5-5:太陽と月は交わるか
「カリム、痛いのか? 悲しい?」
目を覚ましたラルスには、あまり事態は把握出来ていないらしい。座り込んだまま俯いて動かないカリムの頬を舐め、気遣わしげに顔を覗き込んでいる。
まるでこっちがいじめっ子だな、とリズーは溜息をついた。己の言葉の何が、それほどにカリムに突き刺さったのかは分からない。リズーとしては、騎士としての、自分達の在り方を語っただけだ。カリムの反応だけで彼の人生を悟れるほど、リズーはカリムを知らなければ察しが良いわけでもなかった。頭を掻こうとして、ぬと、と生暖かいものが手を汚す。先程打ち付けた頭から、遅れて血が溢れ出たらしい。舌打ちして、ふらつきそうな足を踏み締めた。その足も、負った傷がじくじくと痛む。
「……で? 俺もお前も満身創痍だがよ、大人しく投降――しちゃくれねぇよなぁ、やっぱ」
息を吐いて、リズーはそれだけ問う。暫し黙っていたカリムは、やがてゆっくりと立ち上がって拳銃を構え直した。ラルスがぴこ、と狼の耳を立てて、真似るようにその隣に並び立つ。
「――それでも、ラルスの傷は浅い。勝つのは私達だ」
強く睨み、カリムはそう言い放つ。それはマフィアとしての矜恃のようでもあり、子供の意地のようでもあった。
そして、事実でもある。リズーはといえば体のあちこちに銃弾を掠め、腕の一本は骨折し、足は片方大きく抉れて、強く打ち付けた背中は軋み、軽減したとはいえ爆風のダメージも浅くはない。マクスウェルとアリシェルがこちらに合流するのは時間がかかるだろうし、そもそもあちらも戦えるほどの状態かは怪しい。対して、カリムはほぼ戦闘不能に近いだろうが、ラルスは軽傷だ。彼をリズー一人で相手取るのは勇敢を通り越して無謀に近い。
――だが、睨むカリムの目に踵を返す気にも、どうにもなれない。リズーは垂れてくる血に片目を瞑りながらも、口角を吊り上げた。
「いいぜ、来いよ。満足いくまで相手してやるからよ」
カリムが、ぐっと眉間に皺を寄せる。ラルスはそんなカリムとリズーを交互に見てから、もう一度カリムを見て首を傾げた。
「いいのか?」
その問いに、カリムの目が揺れる。だが、一度開いた口は、言葉を発さないまま閉ざされ、そのままただ頷いた。
――すい、と、ラルスが首を傾けてリズーを見る。脱力した体は、狩りの前の獣と同じだとリズーは知っている。
開いた瞳孔に射抜かれ、ぞわりと背筋が凍る心地がする。反射的にリズーは鉤爪を構え、飛び込んでくるであろう衝撃に備えた。
――衝撃は、ラルスがリズーに飛び込む前に、別方向から訪れた。
ラルスとリズーの間に割り込む形で、二者。剣と鉄扇で組み合って飛び込んできた彼等は、金属音を高らかに響かせて反発し、片方はリズーの前に、片方はラルスとカリムの前に、雪煙と氷片を巻き上げて着地する。眼前に現れたその藍色の長い髪に、リズーはぎょっと目を剥いた。
「――ルーク副団長!?」
「っ、! リズー! こんな所まで移動していたか……!」
氷を踏み締め剣を薙いだルークレイドが、ハッと目を見開いてリズーに振り向く。だがすぐに前に視線を戻し、剣を前方に振るった。同時に、銃声と金属音が響く。カラン、と弾丸が転がった。撃たれた銃弾を、ルークレイドが剣で防いだのだった。
煙が晴れていく。ラルス、カリムの前に立ち拳銃を向けるのは、青銀のメッシュの入った、切り揃えられた黒い髪の女。
「ホン姉!」
ぱっとラルスが表情を明るくする。その名の響きと、何より見た目の特徴から、リズーは目の前の女が
「ラルス。カリムを連れて下がりな」
「姉様……、私は、まだ」
「カリム」
異論を唱えようとしたカリムをその名の一言で黙らせて、紅花は顎で彼等を促す。
「もうじきこの大合戦も終わりだよ。アンタ達には別の仕事をしてもらうってだけさ。いいね?」
――ぐ、とカリムは口を噤んで、頷いた。それをラルスは合図ととったか、軽々とカリムを抱え上げ、飛ぶ。獣のように大地を蹴り霧雪の中に消えていくその姿を追う術を、リズーは持たなかった。
