B型

「何ぃ―? 風邪ひいたから休むだと? ふざけたこと言ってんじゃねーぞ」

 とある企業のある部署。

 その企業自体もブラック企業の汚名をゴーカイに名乗るやつらだったが、この課長も凄まじかった。

 かつてはうつ病の部下に

「うつなんて気の持ちようだ。てめーは気合がたりねーんだよ。死ぬ気で頑張れ」と怒鳴りつけ、ほんとにまで追い込んでいた。

 幸い未遂で済み、さすがに配置転換して何とかなっている。

 これでわかる通りとんでもない管理職だった。


「だいたいお前、この前も親の葬式とかで三日も有給使いやがったな」

 普通は勤務日七日間は忌引きで休みである。

 そういうのが一切通用しない。


「電話する気力があるなら死ぬ気で出てこい。仕事してりゃだるさも吹っ飛ぶ」

 後にして思えば、ここで素直に休ませていれば、ああまで悲惨なことにはならなかった。


TS風邪


~B型~


 ふらふらしながら電話で怒鳴られていた社員。秋津が出社してきた。

「おせーぞ。遅れた分を取り戻すまでかえさねぇからな」

 誰が見ても仕事の出来るありさまではない。

 それなのに彼・秋津は無理やり出てきた。

 そこまで課長が怖かったのか?

 もっと注意深く見ていれば、その瞳に宿る昏い炎もわかったが、相手の主張を受け付けない課長は、そもそも顔を見ることがない。



「ほら。何してやがる。さっさと仕事しな。そうでなくてもこの前てめーが海外出張で空けた分が響いてんだからよ」

 それがとどめだったかのように彼・秋津は盛大にぶちまけた。

 比喩ではなく、そのまんまの意味で吐しゃ物を渦中の机の前に。

「うわっ。きたねえっ」

 当然の反応である。

 室内に胃酸の匂いが充満して鼻を突く。

「てめぇ。何の真似だ?」

 多少は恨まれている自覚があり、意図してやったものと見做した課長は殴りかかる。

 しかしその前に秋津は倒れた。

「ちっ。しょうがねぇ。おい。誰かここ掃除しな」

 誰も聞いていなかった。

「聞いてねえのか? 掃除を」

「それどころじゃないですよっ。見てください。こいつを」

「あ~ン? このバカが……なんだ。こいつ?」

 肌が白い。いや。病人の青白さではなく、まるで女性の肌だ。

 心なし顔つきも女性的に見える。

 いや。明らかに体型も変わってきている。

 胸が膨らみ、尻も大きくなり、反対に腹部はくびれがスーツ越しでもわかるほどだ。

「な、なんだっ。まるで女?」

「髪の毛までサラサラになってやがる……」

 異常事態で救急車を呼んだが


「あー。またか」

 うんざりしたように救急隊員が言う。

「『またか』とは?」

「最近流行ってるんですよ。通称TS風邪B型。A型が重症化した時のみ女性化なのに対して、B型はかかっている間中は女体化で」

「そのかわりA型みたいに空気感染はしにくいんだよな。ただ体液などに触れるとまずやられるけど」

「まぁわれわれみたいに予防接種を受けていれば、かかっても普通の風邪と同じ程度で女体化はしませんけどね」

 えらく説明的な救急隊員であった。

 女性化した秋津を搬送していく。

 残された面々は呆然としている。

「もしかしたら……やばいんじゃないか?」

「ぶちまけたモノそのものには触れてないけど」

「とにかく掃除だ。できれば消毒もしたいが」

「非常事態だ。ここでこそほうれんそうだな」

 ここでいう「ほうれんそう」は食べ物ではなく「報告・連絡・相談」を略したものだ。

 状態の報告。連絡。そして相談と。しかし

「このことは他言無用だぞ」

「えっ?」

 耳を疑う課長の一言。

「ど、どうして?」

「あほか。こんなこと知れたら、処分されるに決まってんだろうがよ」

 隠ぺいに出た。

「いいか。奴はここに来たが具合が悪くなって、救急車で運ばれてからあっちで発症した。口裏合わせるぞ」

 もう何も言えなかった。

 黙って命ぜられるままに掃除を開始した。


 確かに汚物を除去の必要はある。

 しかし、せかされたこともあり、感染防止にまで頭が回らない面々だった。


 翌朝。

 「課長」は不機嫌だった。

 部下の内三人の男。いずれも汚物処理をした者たちだがそろって「体調不良で休む」と電話してきたからだ。

 当然だがこの男がそれを認めるはずもない。

 立て続けに怒鳴りつけていたので不機嫌になっていた。


「おはようございます」

「あ?」

 課長は二人いる女子。早乙女と高嶺の顔を見た。しかし二人とも「私じゃない」と否定。

 それじゃ今の声は誰だ?

