第3話 お泊り

「私先にシャワー浴びていいですか?」

「あ、どうぞ」


片桐さんはタオルと寝間着を取ってシャワールームに入った。

俺は今無駄にでかいベッドの上にいる。

落ち着け。

確かこれR15タグつけてたよな?

まずやることはなんだ?

テレビのリモコンを取ってテレビでも見て落ち着く事にした。

2秒でテレビを消した。

今の音シャワールームに届いてないよな?

テレビを見て気分を紛らわせるという手段すら封じられる恐ろしい場所。

枕もとにはエアコンの調節と明りの調整、そして薄いビニール袋に梱包されてるゴムがある。

でかいマッサージ機らしいものがあるが、それがマッサージ機として正しく使用されていないことはそういう動画を見て研究済み。

まさか自分がこういう事態に直面する日が来るとは思っても無かった。


「ホテルに泊まっていきませんか?」


理由は「せっかくここまで来たんだし」

片桐さんはこういう経験豊富なんだろうか?

なんかの漫画であったな。

ベッドの上でタバコを吸う彼女に床に正座して「よろしくお願いします」と頭を下げるシーン。

片桐さんは彼女なんかじゃないけど。

片桐さんがタバコを吸うなんて話聞いたことないけど。

これからどうしたらいい。

ここはビジネスホテルなんて生易しい物じゃない、正真正銘のシティホテル。

当たり前の様にベッドは一つしかない。

それだけはまずい。

彼女とどころか風俗ですら経験無いのにいきなりこれか?

幸い今は4月。

そしておあつらえ向きのソファがある。

あそこで寝ればいい。

そんな事を考えていたら片桐さんが出てきた。

ホテルに備えつけの寝間着を着ている。

その下がどうなっているのかは考えないことにした。


「先輩も汗流して来たら?」

「そ、そうだね」


片桐さんと同じように寝間着とタオルを持ってシャワールームに入る。

シャワーがやたらでかい。

妙な形をした座椅子に違和感丸出しのマットと謎の液体。

正体は知っているけど取りあえず考えないことにした。

体を洗って湯船に入る。

ボタンがあるので押してみるとバブルバスになった。

生まれて初めての経験だ。

音がデカい。

こうやってリラックスしていれば、興奮もおさまるだろう。

甘かった。

今頃片桐さんは何をしているだろう?

何を考えているのだろう?

考えている間に元気が出てきやがった。

沈まれ!

早まるな。

お前の出番は一生無い!

30年掛けて得た称号「魔法使い」

今さら捨てる気はないぞ!!

50年くらい掛けたら「賢者」になれるのだろうか?

そういや、事の後妙に冷静になる時間を「賢者時間」と呼ぶらしいな。

とりあえず一生鞘から抜かれる事のない伝家の宝刀を鎮める事に集中した。

伝家の宝刀というほど立派ではないと思う。

比較したことが無いのだから分かるはずがない。

あ、動画で見た物よりは粗末だな。

段々収まって来たのを確認すると出ることにした。

服を着ておけばよかったのに下着だけ穿いて、寝間着を使った。

シャワールームを出ると薄暗い照明になっている。

片桐さんはベッドの上に横になっていた。


「片桐さん、布団をかけないと風邪引くよ?」


声をかけてみたけど反応が無い。

あんまりやりたくないけど、片桐さんに近づいてみる。

寝ていた。

寝息もたてずに静かに寝ている。

まさか死んでないよな?

確認の為、手首を掴んで脈を確認しようと思ったけど止めておいた。

例え手首でも片桐さんに触ったら、歯止めが利かなくなる気がしたから。

まあ、どうやって進行していけばいいのかもよく分かってないから悩む必要は無いんだけど。

いくらなんでも初体験が「寝込みを襲いました」はなんか嫌だ。

しかしこの場にとどまっているのは危険だ。

寝間着から覗かせる白い乳房がまた俺を緊急事態に陥れる。

悩んだ末、薄い布切れがあったのでそれを彼女の被せて俺は予定通りソファで寝る。

しかし裸に近い年頃の女性が同じ部屋で寝ているという事実が中々俺を眠らせてくれない。

徹夜も覚悟した。

片桐さんが起きたら速攻家に送ろう。

……しまった!

着替える場所が無い!

片桐さんが起きたら俺はどこで着替えればいい?

片桐さんの前で半裸姿を晒すのか?

考えた末、一度来た寝間着を脱いで服を着て寝た。

どうせしわになっても気にする必要は無い。

色々考えていたら、いつの間にか眠っていた。

そうだ、これは夢だったんだ……。

そう思い込むことにした。

だけど現実は常に残酷だ。


「先輩、そんなところで寝ていたら風邪引いてしまいますよ」


片桐さんの甘い声で俺は飛び起きる。

恋愛小説なら甘い場面かもしれないけど俺にしてみたら、ただの修羅場に戻された気分だ。


「お、俺何もしてないから!!」


痴漢を疑われた男の心理ってこんなものなんだろうか?


