4-7:迷宮解いて、糸の先は何処へと

「カリムとラルス、ブチ切れちゃったかぁ」

 霧雪の中、遠くから一度響いた轟音に、手元の小型端末をいじりながら男がぼやく。薄い青紫の髪を乱雑にかき混ぜて、翠の瞳で氷木が連なる、何もないの広い森を眺めて。

 髪と目のどちらとも――刻国クゥーグゥオの民にはあまり見られない色をしていた。

「あの子たちまだ熱くなりやすいとこあるからな~。ところで、そっちどーぉ? いい感じ?」

 端末をいじり、耳元に手を当てて男は問う。そうして、通信先の返答を聞いて、うんうん、と頷いた。

「あ、私? 私は今のところ問題ないよ~。騎士団の班長二人含めた三人組、現在進行形で閉じ込めてるとこだか」

 ら。

 ——言い切る前に、男の目が見開いて、口角を上げたままその身が固まる。

 何もないように見える森は、霊技器で囲われた領域だ。男が立っていたのはその一角、感覚を狂わせる霧の迷宮を作り出すためのコア地点。何もないように見えるのは、内部を迷宮に閉じ込めて区切っているからに他ならない。内部が明らかになるのは、この迷宮を解放した時のみ。

 だから。

 

「は、あ、うそ」

 狼月ラァンュエに所属する聖技官であり、罠状霊技器の製作者である男は――本人の存ぜぬところで――ユーフェンに天才と称された脳味噌を停止させていた。

 しかし。自身の迷宮が破られたことを理解した瞬間に、銀の瞳の羅刹が己の眼前に腕を伸ばしていたならば、それも致し方ないことだと言えよう。


 刹那の出来事だった。


「――ッが、」

「はい、捕獲」

 悲鳴を上げる間もなく、男はうつ伏せに倒されて両腕を背後で拘束された状態で取り押さえられる。本来の役目として戦闘員でない男が逃げる道など無かった。

 男をそうやって捕縛したうえで体重をかけてのしかかり、ペドロがへらりとやる気のない顔で笑う。パキンと、その後方で機械が壊れる音がした。

「取り囲んでいた霊技器の破壊を完了した。聖技祭の言う通り、中心のが無くなればあっけなく崩壊したな」

 何もなかったはずの空間――否、罠状霊技器に取り囲まれて周囲から遮断されていた迷宮結界は、霧が晴れるように元の姿を取り戻していく。最早周囲の氷森となんら変わらない一角となった迷宮から、剣を一閃払ってライナルトが現れた。後方からオズワルドも顔を出す。

「ペドロさん、締め落とさないでくださいね。その方にはお聞きしなければならないことがたくさんあります」

「わかってるわかってる~。おじさんも元軍人だも~ん捕虜の扱いは知ってるよぉ」

 へらへらと笑うペドロにオズワルドが溜め息をついたところで、通信機が震えた。

《お疲れ様です。流石ですね》

 ルイーゼがそう笑う。ああと応えて、ライナルトは息を吐いた。

聖技祭そちらの推定通り、術者は一人。中心の霊技器から周辺の子機に遠隔操作を行っていたようだ。迷宮は無事崩壊した」

《それは良かった》

 ルイーゼの隣に居るのであろう、少し遠いユーフェンの声が聞こえた。

 ――霊技器の使用には術者が要る。剣状や靴状霊技器にも物理的に武器を振るう使い手が、障壁を遠隔で出現させるにも実行者が。基本的に、一つの霊技器には一人、扱う人間がいるのが定石だ。当然だ、使い手無くして道具は動かない。

 だから、複数の霊技器で取り囲み結界のように閉じ込める罠であれば、普通は術者が複数人要る。


《この罠を形成しているのは一人だ。だから、対人慣れしてるペドロさんにその人物の捕縛を頼みたい。術者を抑え込めば罠の破壊は一気に楽になる》

 時を少し遡り。ペドロへの頼み事として、ユーフェンはそう告げたのだ。霊技器のを知っているライナルトは当然顔を顰めた。

「一人だと? いくつかの霊技器が同時に作動しているのだろう?」

《ええ。しかし、解析の結果どうやらこれらの霊技器はのです》

 返したのはルイーゼだ。カタカタと何かを打ち込む音と共に、彼女は唸る。

《先程送った推定位置にある霊技器以外は、その霊技器よりも反応している【恩寵】の密度や濃度が低く、弱い。恐らくこれは子機です。本機からの遠隔操作を受けて単純な反応を返すだけの》