 素直に声のしたドアを見たら男子社員がいた。

「何だ赤星。今の声は」

「はぁ。電話したあたりからのどの調子がおかしくなって。咳が止まったらこんな声に」

「まるで腕輪で女の子に変身する男子高校生の女バージョンの声みたい」

「子供のころは男の子と思われていたエア友達を持つ女の子とか」

「冗談みたいに美しいけど中身お子様で大食いの精霊・プリンセスかも」

「他人事だと思って」

 赤星は男とは思えない澄んだ美しい声になっていた。


「おはようございます」

「遅いぞ。二村……なんかおかしくないか」

「はぁ。さらしなんてないからタオルで代用したんですが」

 胸をつぶした女性という感じになっていた。

 問い詰めると

「実は、朝起きたら胸が」

 事情説明のため上半身裸になると、見事な乳房が出来上がっていた。

 しかも肌はすべすべ。胸元だけ見ていたら女性にしか見えない。


 さらに

「おはようございます」

「む。高岩。お前はまともか」

「え?」

 課長に問われた男子社員。高岩は目をそらした。

「オイ。お前も何かあったのか?」

「はい。ナニがなくなってました」

「……は?」


 三人を並べる。

「つまりこういうことか。昨日秋津のゲロを始末して、それでTS風邪とやらに感染したと。赤星が声だけ。二村は胸だけ。高岩は下半身とバラバラなのは個人差というやつか」

「そのようですね」

「それで相談ですが、三日も入院すれば治せるらしいので休みたいんですが」

「できれば一週間ほど」

「ふざけんな!」

 覚悟していたが恫喝されると堪える。

「その間仕事はどーすんだ? 寝ぼけたこと言ってんじゃねーぞ。ただでさえ秋津の奴が入院しやがったんだ。当分11時まで残業だからな」

「ひえーっ」


 もちろんこれで体調が回復するはずもない。

 翌日には赤星は下半身も。二村は声が。高岩は胸が女性化していた。


 さらに休日出勤の土曜日で三人とも完全に女体化した。


 そして月曜。

「おはようございまーす」

 風邪をひいているとは思えない澄んだ声で赤星が出社してきた。

 女性用のスーツの上下。スカートからのぞく脚はストッキング包まれていた。

 短い髪だが襟足をゴムで留めていた。

「わっ。赤星さん。ずいぶんかわいくなりましたね」

「いやさ。もう男の服でだとじろじろ見られるから思い切って女房にいろいろ借りてね。化粧もしてもらってさ」

「恥ずかしくなかったですか?」

「んー。わかんない」

 潤んだ瞳。上気した頬。

 美女に変貌したため思い違いをしたが、明らかに風邪でやられている。

 頭もだろう。だから「女装」に抵抗なく出社してこれた。


「おはよう……あー。赤星まで」

「そういう二村も。どうした。その髪」

 背中に達する茶髪になっていた。

「どういうわけ昨日だけでこんな長さに。あたしの場合そういう体質だったみたい」

「あたし?」

 さらっと口にした女性としての自己代名詞を聞き逃さなかった。

「あはは。なんだか男言葉に抵抗感が出てきて。流されているわ」


「わー。二人ともどうしちゃったのぉ」

 やはり高岩も「女装」できた。

 それもミニスカートである。

「それじゃ高校生ですよ。高岩さん」

「え? ダメかしら? 高かったんだけどなぁ」


 三人とも熱でやられて、男性性がなくなりつつあった。


「おら。来たならさっさと仕事しやがれ」

 当然いつまでもこの状態にしてない課長。

「申し訳ありませんでした。課長」

「私たちが甘かったです」

「病は気から。風邪なんて気合で治せますよね」

「おう。わかってんじゃねーか」

 従順なところを見せたので笑顔になる課長。


 しかしそんな単純なものではない。

 なにしろ仕事の鬼どころか人権すら認めてないような人物。

 もし殺されたら容疑者に整理券を配らないといけないレベルで恨まれていた。

 直接の配下である三人がこんな素直になるはずがない。

 ましてや当然の治療を認められず、女体化までしてしまったのだ。


 十時。

「課長。お茶どうぞ」

「ん」

 一声うなっただけだ。礼も言わない。それどころか誰がいれたかも確かめない。

 女声だったので高嶺か早乙女と思い込んでしまった。

 だが淹れたのは高岩だった。

 それも湯呑の周辺をなめてから。


「課長。この件ですが」

「あ。見せてみろ……なんだ。こんなこともわかんねーのか。このうすらボケ」

