5-2:陽の洞より誓いを込めて
「お、こんにちは。ここはいい場所だな」
そう、赤い髪をひとつに括った男が笑う。木漏れ日に照らされた、大樹の大きな洞の中――リズーがいつも使っている、口うるさい家族から逃げるための特等席に居座るその男に、リズーはあからさまに顔を顰めた。
「そこ、俺の場所なんすけど」
「いやぁすまんすまん、少しだけ一緒に居させてくれないか? 実を言うと人から逃げているんだ」
そう茶目っぽくウインクした、彼の瞳は髪と同じ鮮烈な赤色だ。赤とはヴィスリジア皇国の皇族であることを示す色。そして、現在その色を髪と目の両方に持つ存在は一人だけだ。それが誰か、十四年前、当時十二歳のリズーもよく知っていた。
ソルドレイク・ラグルス――当時はソレイラージュ・ラグルスと呼ばれていたその男に、リズーはそれでも憮然と顔を顰める。太陽の機械精霊に選ばれた騎士団長、皇族、太陽の御子。数多の栄光たる名を持つ男に向ける顔としてはあまりに不敬だろう。そうであるのに、男――ソルドレイクは気を害した様子もなく笑っている。
リズーの血筋である軍人達と、騎士団は折り合いが悪い。軍は騎士団に僻みと悪意を向け、騎士団は軍に嫌悪と嘲りを向ける。軍人ばかりの家で育ったリズーもまた、騎士団についての多くの悪口を聞いていた。しかし、今目の前にいるその筆頭は、呑気に笑って「今日はいい天気だな」と寝転がる。
「(これがあの騎士団のアタマぁ? ただの呑気なオッサンじゃねぇか)」
訝しむ目線を向けるリズーに気付いているのかいないのか、雲を見て猫に似ているだとか笑っていた。文句をつけるのも馬鹿らしくなって、リズーもまた隣に座る。風が穏やかだ。
その日は皇国には珍しく、比較的暖かい日だった。息を吐いてリズーは空を仰ぐ。こんな日は、山で駆け回りたい。
「こんな日は山で駆け回りたいな」
――そう考えた瞬間に隣で声が聞こえたから、リズーは目を丸くして顔を向ける。ソルドレイクは軽く笑ってこちらを見た。
「もしかすると同じことを考えたかな? どうせなら一緒に行くか!」
「……山駆け回ったって何の役にも立たねぇだろ」
俺みたいに。そうとも付け加えて。
――冗談めかして笑うソルドレイクの言葉に、つい、意地を張るようにリズーは返した。その言葉は、つい先程、リズーが父親に言われたことだ。
『いつも山だの駆け回ってみっともない。そんなものがなんの役に立つ。そんなことをする暇があるならマナーの一つでも諳んじてみせろ』
下らない、とリズーは思う。マナーだの礼儀作法だのおべっかだの、それこそ覚えてなんの役に立つというのか。だが家の中では、それが出来ないリズーこそ何の役にも立たない落ちこぼれなのだ。性根を鍛え上げると言って、家に軟禁される予定すら耳に入っていた。もう全部、嫌になる。
獣のようだと、よく揶揄されていた。落ち着いて座っていられもしない。五感が人より鋭く、大多数が気にならない匂いや音にも過敏に反応する。武畜なんじゃないかとからかわれた事すらある。いっそ本当に獣に生まれていればいくらか楽だっただろうかと、リズーは泣きたい気持ちになった。
「役になら立つさ。山の中でも自在に駆け回れなきゃ、災骸を相手取れない」
――そう、あっけらかんとその男は言った。驚いて顔を上げたリズーに、変わらず男は笑っている。
「君はもしかすると、戦士の素質があるかもしれないぞ。なにせ、こんなに良い場所を見つける勘がある」
俺と一緒に来るかい。
そう、彼は太陽のように笑ったのだ。
殴り飛ばされ、氷木に強く打ち付けられて。動かなくなったリズーをカリムが横目で見る。マクスウェルは無言のまま、一歩、二歩、後ずさる。
「終わりだ。大口をたたいた割にあっけなかったな。――ラルス、よしだ」
ラルスはリズーを飛ばした方を見て、一度首を傾げるが、カリムの合図と共に鋭い爪を立てて黒い腕を振りかぶる。
――鳴ったのは、骨を抉る鈍い音でも肉を潰す音でもなく、リズーの鉤爪が攻撃を受け止める金属音だった。
「武畜ってのはとんでもねえな。一瞬、意識飛んで、懐かしい夢見ちまったじゃねえかよ」
