第4話 先輩

「どういう事?」


私はテレビを見ながら彼氏の高久隼人に電話していた。

ローカルテレビ局のアナウンサー・枡澤りさとの熱愛報道。

嘘だと思いたかった。

単なる誤解だと言って欲しかった。

だけど彼の口から出た言葉は……


「先に冬莉には話しておこうと思ったんだけど……」


報道されている事は事実だった。

もう結婚まで話が進んでいる。

どうして今まで話してくれなかったのか?


「話す機会が無かったんだ」


確かにメッセージで「俺新しい彼女が出来たから」で済む話じゃないだろう。


「ごめん」


彼との10年以上の交際はたった一言で終わってしまった。

ショックで何もする気になれなかった。

パパから紹介されたバイトも長続きしなかった。

こんなことなら「パパの仕事を継ぐ」とでも言って経済学部に入っとくべきだったか。

正社員登用の話もあったけど続ける気はなかったので断った。

就活もろくにしないまま大学を卒業するはずだった。

しかしパパが新しい勤め先を紹介してくれた。


「パートでもいいらしいから」


とくにすることが無いので受ける事にした。

面接はスムーズに進みすぐにでも来て欲しいという。

週明けから働く事になった。

初めての職場に行くと、まず感じるもの。

それは疎外感。

黙々と作業をする職場もあれば、和気藹々と話しながら働く職場もある。

ここは後者だった。

一番若いという事もあって中々話に入りづらい。

黙々とひたすら仕事をしていた。

私の担当についたのは、宮成成之というちょっと年上の男性。


「先輩、私は何をすればいいですか?」


普通に質問したつもりが先輩は困っている。

先輩の上司らしい人、大島さんが指示を出す。

図面を渡されて部品図を描いてくれと言われた。

ファイルの場所を聞いて早速取り掛かる。

検討図が全然でたらめだった。

平面図と正面図、それに側面図がすべてでたらめだ。

一つ一つ指摘していく。

新人の癖に生意気だと思われるかもしれないけど、それをしないと勝手な判断で描くわけにはいかない。

細かな事でも一つずつ確認を入れる。

五月蠅い女だと思われるだろうと覚悟していたけど「ああ、ごめん。すぐに修正するから」と低姿勢の先輩。

大島さんに聞いたら先輩はこれまでメカトロという物に触れたことが無いらしい。

そんな人に良く検討を任せる気になったな。

そんな人の検討図を使って部品図起こして大丈夫なのだろうか?


「こんな図面に私の名前を入れたくない」


思わず愚痴ってしまった。

嫌われたかな?

皆何も言わなかった。

自分で気まずい空気を作ってしまった。

もう帰りたい。

そう思った時だった。


「これでも舐めて、気分変えたら?」


先輩が飴玉を差し出してくれた。

嫌味な部下だと思われていないのだろうか?

特に怒る事も無く不機嫌な様子も見せずに言われたとおりに作業を進める先輩。

気づいたらそんな先輩に夢中になっていた。

だけどこの会社は皆既婚者。

当然先輩も結婚してると思った。

だけど……。


「宮成さん、俺が彼女紹介してあげましょうか?」

「ああ、そういうの間に合ってるから」


私より少し年上の石井さんとそんな話をしていた。

先輩は独り身らしい。

少しうれしかった。

とはいえ、会社の先輩と後輩という関係からどうやれば進展するのか?

社会人1年目の私には分からなかった。

そんな時に飛び込んできたのが、私の歓迎会をするというらしい。

少しでも先輩と話すことが出来れば……と思ったけど現実は甘くなかった。

先輩は同僚と話をしている。

私も宮田さんや渡瀬さんと話すので精一杯。

何も進展ないまま、終わると思った。

食事会が終ると二次会に行くという。

宮田さんと渡瀬さんは帰るらしい。

女性は私一人だけ。

残るのも変な話だろうか?

チャンスは逃すな、自分から飛び出せ。

片桐家の家訓。

私は残ることにした。


「無理して残らなくてもいいんだよ」

「私が居たら困るような場所なんですか?」


どうしてそういう言い方しか出来ないんだろう?

2次会は普通にカラオケだった。

先輩は飲み物のオーダーを取りながら自分の番が来たら歌っている。

1人孤立する私に手を差し伸べたのは社長だった。

今の気持ちを曲に表してみた。


「演歌得意なんだね」

「年配の人を相手にするときの歌くらい弁えてます」

「なるほどね」


その後は社長と大島さんの相手をしながら飲んでいた。

やっぱり無理があるのだろうか?

