5-3:軍配の上がる先

 この氷のフィールドを作り出した仕組みは、大したことではない。ウェルフィエン森林地帯の地下には巨大な分核が存在している。それは特に聖地シューザリアで祀られる水の機械精霊の波長が強い。この森林地帯の分核は、水の機械精霊の本核からの恩寵を多く受け取り、森林地帯を中心に、付近の土地に受け取った恩寵を施している。

 すなわち、恩寵には流れがある。分核の位置から同心円状に、この森の大地には機械精霊の加護が流れているのだ。それが、ちょうど、リズーの位置からマクスウェルの位置へ、であった。

 攻撃の直前に体の重心をずらし受け方を整えて、リズーは本来ラルスが殴り飛ばしたかったであろう方向とは異なる――計算通りの位置へと飛ばされた。一瞬とはいえ意識まで飛ばされたのは想定外だったが。

 精霊種と精霊石は相性がいい、らしい。ユーフェンが狼月ラァンュエの聖技官・ラムラスの仕掛けた罠状霊技器を分析した見解は、端的にまとめられてリズー達にも届いていた。

 リズーもマクスウェルも精霊種の仕組みなど知らないが、九年間霊技器を扱ってきた経験と実感はあった。霊技器を振るい、災骸の甲殻を断つ時、霊技器でない武器にはない奇妙な――力、が流れ込む感覚がある。おそらくはソラのような、機械精霊の契約者が振るう精霊器に宿るものと同種の力なのだろう。この流れを上手く太刀筋に乗せて、災骸の甲殻に流し込めば、普通の武器では傷一つつかないその甲殻に亀裂が入るのだ。その流れを扱う技術とは、霊技器を扱い災骸と戦う人間には必須のものだ。

 ――さて、ならばその流れを、機械精霊の加護という、精霊種と相性の良い力の流れに加えればどうなるか。

 似たようなことを――リズーとマクスウェルは知る由もないが――先程、ライナルトが行っていた。水の機械精霊の加護精霊石によって起こされた霧雪を霊技器で切り裂く、即ち、霊技器の放つ流れを以てして、精霊石が起こす流れを断つこと。この場合の力の流れは対象の力に対して垂直方向にであったが、今、リズーとマクスウェルは並行方向に同時に流した。それも、リズーは分核からの流れに対してに、マクスウェルはより強い力でに。

 リズーが増幅した流れは、マクスウェルに押し戻されて。力はその空間にのみ、倍加する。

 水の機械精霊の恩寵は湧き水であり、凍結である。一時的に増幅し閉じ込められたそれは、見事――リズーの直感とマクスウェルの計算通り、分厚く硬く一切の摩擦を持たない氷の上に、カリムとラルスを閉じ込めることに成功した。


「……」

 ぐ、とカリムが姿勢を低める。一歩でも歩けば滑りかねない氷盤の上に閉じ込められた彼はそれでも、闘志を――あるいは敵意を、絶やさない目でリズーとマクスウェルを睨む。

 徐に、彼は氷盤に向けて、拳銃を構えた。

 ――銃声音。

「ッリズー!」

「――ッ!」

 驚くほど躊躇いなく撃たれた弾は、真っ直ぐにリズーの眉間を狙う。拳銃を構えられた時点で身を反らしたリズーにそれが命中することはなかったが、カリムは低めた姿勢で反動に耐えながらさらに乱射する。リズーへ、マクスウェルへ、時に氷の跳弾を受けて予測不可能に。

 そうしながら、彼は覚束ないながらも滑り、倒れたラルスの傍にしゃがみ込む。素早くラルスを背負い、カリムは――彼の霊技器である、長物の剣を振り抜いた。そのままの勢いで、その切っ先を氷に突き立てる。機械精霊の恩寵で張られた氷に、霊技器の刃は確かに通った。

「――ッ侮るな!」

 癇癪のように、積年の怒りを爆発させるように、叫んで。カリムは突き立てた霊技器に、己の拳銃を宛がった。カリムが拳銃の引き金に力を籠める。霊技器が、わずかに赤みを帯びる。

