ手をつけたかもしれない。でも縛られていて動けないから、無防備に顔からいった。


 すぐに、顔の周りの床へ、血が流れだしてくる。



 ロープで拘束された男……。



 流れ出る血……。



 ファンファンファン……。



 遠く響く、パトカーのサイレン。




「清水、逃げるぞ!」


 

 チビ朔は私の腕を引いた。



「え、でも主任……」


「ここにいたらマズイだろ! 早く逃げよう! あいつのことはもう忘れろ!」


「え! 主任死んだの!?」



 腕を引かれながら、私は主任を振り返る。


 主任は血だらけの顔を上げてこちらを見ていた。その目は見開かれ、まばたきもないまま、無言でこちらを見ていた。



「ぎゅわああ!」



 思わず持っていたスマホを投げ出し、その場に尻もちをついてドアまで後ずさる。(ちなみにスマホは主任の頭に直撃した)



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