「申し訳ございません。けほっ」

 わざとらしく咳込む二村。

 当然つばも飛ぶ。


 長く説明を課長に対してしている赤星。

 TS風邪のウィルスもまき散らされている。


 何でも「気合」でという手前、風邪をよけるようなまねができない課長。

 そのためこの三人の「攻撃」をまともに食らっていた。


 次の月曜日。

「やりやがったな。てめえら……」

「あは。課長。ずいぶんかわいい声ですね。月に変わってお仕置きしそう」

「それにとっても美人でうらやましい。サ-ビスサービスぅ」

「それにそのおっぱい。『うち来る』なんて誘われても今は女同士だしねぇ」

「やかましいわっ」

 迫力のないキャンディボイスだった。

 そう。ものの見事に三人からもTS風邪をうつされ、女体化した。

 日ごろの行いの悪さゆえに、報復されたのである。


「そんな病気でここにきやがって。ひと迷惑だろうがよっ」

「あら課長。休むなってご命令でしたから」

「ねー」

 三人で顔を見合わせて笑いあう。

 まるで生まれた時から女性だったかのようだ。

「それに課長。私たちはここ以外ではちゃんとマスクして手洗いやうがいもしてますから」

「そのせいか男の人に感染はさせてないと思いますよ」

 熱のせいなのか『男の人』と「異性」扱いだ。

「それにここだと高嶺さんと早乙女さん。元から女性の二人。後はもう感染しちゃってて遠慮もいらないし」

「私もかかっちゃってみたいです。でもなんか肌がきれいになった感じで」

「わたしは胸がちょっと膨らんだのかブラがきつくなってきて」

 男をわずかな日数で女性化させる病気だ。

 生粋の女子にはむしろ「女性性」を高める効果になったらしい。


「さぁ。身をもって知ったんなら休むのを認めてください」

「そしたら出社拒否している秋津を説得してきますから」

 TS風邪を持ち込んだ秋津は最後の「テロ」を敢行後入院。

 迅速な処置と十分な休養で三日で男性に戻った。

 しかし「あの課長の下ではもうやりたくない」と出社拒否。

 退職も辞さない状態だ。

「幸い命にはかかわらないので、入院も交代交代にしますから」

「誰がそんなもん認めるか。風邪なんざ気合で治すんだよ。いいだろう。俺が見本を見せてやる」

 意地の張り合いである。


 TS風邪で女体化したままの仕事が続く。

 さすがに全社に蔓延させるわけにもいかず、他部署に行くときはマスク着用している。

 それがよかったのか他には発症が出ていない。

 もっともうわさを聞きつけた女子社員があやかろうと頻繁にこの部屋に来ていた。

 中にはそういう願望があるとしか思えない男子が、マスクも手洗いもなしで来てたりも。


 治らないまま一か月がたつ。

 つまり女体化したまま一か月。「月のもの」が来てしまった。

 さすがの課長も「生理痛」を体験し、それが存外きついと理解し、交代での入院を認めることにした。

 しかし一番最後の感染であることと、「罪滅ぼし」というつもりか自身は最後の入院予定だった。


 同僚の入院。

 課長の改心もあり秋津は態度を軟化させ出社してきた。

 とはいえど常にひとり抜けているので仕事量は多い。

 毎日遅い時間に帰るのもあり、いっこうにTS風邪は治らない。

 頭の中身もかなり女性化してきていた。


 そんなある夜。

 土曜も休日出勤して日曜はさすがに休み。

 課長はすっかり様になった女性用スーツ姿でなじみのバーに出向いた。

「マスター。いつもの」

「はい? ごめんなさい。お客さん初めてですよね?」

 初老のマスターでもあるバーテンダーは怪訝な表情をする。

 それで察した。

 男としては常連でも、女としては初めてだと。

「ギムレットちょうだい」

「畏まりました」

 カクテルを作りにかかる。


「はい。御嬢さん。ご機嫌いかが」

 日焼けした男が許可もしていないのに隣に座る。

「最低よ」

 無視しなかったのはこの言葉をぶちまけたかったからだ。

 全くの本音である。

 ずっと風邪が治らない。

 そして男に戻れない。

 腹いせにこのナンパ男にも忌々しい病気をうつしてやれと思った。


 だからホテルへの誘いにも乗った。

 熱でやられた上に酒に酔い。

 そして女性化してきているゆえに興味本位でベッドインしてしまった。


 翌朝。

(やっちゃったぁーっ。しかもこいつは何の罪もないのに)

