4-8:異変

 ――一方。森林地帯のある一角。

《方向そのまま。その調子であれば、リズーとマクスウェルの戦闘地点まで残り三十分です》

 通信機から響くグロリーのナビゲートに指で機械を叩いて了解の意を返し――その手を翻して、雪道の先を進むソラは、背後に従うルークレイドとラインバッハに速度を上げる旨の合図を送った。三人の初期地点は戦局から離れた場所になってしまい、長い移動を余儀なくされて未だ合流が叶わなかったのだ。

 強く踏み込んで、ルークレイドがソラの隣に並ぶ。

「ソラ様、……本当なのでしょうか。狼月のラルスが、……武畜、というのは」

 通信室から送られてきた情報と、モニター画像。それを思い出し、ソラは口を噤んだ。少年の赤紫の髪の隙間から生えた狼の耳――

「分かんねぇっしょ、それは。そもそも武畜自体、千年前の伝承の代物だ。特徴が同じだからって千年前のそれと同じかどうかは怪しい」

 背後からラインバッハが口を挟む。それもまた真実だろう。

 しかし。

「……一番の問題は、と同一かどうかだな」

 サジェンタ村とリスリー村の壊滅が、もしも本当に怪物の仕業ならば――獣の体の一部を持ち、人間を遥かに超える力を持つ生命体が本当に存在するのだとすれば、脅威だ。千年前の伝承に語られるものと同一でなかったとしても、大災厄の種たる【武畜】として扱っても――そう、大袈裟でもないだろう。

 何にせよ、リズー達を放置は出来ない。報告によれば、ライナルト達は活路を開いたらしい。アリシェルの援護とガイの捕縛は彼らに任せ、ソラ達は真っ直ぐリズー達の戦闘地点に向かう、というのが、通信室のナビゲーター達が下した判断だった。変わらず、三人は氷木の間を駆け――

 ――ハッと、ルークレイドが顔を上げる。同時にソラは右手を掲げ、後方に停止の合図を送った。一行が薄氷を割り、その場に踏み止まって立ち止まる。ソラより一歩前に、ルークレイドが踏み出して唸った。

「誰だ」

 睨みの先。

 確かに感じたの持ち主へと、ルークレイドは威圧を込めた低い声を鳴らす。背後で、ラインバッハが腰のショートソードに手をかける。

 ――警戒と殺気の中、氷木の影から現れたのは、女だった。

 強気な印象を与える黒い瞳は、まっすぐに三人を射抜く。整った顔立ち、ではあるだろう。だが、顔にいくつも引かれた傷の縫い痕が、顔立ちに威圧感を与えていた。ぱっつんと切りそろえられた黒髪は、後ろは団子に括り上げ、前髪は右分けにされて左目を隠している。そんな前髪の一部に入った青銀のメッシュは、ソラ達が情報を集めた人物の特徴と位置していた。

「――紅花ホンファ

 名を呼ばれ、女――狼月ラァンュエの主要な構成員の一人、紅花は、白く息を吐きだした。

「皇国騎士団、団長。太陽の機械精霊の契約者、ソレイラージュ・ラグナス・ヴィスリジアだね」

 自身の名前を知られていることに、予想はしていたのだろう。そこに言及することはなく、代わりにソラに目を向けた。庇うように間に入り、睨みをきつくするルークレイドには目もむけず、紅花は続ける。

「うちのボスが会いたがってる。アジトまで案内しよう」

 ――その言葉は、予想だにしなかったものだった。

「……どういうことだ。己の拠点を我々に示すというのか?」

「まあ、もうじきただの空き地になる予定の拠点だがね」

 低く唸るルークレイドに、紅花が一瞥だけを寄越して口角を上げた。そのやり取りを目で追いながら、ソラは小さく手を翻して後方のラインバッハに合図を送る。

 通信を。

 その合図の意図を正しく汲み取り、ラインバッハは頷いて通信室へと状況を報告する文を指で打ち込みだす。既に紅花が現れた視覚情報はコンタクトを通してモニターに映し出されているだろう。ラインバッハの動きを確認し、ソラは改めて紅花に目を向けてルークレイドの隣に並んだ。