そう。
人より五感が鋭く、揶揄されてきた幼少期を思い出してリズーは笑いを零した。自分が武畜などとんでもない。結局、人間の範疇だ。本物には遠く及ばず。
認めよう。ラルスは強い。その動きに上手くついていくカリムもまた。
――それでも、リズーは笑った。
カリムが目を見開いて、リズーの方に振り返る。本能で空気の変化を感じ取ったか、ラルスの、とうにズボンから飛び出してしまっていた狼の尻尾が一斉に毛を逆立てる。リズーが受け止めていた方の鉤爪を振り払い、もう片手の鉤爪を、ラルスの体の中心に向かって突き立てんと振るった。当然、ラルスは飛び退き、その切っ先を躱す。
ラルスの身は軽やかに、宙に飛んだ。リズーはさらに追撃する――ことはなく、突如、己の足元に己の鉤爪を深く突き立てた。リズーの鉤爪――すなわち、彼の霊技器が淡く青色に発光する。何かに共鳴するかのように、波打つように。
「ブチかますぞ、――マクスウェル!」
リズーが叫ぶ。ハッと、カリムは再度、リズーに向けていた視線を正面に戻した。そこにいたマクスウェルが、居ない。
「ああ、――来い、リズー」
その姿を見つけるのは早かった。マクスウェルは少し離れた後方、今まさに、大斧を振りかぶっている。
ラルスがカリムの前に着地すると同時に、マクスウェルの大斧が氷を割って大地を抉る。ラルスは、何かをしでかそうとする敵に唸りを上げ、再びその狼の脚で大地を蹴り上げる。
「ギャンッ」
――瞬間に、尻尾を踏まれた犬のような悲鳴が上がった。
「ラルス!?」
踏み込もうとした地面に滑ったのだ。地面に顔から叩きつけられ、動かなくなったラルスにカリムが叫び、駆け寄ろうとして、ハッと顔を強張らせる。
カリムは同じ轍を踏む前に、現状に気付いたらしい。優秀だな、とリズーは喉奥で笑った。
彼らの足元は――一面の氷に覆われている。それも、この森林地帯にもともと薄く張られているそれではない。もっと、反射するほど滑らかで、なによりも、ラルスが踏み込めないほどに硬く厚い氷だった。ラルスとカリムがいる一部――リズーとマクスウェルに挟まれたその一帯だけが、そうなっていた。
睨むカリムにリズーは笑う。
「聖技祭みてーな観察眼はねえけどよ、いい加減分かるぜ。
視線を投げた先ではラルスが倒れている。思い切り頭を打って気絶したのだ。致命傷ではないが、暫くは起きないだろう。
ラルスの脚力が驚異的であることは、先程まで戦っていた場所に多く散らばる――霧雪による修復が追い付かないほど深く抉られて――割れた氷の痕が良く示している。同時に、腕だけであればリズーの力でも振り払えるほど腕力自体は強くない。その代わりに、霊技器と組み合って傷一つつかない硬さを持っている。深く、薄氷を割って破片を盛り上げ、土すら露出させるほどの反作用を与えて飛び上がり、その勢いのままに殴りつければ、腕力が人並みであろうと人間にはありえないほどの破壊力を宿すだろう。ラルスの特殊な四肢にある構造とは、驚異的な脚力を持つ足と、その破壊力に耐える硬い腕なのだ。
だが、突出した能力は時に己自身に牙を剥く。その結果が、その驚異的な脚力を以てして滑った時にラルス自身に与えられた、気絶するほどの衝撃だったというわけである。
「――お前らも必死なんだろうがよ、みすみす俺も、マクスウェルも、殺されるわけにいかねえんだよな。だからよ、」
息を吐いて、リズーはカリムを見た。自分達を睨むその目には、感情が見て取れる。怒り、憎悪、殺意――その全てが、ラルスを害したリズー達への敵意だ。
よくわかる。
カリムにとって、正義は
――それでも、その敵意に流されてやることが優しさなどではないことも、よく知っている。
「だから、お前らを捕縛する。俺達は、皇国騎士団だ」
皇国騎士団は人民の太陽だ。そして、ソルドレイクはリズーの太陽だった。
彼の守りたかったものを守るために、リズーは
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