「分かってます」


片桐さんはそう言って微笑む。

……意外と綺麗なんだな。

そんな風に見とれてると。


「あまり見ないでください。すっぴんだし」

「あ、ごめん」


女性に慣れてない男性なんてこんなもんだよ。

すると彼女はおもむろに寝間着を脱ぎだす。


「ま、待って!俺トイレにでも籠っておくから!」

「どうしてですか?」

「着替えるんでしょ?」

「……それなら私が脱衣所で着替えるから」


化粧もしておかないと親に疑われるし、と片桐さんは笑って言った。

片桐さんが着替え終わると俺は部屋を出ようとした。


「あの、精算しなくていいんですか?」


ドアひらかないと思いますけど、と片桐さんが言った。

確認すると確かに開かない。

問題はここからだ。

どうやって精算するのかわからない。

戸惑っている俺を見て察したのか、片桐さんはフロントに電話する。


「チェックアウトします。飲み物等は飲んでません」


てきぱきとこなしていく片桐さんを見とれていた。


「本当に初めてなんですね」


片桐さんはそんな俺の様子を見て言った。

片桐さんは慣れてるのかな?

電話を終えた片桐さんは出口の部分にあるパネルを操作して財布からお金を取り出そうとする。

それはいくらなんでもまずいだろ!!


「ああ、俺払うから!」

「でも誘ったの私だし……」

「お、俺の方が年上だから」


理由になっているのか分からない言い訳をして俺が金を払う。

休前日は高いらしい。

結構な出費だった。

精算が済むと俺と片桐さんは部屋を出てから車に乗る。


「えーと、家はこの近くなのかな?」

「ああ、私実家に住んでて……」


光吉インターの側に住んでいるらしい。

なんで真逆のこの場所を選んだのかまったくもって謎だ。


「あの、ホテル代のお礼にモーニングでもどうですか?」


この近所にファミレスあるからと片桐さんからの申し出。


「でも早く帰らないと親が心配するんじゃ」


娘が朝帰りなんてしたら普通心配なんじゃないのか?

そう言うと、片桐さんはスマホを操作し始めた。


「あ、愛莉?起きてた?私徹夜でカラオケ行ってて」


カラオケの端末は置いてあったから嘘はついてないだろう……多分。

愛莉って誰だろう?


「……と、いうわけで朝ごはん食べて帰るから。うん、昼までには帰ると思う。じゃあね」


そう言って電話を終えた片桐さんが俺の方を見てにこりと笑った。


「これで心配ないですよね」


意外と大胆な子なんだな。

ファミレスに行って、モーニングを注文すると片桐さんに聞いてみた。


「こういうのって慣れてるの?」

「ダメですよ、先輩。そんな事女性に聞くのは失礼です」

「あ、ごめん」

「……そうですね。2年振りくらいですね」


てことは2年前は行ったのか?

俺が初めてというわけではなさそうだ。

片桐さんくらいの年なら皆経験済みなんだろうな。

と、いう事は聞かないことにした。


「誰と行ったか気にならないんですか?」


気づかった俺は馬鹿なのだろうか。

彼氏と行ったらしい。

まあ、普通は彼氏と行くだろう。

何人くらいいたんだろう?

結構美人だし両手で収まるんだろうか?

あまりプライベートな事は話さない子だったから、そんな事を話すのが不思議だった。

食べ終わると片桐さんを家に帰る。

この時間なら高速使うまでもないだろう。

光吉インター付近になると片桐さんが案内してくれる。

そして家に着いた。


「ありがとうございました」

「いや、こっちこそいろいろすいません」

「そのすぐ謝る真似は止めた方が良いと思いますよ」

「気を付けるよ」

「……いいんですか?」


へ?


「何が?」

「連絡先とか聞かないんですか?」


どうして?


「そう言うのって知らない男に教えるものじゃないでしょ?」


多分あってると思う。


「先輩は会社の先輩。知らない人じゃないですよ」

「まあ、そうだね」

「それに『連絡先を教えたくない男』と一緒に寝たりしません」


その言い方は非常に語弊があると思うんだけど。

少なくとも一緒には寝ていない!


「それとも他に付き合ってる人いるんですか?」

「いや、それはない」


何せ俺は魔法使いだから。


「じゃあ、問題ないですね」


聞く必要も無いと思ったんだけど、まあ知ったところでどうなるものでもないしと連絡先を交換した。


「ありがとうございます。誰にも言わないでくださいね」


まあ、言うような奴もいないんだけど。


「それと……これから、私と2人でいる時だけは『冬莉』と呼んでください。私も成行さんと呼ぶから」

「なんで?」


非常に間抜けな質問だと我ながら思った。


「それくらい自分で考えて下さい。それじゃ、また」


そう言って片桐さんは車を降りると家に帰っていった。

俺も家に帰る。

俺は一人暮らしだ。

家に帰るとPCをつけてニュースサイトを見て回る。

検索ワードに「同僚に連絡先を教える女性の気持ち」とかを入れてみた。

俺に限ってそれは無いだろう。

そういう結論に達すると急に眠気が来た。

PCをつけたまま俺は眠りについた。


「それじゃ、また」


片桐さんがそう言ったのを思い出すことは無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る