半ば自棄になって飲み過ぎた。

誰かに支えられていないと立っている事すらままならない。


「一人で帰れますから」


と言って歩こうとしたら、膝から崩れて倒れそうになる。

咄嗟に支えてくれたのは先輩だった。


「社長命令だ」


初めて社長に感謝した。

先輩は私を支えながら駐車場に向かって歩く。

ただ支えているだけなのに、異常に緊張している。

先輩の車はSUVだった。

助手席に乗るとシートベルトをしてくれて住所を聞いてくる。

このまま帰るなんて嫌。

そう思って大在のデートスポットに向かうようにお願いした。

気づいてなかったみたいだけど。

静まり返る車内。

何か話しかけた方がいいかな?

そう思った時先輩はテレビをつけた。

テレビから流れるニュースはサッカーの話題だった。

私の双子の兄の冬吾は日本代表の要。

そして私の元彼も同じチーム。


「テレビ消してもらえませんか?私サッカー嫌いなんです」


咄嗟に言っていた。

先輩はテレビを消してくれた。

そうするとまた気まずい空気が流れる。

車は私の指定した場所に止まった。

それから私の兄の事を話す。

酔った年頃の女性と2人っきりでこの場所に来る意味。

流石に気づいてくれるだろう。

気づいてもらえなかった。


「家に帰りたい気分じゃない」


ここまで言っても駄目だった。

がっついてるようで嫌だけど、仕方ないから私から切り出した。


「ホテルにでも泊まっていきませんか?」


凄く動揺していたけど、取りあえず要望は聞き入れてくれた。

車を駐車場に止めてフロントのパネル画面から希望の部屋を選ぶ。

と、いっても休前日。

すでにほとんどの部屋が埋まっていた。


「どの部屋にする?」

「先輩に任せます」


普通の部屋を選んでくれた。

普通と言ってもシティホテル。

当たり前だけどベッドは一つだけ。

先輩は緊張している。


「私先にシャワー浴びて良いですか?」

「あ、どうぞ」


私は寝間着とタオルを取ってシャワールームに向かう。

なんか私が悪戯好きの小悪魔的立場にいる気がした。

まあ、実際そうだろう。

この後の先輩の行動が楽しみだ。

シャワーを浴びると先輩と交代する。

特に何かをした様子はない。

しいて言うならテレビをつけて慌てて消したくらいか。

先輩のシャワーは異様に長い。

そして私は泥酔している。

とりあえず明るいのは嫌だから薄暗くしておいた。

それも災いしたのかもしれない。

私は無防備に眠ってしまった。

だけど起きるとバスタオルがかけられていただけ。

何かされた記憶も痕跡も無い。

先輩はどこにいるのだろう?

先輩の性格を考えたら答えはすぐに出た。

ソファに横になって眠っていた。

どこまでも純粋な人なんだな。

私は先輩を起こすと着替える。

すると先輩は「トイレにでも籠っているから」と私を止める。

裸を見られて困るような人とこんなところに来るわけないのに……。

私は脱衣所で着替えて化粧をする。

流石にすっぴんだと愛莉に気取られそうだったから。

愛莉というのは私の母さんの名前。

片桐家の娘は皆母さんの事を「愛莉」父さんの事は「パパ」という。

愛莉もおばあちゃんの事を「麻耶さん」と呼んでいるからそういう習わしなんだろう。

着替えると部屋を出る。

支払いのシステムを知らないらしい。


「あの、精算しなくていいんですか?」


しかし先輩は本当に初めて着たみたいだ。

私は代わりにフロントに電話して支払いをしようとすると「俺の方が年上だから」とお金を払ってくれた。

私は先輩に何もしてないのに。

せめてモーニングくらい奢らせてくださいとお願いする。

近くにあるファミレスで朝食を済ませると家に帰る。

何も言わずに帰る先輩。

本当に女性に接するのは初めてなんだ。


「連絡先とか聞かないんですか?」


そろそろ私の気持ちに気付いてくれてもいいんじゃないかと思たけど、気づいてくれなかった。

普通に連絡先を交換して先輩は帰っていく。

当然の様に先輩からメッセージすら届く事は無かった。

今度は私の方から動かないとダメらしい。

今度は逃がさない。

二度目の恋愛の相手はとても手ごわいけど面白そうだ。


「今日はありがとうございました。またお願いします」


そうメッセージを送ってベッドに入ろうとすると、すぐに返事が来た。


「こっちこそ本当にごめん。また明日」


だからそのすぐ謝る癖を止めて欲しい。

私が悪い事をしてるみたいになる。

謝らなければならないような行動を示して欲しい。

私はいつでも待っているから。

こうして私の2度目の恋愛が始まった。

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