痛みに顔を顰めながらその姿を見送って、リズーはふと、この場にルークレイドしか居ないことに違和感を抱く。同じ組として、ラインバッハと、何よりソラが居たはずだ。
「……副団長、ソラ様は……」
その問いに、ルークレイドが苦く顔を顰めたのを見て、リズーはざわりと心が騒ぐ。
その耳の、機能を取り戻した通信機に触れて、ルークレイドが吐き出した息が白く空に消えていく。
「ソラ様は、……月の機械精霊と共鳴した。ラインバッハと、ソル・ヴィリアからルイーゼとアグリが追っている」
事態は、どこも荒れていたらしい。苛立ち混じりに、リズーは血が薄く凍った髪を乱雑に掻き混ぜた。
ざく、ざくと、薄氷を割って進んでいく。氷木が生えるばかりの景色は変わり映えがない。どこまで進んだのだろうと、ぼんやりと、ソラは思考していた。
ルークレイドやラインバッハの声は聞こえない。彼等を置いての単独行動という、騎士団長に有るまじき行為を、ソラの『ソレイラージュ・ラグナス・ヴィスリジア』としての部分が強く非難している。だが、それでもなお、この脈打つ心臓が、進み続けることを止めさせない。
やがて辿り着いた洞窟に、迷うことなく足を踏み入れた。中までは雪は入り込まない。自然にできた洞穴の中、その側面にいくつかの鉄製の扉が嵌め込まれている。人為的に、何者かが此処を居住拠点にするために加工したのだろう。その何者か、は、考えるべくもない。
それらの扉を無視して、ただ真っ直ぐに進む。一番奥、扉を挟まずに、ただ空間が広がっていた。広間として使われていたのか、その用途は定かでない。或いは何のためでもなく、そういう空間がある洞穴だったからそのままにしておいただけかもしれなかった。
その先に、いくつか大岩が転がっている。そのうちの一つに一人の男が座っていた。黒いコート、黒い髪。その姿に、ソラには覚えがある。彼を見て大きく高鳴る、この心臓の音にも。
カチコチ、カチコチと、心臓が喧しい。緊張したように息が少ししづらくなって、全身に血流が巡る感覚がする。この感覚を、なんと呼べば良いのだろうか。
――ああ、それでも。この心臓が、彼を求めてやまない。けたたましく、煩く、絶えず叫んでいるのだ。
ソラが剣の柄を握り、振り抜くと同時にその胸から飛び出した光の龍がソラの腕に巻き付くように剣に向かい、その切っ先を形成していく。光り輝く、太陽の剣となる。
男が、振り向いた。高く輝く月のような青灰色の瞳は、あの月夜と変わらない、綺麗な色をしていた。男の胸部から飛び出したのは、闇を煮詰めたような黒い狼だ。
「――名前は」
ソラはそう、静かに問うた。あの日、男が問うたように。男は少し目を伏せて、口を開く。
「
「宵」
宵。もう一度反復して、ソラは目を細める。
「お前は」
男、宵がそう、問うた。
「――私は」
笑いが浮かびそうになる口角を引き締めて、ソラは真っ直ぐに男に切っ先を突きつけた。
「私は、ソレイラージュ・ラグナス・ヴィスリジア。ヴィスリジア皇国騎士団長として、太陽の御子の名を背負う者」
そうだ。ソラは騎士団長であり、人の上に立つ者であり、私的な行動は許されない立場なのだ。それは宵も同じことなのだろう。
――だが、今は。
心臓が高鳴っている。この心臓が、彼を求めて鳴いている。引き締めきれずに、ソラの口角が笑みを作る。
「私は――太陽の機械精霊、リュオネス」
その言葉に、宵が目を細めて、――笑った。狼は黒く、男の手元に渦巻いて、黒く輝く双剣となる。
「俺は。……月の機械精霊、デュオネス」
ああ、高揚している。
この心臓が、彼と一つになりたいと叫んでいる。
――剣が一閃を薙ぐ。白と黒、二つのエネルギーは巨大な柱となって、洞窟の天井を貫いた。
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