「お望みでしたら、なんなりと」
第30話
会社を出た足で、私は主任の住むマンションまでやってきた。買い物袋を下げて、エレベーターの前に立つ。ちゃんと看病できるようにスーパーでいろいろ揃えたし、準備は万端。でもどこか落ち着かない。そわそわする。
なんだかなー……。主任と会うの、ちょっと気恥ずかしい気がするんだよなあ。やっぱこれって、ちょっとだけ恋しちゃってるってことだよね。
でもでも、そんなことは関係なしにしても、風邪ひいてるの放ってはおけないし、今はなんだかんだ言って恋人同士なんだし、看病くらいは普通のはず!
強引に自分を納得させた頃、エレベーターが到着した。
「お、清水―」
エレベーターの中にはチビ朔がいた。チビ朔は「よっ」と軽く手を上げる。赤い派手なワイシャツに、グレーのスーツを着ている。 どうやら、これから出勤らしい。
「なに、またあんたなの?」
「俺に会えて嬉しいくせに、また強がっちゃって。で、どうするー? これから飯でも行く?」
驚くべき自然な所作で私の肩に手を回し、チビ朔は出入り口へ進もうとする。
「な、なんなのよ、この手馴れた感じは!」
「そりゃ慣れてるから。飯よりバーがいい? 奢ってもいいぜ」
「行くかあ!!」
腕を振りほどき、私はビニール袋を見せ付けた。
「看病! これから主任の看病をしに行くの!」
「なに? あいつ風邪でもひいてんの?」
「そうよ。この間、ほとんど半裸でロープに縛られてたでしょ? それが原因だと思うの」
「じゃあ自業自得じゃん」
チビ朔はあっけらかんと言う。まあ否定はできない。
「そりゃそうだけど……あんたはこれから仕事なんじゃないの?」
「ああ、お前が俺と一緒に居たいって顔するから、休んでやってもいいかなーって」
チビ朔はやれやれ、というように肩をすぼめる。私は大きく溜め息をついた。
「……あんたってさ、女は誰でも自分に惚れると思ってるでしょ」
「思ってるっていうか、事実だし」
……こいつ。
「ていうかさ、看病なんてやめとけって。そんな風邪ひいて弱ってるときに優しくしちゃったら、あいつがよけいお前に惚れちゃうだろ? 別れたいって言ってたくせに、なにやってんだよ」
チビ朔は子供を叱るように、『メッ』という顔で私の額をつついた。
「う、うっさいな。今ビミョーなとこなんだよ」
「は? あいつのこと好きなの?」
「ん~……好きかもなー……ってとこ……」」
ごにょごにょと答える。チビ朔は金色の前髪の奥で眉をしかめ、胸に手を当てた。
「やめろよー。お前それを俺に言うか? 胸がギューってなったぞ」
「は……?」
「お前に惚れちゃってんだから当然だろ。ちょっとは俺の気持ちも考えて言えよな」
「……」
あれ? なに……?
こいつが私のことスキとか言ってるのは、本心なの?
いやまさか。
「なに言ってんのよ、あんたが女の子を口説くのは、ファミレスの店員さんがお冷を持ってくるのと同じような流れ作業でしょ」
「お前な……俺をどんなやつだと……」
「女ったらし!」
びし!とチビ朔の鼻先に指を突きつける。
「女の子たぶらかして金をせしめる極悪非道! 女泣かせの達人! そういう奴!」
「お前……」、チビ朔は呆れたように、瞼を半分下げる。「そんなに俺の言うことが信じられないの?」
「う~ん……信じる信じない以前の問題っていうか、耳を通過していってなにも残らないっていうか……」
「なんで聞き流してんだよ」
「さらーっとしてるよね、あんたの台詞って。全部がさ。なんだろうなあ。車で流れている興味のないラジオというのかなあ。聞いてはいるけど、情報として処理されないというか」
「……」
チビ朔は俯いて黙り込む。
あれま、言い過ぎちゃったかな?
「ま、まあさ! 私は無理だけど、そういうのが嬉しいって女の子もいるだろうしさ! どこかしらに需要はあるはずだよ! 実際モテるしナンバーワンホストなんでしょ? 問題ナッシングじゃん!」
気まずくなって、一息にまくしたてる。ていうかそうだ、主任の看病に行かなきゃじゃん! エレベーターに乗り込み、「じゃあ私はこれで」とチビ朔の背中へ口パクで伝えた。
「他の女なんて……」
小さく呟き、チビ朔は勢いよく振り返った。エレベーターの扉が、そっと閉じる。
「俺はお前が欲しいって言ってんだよ! ちょっとは真剣に考えろよ!」
そんな声が聞こえた気がしたけれど、エレベーターはすでに上昇を始めていた。エレベーターの中で、私は腕を組んで首を捻る。
う~ん……。今回はさすがにひどかった気がする。なにやらあいつ、真剣なようだし。でもなんだかなあ。あいつを恋愛の対象とするのは、私の本能がどっかで否定しているんだよなあ。
あれ? ていうか、これって前と同じ展開なんじゃ……。
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