第5話:氷上のダンスホール
5-1:火種は弾けて燃え上がり
繰り返される金属音は霧雪に吸い込まれていく。二つの影が、その腕と足を幾度もぶつけ合い、切り結び、距離をとる。その応酬は互角――では、決してなかった。
「なかなかやるな、
そう笑う
次いで、彼女は口角を歪めて笑う。
「そちらは、小娘一匹に随分手間取ってらっしゃること。拍子抜けですわ」
「……この状況でよく口が回るこった。惚れそうだぜ」
低く笑って返した、垓の姿が、――その一瞬で、アリシェルの視界から消えた。
見失ったのも、一瞬だ。即座にアリシェルはほぼ直感的に気配を探り、考える前に靴に仕込んだ刃を振るわんと踏み込み。
だが、その足が大地を蹴るよりも先に、垓の鋼の拳はアリシェルの真横に迫っていた。
アリシェルの細い体が飛ぶ。
それはいくつかの氷木にあたり、薄く氷の張った地面を割り、数回転がって、しかしその両の足で着地した。膝をつき、吐き出した息が白く消える。血で滲む視界で、周囲を確認する。最初に戦っていた地点からそこそこ移動してしまった。ここは森の高地なのだろう。アリシェルが吹き飛ばされた道の少し先は見えず、おそらくその先は切り立った崖となっているのだということは、ナビゲートを受けずとも察しがついた。
《アリシェル。今、戦闘班長達がそちらに向かっている。何とか持ちこたえてくれ》
ジラフの低い、感情を押し殺した声が通信機から届く。
指で信号を送る代わりに、瞬きを三回素早く繰り返して通信室に了解の意を送る。心配をかけてしまっている、と、アリシェルは息を吐いた。見ているだけの
――それにしても。
「……随分、ヌルいですのね」
ざく、と大地の氷を割って歩み寄る垓に目を向ける。垓は無表情に、冷たい瞳でアリシェルを見下ろしていた。
――アリシェルを殴り飛ばして。そして、そのまま追撃し首を切るでも押さえつけるでも垓には可能だったはずだ。当然、それを予期してアリシェルとて構えてはいたが、垓は追撃すらしてこなかった。
「(甘く見られている、わけではない)」
女だからと手加減をしているようにも、アリシェルには感じられなかった。これまで切り結んだだけの感覚を判断材料にした直観に近しいものではあるが、垓はおそらくそういった性格ではない。では、彼は何を計ろうとしているのか。
垓がまた一歩踏み出して、一つ、息を吐いた。
「……お前ら、何故
突然の問いに、アリシェルの反応は一拍遅れた。垓はさらに、言葉を続ける。
「皇国騎士団は災骸討伐のための組織だろ。ならず者の対処は皇国軍の管轄のはずだ。何故皇国騎士団が、わざわざ出張った。誰が命じた? 国王か?」
問いかけながら、その問いの答えには、既に確信を持っているような声音をしていた。垓が僅かに目を眇める。
「俺達が、月蝕事件を引き起こしたとでも思っているのか?」
一拍。その場に沈黙が立ち込め、ただ、霧雪を躍らせる風の音だけが響いた。
「……まるで、違うとでも言いたげですわね」
アリシェルには、そうとしか返せなかった。その疑いがかかっているのは、事実だ。騎士団に与えられた命令は、機械精霊を保有し、虚無区化や突然の災骸化に関与している疑いがある狼月の調査及び制圧だった。
だが、その言葉を返した瞬間に――アリシェルに、重圧がのしかかる。それが目の前の男が発する殺気であり、怒気であるとはすぐに分かった。
「俺達が……ね、奴隷ごときに何ができるものかよ。あんなことができる奴が――」
反射的に身構え、警戒を強めたアリシェルに、あくまで垓は静かに声を落とす。独り言のような声で、それでも、明確にそれはアリシェルに――否、騎士団に向けていた。
「機械精霊の原点たるヴィスリジア皇国。精霊種の開発。霊技器の開発」