「! まさか、ッ抜かった! その銃も――!」

 精霊石だ、と。

 ハッと、マクスウェルが顔を強張らせ、叫ぶ。同時に、リズーは考えるより先に駆け出していた。足元に障壁を張ることで、氷の数センチ上を駆け――、カリムに向かう。その鉤爪の切っ先はカリムに――否、カリムの霊技器へと向かう。氷から弾き飛ばさんと。

 ――違法拳銃には、火薬の威力を高めるため、炎の精霊石が組み込まれているものがある。異なる機械精霊の恩寵が強い土地では精霊石は不備を起こすが、拳銃のように瞬間的な衝撃によって起動させるようなものでは、その影響は少ない。

 つまり、

「同じことが――ッ、私に、出来ないと思ったか!」

 迫るリズーに、カリムは睨み上げ、叫んだ。リズーの鉤爪の、切っ先が、霊技器にわずかに触れると同時だった。

 撃針が打たれる。火花が散って、弾けて。炎の精霊石の力に、霊技器が生み出す流れが加わる。水の機械精霊の恩寵が溜まる氷の中ではその力は内側に押し込められ、だが消えもしない。そうして渦巻いて、熱は、霊技器の、金属のうちに溜まっていく。

 ここまで、瞬きにも満たない時間だった。


 炎の精霊石と霊技器のエネルギーが、渦巻き、溜まり、やがて、水の機械精霊の恩寵――そのを貫いて、氷に至れば、どうなるか。

 簡単だ。氷は一瞬にして水になり、水蒸気となり、その体積はおおよそ千七百倍に膨れ上がる。

 それが、瞬間的に。


 今、起こった。


 ――轟音。

 一帯に張られた氷を全て吹き飛ばした水蒸気爆発は、その周辺の森林地帯の木々を、大地を、大きく抉り吹き飛ばしてクレーターを作り上げた。その中心地にいたカリムは、自身も有していた障壁霊技器である程度防いだものの、服は一部が破れ、殺しきれなかった衝撃に酸っぱいものが口の中に広がるのを、自覚していた。それでもラルスを守るように抱えて、空を飛ぶ。いや、くうに吹き飛ばされている。あちこちが軋むように痛む体では、受け身を取れる自信はなかった。だが、爆発で騎士団の二人を戦闘不能にできているなら、それで良い。あとは、可哀想に目覚めないラルスさえ地面に打ち付けられるようなことが無ければ、と――そう、ラルスを抱きしめる腕に力を込め、打ち付けられるであろう着地点に、目線を投げて。

 ひゅっと、息が止まる。心臓が跳ねて、血流が遠のくのを感じる。


 吹き飛ばされるであろう、着地点。そこに敵であるマクスウェルが駆け付けていた。


 恐らく爆発の衝撃を守るための障壁の枚数や性質を弄り、自身へのダメージを殺しつつ爆風を利用して、回り込んだのだ。そういう細かい調節が、皇国騎士団が有する――聖技祭・ユーフェンが作成した障壁霊技器でなら、出来ると、聞いたことはカリムにもあった。そうして、マクスウェルはカリム達の飛ばされる先に回り込み、大斧を振り被る。

 ――死ぬ。

 直観的な、そんな予感が、カリムの背筋を凍らせる。

 或いは、皇国騎士団は殺さないかもしれない。斧の背で打撲して、気絶させて、捕縛するだろう。だがそれも、カリムにとっては死と変わりなかった。何を考えているか分からない、何をされるか分からない。他人の手中に捕らえられ、生殺与奪の権を握られるということは、そういうことだった。

 

 ――絶望。カリムの顔が、皮肉にも今までで一番子供らしく、歪む。全てが、スローモーションに見えた。マクスウェルが真っ直ぐにカリムを射抜き、斧を握り。

 その目が、大きく見開かれた。


「――アリシェル!!」


 彼の斧は、振るわれることはなく。

 あろうことか振りかぶったそのまま、放り投げて、マクスウェルは駆け出した。

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