《面白いよねえ。本当に応用力が高い》

《とにかく》

 どこか楽し気なユーフェンの声を遮って、ルイーゼは声を低めた。

《そこに術者――狼月ラァンュエの聖技官が居ます。恐らくは組織の中心人物の一人、未だに何の情報も得られていない人間です。お気をつけて対処をお願いします》



「――さて、無事、確保に成功したわけだが」

 意識を過去の回想から現在に引き戻し、ライナルトはペドロが地面に抑えつけている男に一歩近づく。

 男、である。現在、狼月の構成員として確認されたのは四人だ。そのうちカリムとラルス、ガイは既に他の場所で交戦している話が出ている。あとは紅花ホンファだが、それは女だと報告されている。何より、性別を抜きにしても、――目の前の男の、薄い青紫の髪と翠の瞳は誰とも一致しない。

「……っいったぁ~……私戦闘員じゃないんだから、もっと優しくしてえ……」

 男が呻き、唯一動かすことのできる顔を上げた。そこで、ようやく通信室にも男の顔が見えたのだろう。

《あれ?》

「どうした?」

 ユーフェンがそんな間抜けた声を上げた。ライナルトが聞き返せば、暫く唸った後、あー、と思い出したように話し出す。

《うーん、うん。僕この人知ってるな。ラヴィニア砂王国の人達が霊技器の作成を教わりに来た時に居たと思う。勿論国同士の、砂王国側が選んだ正式な使者しかいない講義だったんだけど……


彼はラムラス・ル=ダフマン。ラヴィニア砂王国の学者で貴族だ。成程、彼が聖技官としての技術や知識を持っているのも当然だろう》


 その言葉は、少なからず、ライナルトとオズワルドに衝撃を与える。

 ――ラヴィニア砂王国の貴族。

 衝撃とは、刻国の民を奴隷として使役する立場である貴族の男が刻国の民と同じ組織に属しているらしいことも、だが――月蝕事件で滅んだラヴィニア砂王国の人間であることだ。

「……やはり、狼月は月蝕事件に関わっているのか」

 元より、その疑いは出ていた。だが、刻国の民の名だけでは弱かったこともまた事実だ。刻国が砂王国に侵略・吸収され、機械精霊を奪われ、奴隷とされていたことは事実でも、砂王国の支配から逃げ密かに別所で生き残っていた民の可能性は捨てきれない。月の機械精霊の保有も、ライナルトのその目で確かめたわけではなかった。だが、刻国の民が擁する組織に、ラヴィニア砂王国の貴族がいるとあらば――跳ね上がっていた可能性は、ほぼ確定になったと言ってもいい。狼月は、だ。

 ふ、と息を吐き、ライナルトは歩み寄って――男、ラムラスの前に立つ。彼の銀髪が風に靡いた。

 戦闘班長として経験を積み、鍛えたライナルトの眼光には迫力がある。高い地点から見下ろされる威圧感は凄まじいものだろう。――その目を向けられる対象でないオズワルドも、一瞬、体が強張った。ラムラスはと言えば引き攣った笑みを浮かべて、「なぁに」と言葉だけは軽く返す。

「月蝕事件。――何故、あれほどの大国が、何故あれほどの人数が、災骸となった。死せば、確かに災骸と成ってしまう。だが弔いの儀式で回避できるようになったはずだ。――その猶予を与えられない、災骸化、が、何故」

 ぐ、と、強くライナルトは拳を握りしめる。それに気が付いたのは、ラムラスを抑えつける形で目の前に座っていたペドロだけだった。

 ライナルトが、低く唸る。

「知っていることを全て、話してもらおう」

「……さぁ、話せるかはうちのボス次第かなあ?」

 対して、ラムラスは青ざめた顔ながらも、未だに笑みを崩さなかった。

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