 まず確実にTS風邪はうつったであろう。

 何しろキスして唾液を直接口にさせている。

(しかもゴムなしでやってくるような奴だから、そういう管理も怪しいものだわ。まぁ自己責任で…あたししーらないっ)

 課長はそっと服を着るとラブホテルから逃げ出した。


 部下たちの治療は時間がかかり、結局課長の入院は三か月後になった。

 そこで言われた言葉を「彼女」は生涯忘れない。


「あー。


「え?」

 そりゃあ耳を疑いもする。

 男なら絶対に言われないようなセリフである。

(まさか……あの夜のだけで。なんて命中率よ)

 一夜の過ちを思い出した。


「この状態でTS風邪を治療してしまうと、どうなるかわかりませんね」

 胎児のいる状態で子宮がなくなる。

 つまり「殺す」ことになる。

「だったら産んでから戻ります」

「しかし」

「きめました」

 説得しても耳を貸さず。

 芽生えた「母性本能」でそのまま妊娠続行だった。


 今までの付けもあり、またさすがに本来は男ということで「産休」はぎりぎりまで取らなかった。

 妊娠に気を取られて、いつの間にかTS風邪が治っていることに気が付かなかった。


 無事に出産を終え、やっとTS風邪を治そうとなった時だ。


「率直に申し上げます。妊娠したせいか、完全に女性として固定されています」

 医者は死の病の余命宣告のつもりで告げる。だが

「そう。それでいいのかもしれない。これは天罰ね。ずっと部下にひどい仕打ちをしてきた」

 傍らの赤ん坊を抱き上げる。

「そしてこの子をそれを教えに来てくれた天使なのね」

 どうやら妊娠で頭の中身まで完全に女性化したらしい。


 それでも衝撃の告知で足取りも重い。

 とぼとぼと帰途に就く。そこに白衣姿の色黒の男性とすれ違う。

 数歩歩いて互いに振り返る。

「あーっ。貴方はっ」

 彼女にしたらたぶん女にしてしまった男。そしてこの赤ん坊の父親。

「君は……あの時の」

 白衣を着ていた。

 ネームプレートを見ると外科医。

 それで産婦人科の病棟ではあえなかったのだ。

「ご、ごめんなさい。貴方も女にならなかった?」

「なったさ。わずか数日だけど女の気持ちが分かった。だから遊んでいた自分が恥ずかしくなってね」

「そう」

 これまたTS風邪で人生を見つめなおした一人だ。

「その子、もしかしてオレの子?」

 彼女はうなずいた。

「そうかぁ。うっかり(ゴムを)切らして生でやってて、気になって君を探していたけど」

「私のことを?」

 探し求められていたといわれて『女ごころ』に響いた。

「付き合ってくれないか……いや。あんな風邪だったんだ。たぶん君は本来は男なんだろう。けど、あの時はとてもかわいくて。君が戸籍を変えられたら結婚したい。先に子供が出来ちゃってるし」

「あ……ああ」

 まさかの展開だった。


 それからというもの、職場に復帰しても過度な仕事はさせず。

 金曜日などはノー残業デーに設定する程だ。

 態度も丸くなった。


「課長。そろそろ」

「あら? もうこんな時間。それじゃみんな。切りのいいところでやめて帰ってね」

「はぁーい」

 そして彼女も社内の託児所で預けていた愛児を迎えに行き、その足で愛する青年との待ち合わせに急いだ。


 TS風邪という事例。

 本当に女体化したこと。

 そして既に出産までしたことから、あっさりといっていいスムーズさで戸籍を女性にできた。

 法的に女性となってから一か月後。

 課長だった女性は、寿退職した。


 むろん後任は部下に恨まれないようにふるまったし、体調面では決して無理をさせなかった。

 前任者の残した教訓であった。

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TS風邪 城弾 @johdan21

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