4-9:支える者達
ふらりと、ソラが一歩踏み出して歩いていく。はっと、ルークレイドはそれに面喰らって、次いで「ソラ様?」と呼びかけた。
返事はなく、歩みも止めない。ソラが振り向くことも無かった。
「ソラ様、副団長、通信室との連絡が切れました! ノイズがヤバくて繋がんねえ……!」
「何……ッ」
ラインバッハの切羽詰まった声。それにルークレイドが応答してなお、ソラは振り向かずに進んでいく。既に、ルークレイド達との距離は離れつつあった。それに気が付いて、ルークレイドはぐっと顔を顰める。明らかに、正気ではない。
「ッ、ソラ様!」
足を踏み込み、その赤髪の小さな背に手を伸ばす。
――その手は、ソラの身を覆うように一瞬だけ現れた龍型の光に弾かれた。
「ッ――!」
弾かれた衝撃に、思わず一歩下がってしまう。そんなルークレイドとソラの間に割り込むように、銀の一閃が降りかかった。ハッと、ルークレイドはそれを己の片手剣型霊技器で受け止める。
キィン、と、金属音が静かな雪の森に高らかに鳴り響いた。振り降ろされた
「……貴様、何をした」
「何も」
唸るルークレイドに、紅花は端的に答えた。
「ただ、私達はボスに従う。ボスが彼の意思に従うってんなら、そうする。それだけの話さ」
「彼? 何を……」
その問いには答えないまま、紅花が持つ拳銃が僅かに傾く。ルークレイドが大地を蹴ったと同時に、銃声が鳴り響いた。
銃弾に撃ち抜かれたルークレイドの髪が数本舞う。金属音。再び、ルークレイドの片手剣と鉄扇が噛み合う。同時にルークレイドが抜き放ったナイフの先が紅花の拳銃の先を塞いでいて、紅花は舌打ちと共に鉄扇を薙いで後方に飛ぶ。それらの一連の動作が、ほぼ数秒で繰り広げられる。
「ラインバッハ! ソラ様を!」
「っぎ、御意!」
ルークレイドの怒号に、ラインバッハがハッと姿勢を正し敬礼をして駆け出した。その背に発砲された紅花の銃弾を、ルークレイドが間に入って弾く。
己を睨みつけるルークレイドに、「無意味なことを」と呟いて、紅花が一つ息を吐いた。
「アグリ君、ブリジットちゃん。もういいよ」
ユーフェンの端的な声が、嫌に大きく響いた。靴音が響いていた通信室が、一瞬、静まり返る。
――即座に、一人、駆けだした。ブリジットだった。
「いいって何がれすか! ソラ様達に、騎士団のみんなに何か起こってんすよ!」
覚束ない滑舌で、それでも強くユーフェンを睨み上げ、小柄な体でその胸倉を掴み上げる。勢いよく飛びこまれたユーフェンはやや噎せるが、間に入ろうとしたルイーゼを手で押しとどめ、ブリジットを無理に引き剝がすことはなかった。
「ごめん、言葉が悪かったね。僕も少し動転してしまった」
代わりにそう静かな声で返し、落ち着かせるようにブリジットの肩を軽く叩く。ブリジットは手を放しはしなかったが、押し黙り、ユーフェンを見上げる目には戸惑いが混じっていた。ユーフェンがひとつ息を吐く。
「いい、というのは、この場で何をしようがどうしようもない、ということだ。ソラ様とルーク副団長、ラインバッハさんの通信が切れたのは、機材の故障でも何でもないからね。
――通信機にも、当然精霊石は動力源として組み込まれている。そういうこと」
「……水の機械精霊の恩寵が強い地帯に入っちまったとでも言うのかい?」
「いいや、土地そのものは媒介でしかない。要は動力源の精霊石とは別の属性を持つ機械精霊の恩寵が強く出れば通信機に不具合は生じる。水の機械精霊よりはるかに、ソラ様に影響を及ぼすことのできる機械精霊はいるだろう」
暫く黙っていたグロリーがそう静かに問うた言葉に、ユーフェンはあくまで淡々と返した。分かるだろう、とでも言うように。
「そもそも、ソラ様が精霊石を使った道具を使えるのは、太陽の機械精霊がそれを許しているからだ」
――通信室に、沈黙が走る。
それは、誰もが考えていたことだ。それでいて、思考の枠から追い出していたことだ。
太陽の機械精霊は騎士団長に恩寵を与え、騎士団を支え庇護する存在だと――信仰すべき神であると、それは、疑うべきでない前提であるはずなのだから。
「先に言おう。太陽の機械精霊――リュオネス様は、ソラ様を害するために僕達とソラ様を隔絶したわけではないと僕も思う」