「アジトを摘発するためにやってきた我々を案内するということは、投降でもしてくれるのか」

 ソラの言葉に、紅花が「まさか」と笑う。


「招くのはアンタだけだ、太陽の


 ――カチン、と。大きく、ソラの心臓が機械音を立てた。


《アイタイ》

 ――ソラは、ラァと違い、機械精霊の声を聞いたことは無い。しかし、理解した。今、己の脳に響くこの声が、であることを。

《アイタイ アワナケレバ ワタシノ》

 内側から響く声か、外側から伝わる声か、それは分からない。ただ分かるのは、その声があまりにも切実だったことだった。

「……ソラ様?」

 その声が切実で――一方で、ルークレイドの声が、あまりにも遠く。


 ソラは、副官の声に応えることなく、ただ足を踏み出した。




「……とにかく、詳しい話は落ち着いてからにしましょう、ライナ。この男は捕縛して――アリシェルさんの援護に向かわなければ」

 はっと、気を取り直してライナルトとラムラスの間に入ったオズワルドに、ライナルトは一つ二つの瞬きの後に息を吐き出す。冷静を失っていた自覚はあった。人間が災骸になる――それは、ライナルトには、どうにも嫌なことを思い出してしまう。

「そうだな。済まない、オズ」

「あー、話終わった?」

 欠伸を零してペドロが言う。まさかとは思うがラムラスを抑えつけながら転寝していたとでもいうのだろうかと、ライナルトは流石に怪訝に顔を顰めた。そんな視線をものともせずに、オズワルドに手渡されたロープでラムラスの後ろ手を縛りながら「垓はもう少し手応えある相手だと良いなあ」とペドロは笑う。相変わらずの様子にやや気を抜かれつつ、ライナルトは溜息をついて通信機を叩いた。

「ラムラスの捕縛が完了。このままアリシェルの援護に向かうので良いのだな?」

《マイクを代わった。こちらチャド。ああ、……ああ。そうしてくれ》

 間。

 返答の、その小さな間だけで、ライナルトには他チームに何か異常があったのだと感ずるのは十分だった。小さく、ライナルトは眉をひそめる。しかし、ナビゲートであるチャドのこの返答。それはつまり、その異常というものは、ライナルト達が即座に動いて好転することのできないものだということだ。それは距離の問題か、はたまた異常のの問題か――どちらにせよ、全ての状況を俯瞰する通信室で、『現場のライナルト達に連絡しない』という決定を下した。それこそが、『今はそちらに気を払わずにすべきことをしろ』という指示と同義である。その全てを、ライナルトは的確に汲み取った。

「了解。詳細の報告は必要時に頼む」

 だから、返答は端的だった。


「ああ」

 通信室。

 聡明なライナルトへの感謝と賞賛を込めて、チャドもまた端的に返す。

 ――通信室は、俄かにざわめきたっていた。今作戦時、現場チームごとのメインナビゲーションを務める者――ソラ達にはグロリー、ライナルト達にはチャド、リズーとマクスウェルにはランドルフ、アリシェルにはグロリーから引き継いでジラフがという割り振りだが――以外、即ちブリジットとアグリはモニター全体の監視や測定、情報の整理、ナビゲーションの補助を行っていた。その二人が今は一つの問題にざわめき、原因を探して解決するべく駆け回っている。機材の不調か、こんな時に。異常はなかったはず。そんな声を飛び交わせながら、通信室で彼等の靴音が鳴り響く。

 彼等が見るのは――彼等の団長であるソラ、そして同行するルークレイドとラインバッハの位置を示す点があったはずのモニター。

 

「ソラ様! ルーク副団長! 聞こえるかい!? 聞こえないのか!」

「兄さん……!」

 ソラ達のメインナビゲーションであるグロリーが、そしてルイーゼが必死に呼びかけている。返答はない。

 周囲の喧騒の中、ユーフェンだけが、手元の資料を握りしめてじっとモニターを見つめていた。

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