アリシェルの眼前に、垓の腕が。――鋼の腕が、一瞬にして迫っていた。彼の声は、静かな、静かな、怒りを秘めていた。
「
その声は――通信機を握り潰された耳元で、アリシェルにだけ届いた。
獣の唸り声が響き渡る。
「グアア!」
吠え声と共に、再び黒い影がマクスウェルに躍りかかった。その腕は最早肉体というよりもそのものが武器に等しい。獣、ラルスのその拳は、マクスウェルの大斧に受け止められてなお勢いを失わず――受け止めた、マクスウェルの体は空に浮く。バキバキと、ラルスが踏み込んだ足元の氷が割れて、その足が沈み込むと同時に氷が盛り上がる。
「ぐっ……!」
浮遊感。しかし、まんまと吹き飛ばされて無防備に追撃を受けるわけにはいかない。咄嗟にマクスウェルは障壁を張り、――自身の上側にそれを張って、蹴りつけて落下するように地表に戻る。
その先で、カリムが拳銃を構えていた。
銃声。
そのすぐ後に、金属音。カリムの銃弾を、マクスウェルの着地地点との間に割って入ったリズーが弾き飛ばした音だった。だが、それすら想定内だったのだろう。鉤爪を振りかぶってできたリズーの隙に、もう一発、銃声が鳴り響く。
血飛沫が、氷を汚した。
「掠っただけか」
舌打ちを零して、カリムは煙を上げる拳銃に素早く弾倉を入れ直す。ラルスは割れた氷に埋もれた自分の足を乱雑に引き抜いていた。
マクスウェルが、浅く、荒く、息を吐く。一度ラルスの拳を食らった腹は動くたびに痛みが走る。肋骨に軽いヒビくらいは入っているのかもしれなかった。血を吐き捨てて、常よりも重く感じる大斧を引きずる。
「……おい、まだ動けるか馬鹿犬」
「誰に言ってやがる豚野郎。鈍間なてめーよか動ける」
悪態は相変わらずだが、リズーも先程の銃弾に加え、ラルスに握られた腕は骨折、カリムの毒入りナイフを食らった足は毒抜きのために咄嗟に自分で肉を抉りだしての満身創痍だ。
リズーがついと、ラルスが暴れまわったせいでバキバキにひび割れた氷の大地を見渡し。それから、マクスウェルに目だけを向けた。口を小さく動かす。カリムには見えない程度の動きだった。
“わかってっか?”
“ああ”
その、声なき声に、マクスウェルは目くばせで返す。
彼らは現状、後手後手に回っていた。ラルスの動きは素早く――あまりにも、人間の範疇を超えて――素早く。さらにその破壊力はすさまじい。その対応の隙間を縫って、カリムが的確に二人を削ってくるのだ。反撃しようにも、ラルスは素早く、カリムは遠距離から狙う上にラルスに邪魔されて接近すらできない。敵ながら素晴らしいコンビネーションだと言わざるを得ない。ラルスの破壊力、その強さはもちろん、カリムの頭脳と誘導が、ラルスの知恵無き強さに知恵を与えるのだから、厄介なことこの上ない。
“打開が必要だ”
そうとは、リズーもマクスウェルも、伝え合わずとも通じていた。
――カリムが白い息を吐く。激昂していた子供は、幾分か冷静さを取り戻したらしい。
「殺して災骸になられるのも面倒だ。大人しくしていれば、楽に気絶させてやる。……ラルスは良い子だからな」
ラルス、の名前を呼ぶ声だけは、甘い。ラルスが得意げに笑って、姿勢を低くした。とうに捕らえて足を折った獲物をいたぶる仔狼のごとく、リズーとマクスウェルに狙いを定めているのだろう。
リズーが笑った。
「ああ全く――楽しそうにしやがるぜ。成程な? 怪物扱い、されるわけだ」
あえてゆっくりと、強調するように告げられたリズーのその嘲りは、再びカリムの地雷を踏みぬいた。
「――ラルス!!」
叫ぶように、癇癪のように、カリムは声を上げる。呼応して、ラルスは一瞬にしてリズーの懐に入り込み、その身を吹き飛ばした。
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