沈黙を最初に破ったのはやはりユーフェンだった。通信室の空気が一瞬ゆるみ、しかしすぐに、強張った声でブリジットが「じゃあなんで」と唸る。
それに返答を返したのはルイーゼだった。
「月の機械精霊が、いるからですか」
「……そうだね。きっとそうだ。そもそも、共鳴し合う危惧はあったんだ。だがこうも強硬的に惹かれるとは思っていなかった――もっと対処をしておくべきだった。僕の落ち度だ」
ユーフェンが苦く唱える。
太陽の機械精霊と月の機械精霊は、元はひとつの同じ物だった、対の機械精霊。その伝承を纏めた紙束が握りしめられて、ユーフェンの手の中で皺になる。
「機械精霊は、人間とは違う判断基準で動いている。本能、とでも呼ぶべきか――彼等が僕達に恩寵を与え、ヴィスリジア皇族を契約者に選ぶのもその一つだと僕は思っている。恐らくは、太陽王に与えられた役目を果たすこと、が彼等の最優先事項だろう」
その上で、と続けて、一度ユーフェンは息を吐いた。
「……分かたれた、元は一つだった二つの機械精霊。彼等が本能的にお互いを求めるとすれば、その目的には想像がつく。問題はそれにソラ様の身が考慮されているかどうかだが――まあ、期待はしない方がいいね。
とにかく、ソラ様を止める必要があるだろう。ルイーゼ、調整薬はあるね?」
「ええ、十分に――空気銃での投与を?」
「出来るかい。現場慣れは僕より君の方があるだろう。やり方は教えたとおりだ」
師の問いに頷きで返して、ルイーゼは次いでグロリーに向き直る。騎士団長と副団長との連絡が途絶えた際、統括権は操縦班長チャドか整備班長グロリーに委任されることとなっていた。
「グロリー整備班長。コード
「……許可する。聖技祭の判断でもある、最善なんだろう」
グロリーは一瞬顔を苦く顰めたが、その決断は早かった。彼女もまた長年騎士団に属する経験深い識者だ。その賢明さに敬意と感謝を込めて、ルイーゼは素早く敬礼を返し、通信室から出ていった。
「ぼ、僕も行く! 行かせてください!」
震えた声が響く。声の主はアグリで、彼はその身を僅かに震わせながら――その震えた身を抑えつけながら、真っ直ぐにグロリーとユーフェンを見ていた。グロリーが顔を顰める。
アグリがかつて民族国があった巨大な虚無区と隣接する土地に対して謎の恐怖心を抱いていることを、当然グロリーは知っていた。同時に、アグリがこんな時にそんな駄々をこねるほど子供ではないことも。
「駄目だ。震えた子供のお守りをしている暇は無いんだよ」
「僕は目がいい! 銃で遠くから薬を投与するなら僕の目は役に立つよ!」
だがそれを踏まえても、今は時間がない。だからそう冷たく返せば、思いの外、強い抵抗が返ってくる。いい加減にしろ、とグロリーが叱りかけたのを押しとどめたのはユーフェンだった。
「許可しよう、ジーン女史。押し問答している時間も惜しい。……アグリ君、君が動けなくなったらその場に置いていく。自分でソル・ヴィリアに帰ってきてもらうか全部終わるまで待機していてもらうかだ。いいね?」
「はい!」
ユーフェンの言葉に強く頷いて、アグリはルイーゼを追って通信室を飛び出して行った。その背を目で追って、グロリーは深く溜息をつく。だがやがて首を振って、未だユーフェンの首元で手を彷徨わせたまま事が進むのを見ていたブリジットに目を向けた。
「ブリジット。ルイーゼとアグリには通信機と発信機、それからコンタクトレンズを与える。どれくらい使えるかは分からないが、ナビゲートを頼むよ」
「わ、わかりました」
狼狽えながらも、ブリジットは漸くユーフェンから手を離す。ふと、ユーフェンが呟いた。
「……調整薬は、機械精霊と契約者の同調を緩和するためのものなんだ。こういう時のために、注射用も作った」
それは誰かに話しかけているというよりは、独り言のようだった。ブリジットにしか聞こえないほどの声量で、それでいて、ブリジットにも目を向けていなかった。その目がどこを向いていたのかも、長い髪に隠れてよく見えない。
「元々は、ソルドレイクさんを止めたくて作ったものだった」
――無意味だったけれどね。
そうとだけ加えて、それからは、準備を終えたルイーゼが戻ってくるまで何も話すことは無かった。
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