4-6:戦況、一転
――でも、千年前には居たらしいじゃないの。人の体に動物の一部を持つ、怪物が。
そう笑うペドロの言葉が、嫌に反響する。人の体に獣の一部。それは、御伽噺の存在のはずだった。だがラルスの耳の付け根に継ぎ接ぎのようなものは見えない。完全に、彼の人の体から、狼の毛が生え、耳が、下半身が狼のそれになっている。
同時にマクスウェルの脳裏に過ぎったのは、サジェンタ村とリスリー村の壊滅を起こしたと噂されている、――人のものでは無い動物の体を持った、
「かい、ぶつ……?」
思わず漏れ出たマクスウェルのその言葉に、ギッとカリムの目が吊り上がる。同時に発砲音が響いた。それは咄嗟の大斧に弾かれ、跳弾して氷を割る。だがそうしてカリムから意識を逸らした一瞬の隙に、カリムはマクスウェルの首元めがけて剣を振りかぶっていた。背を逸らして切っ先から逃れたマクスウェルの、逃れきれなかった髪の先が切れる。
「黙れ! そんな目でラルスを見るな! この子を怪物と呼ぶ貴様らの方が怪物なんだ!」
「ッ、待て、恐らく我々は違うものを指している、ッ!」
聞く耳を持たず、カリムは迫るように追撃する。素早く切り付けられる剣を弾きながら、マクスウェルは舌打ちを零した。
獣の吠え声が背後で響く。
「――っぐぅ……ッ!」
ガキンッ!! と、マクスウェルのすぐ背後で、もう少し離れていたはずのリズーが呻いた。彼に飛びかかるラルスの片腕は、手袋が破れ素手が覗いている。その形は足と違って人のものではあるが、凡そ人の色ではない黒の肌をしていた。南部の人々の黒い肌とも違う、災骸のものでもない漆黒は、リズーの鉤爪と噛み合ってなお傷一つつかない。
その刃物のような鋭い爪は真っ直ぐにマクスウェルの首を狙っていて、咄嗟にリズーが間に入らなければ喉笛を貫かれていたのだろう。
「ジャマ、だ」
狼の如き唸りを喉の奥で鳴らして、ラルスは、もう片方の手でリズーの腕を掴む。ミシ、と骨が軋む音がして、リズーが呻いた。その声に、咄嗟にマクスウェルが己のショートソードを握る。
刃がカチャリと鳴る、その小さな音だけで、それを振るって引き離そうとした意図を察したのだろうか。否、そうだとして、ほぼ本能的なものだろう――そうマクスウェルが思考できたのは、全ての後。リズーの体が放り投げられ、一息もせずに、拳をマクスウェルに振り被るラルスの姿を視界に入れた時だった。
森が揺れた。ようにすら、感じた。
《あー、テステス。聞こえる?》
やや間の抜けた声がライナルトの耳に届く。同じ通信はオズワルドやペドロにも入っているようだ。チャドから三人への通信マイクを借りたユーフェンが軽く笑いかける。
《ちょっぴりピンチだ。リズー君とマクスウェル君、それからアリシェルちゃんも押されがちで、ソラ様とルーク副団長、ラインバッハさんは今はトラブルがないけど距離が遠い。リズー君とマクスウェル君の方は驚きの映像が届いてたりするんだけど……まあそれは君達の目で確認した方がいいだろう。
リズー君とマクスウェル君、アリシェルちゃんが戦ってる地点はそれぞれ近いし、君達がこの罠から抜け出せさえすればすぐ合流できる》
そう言って、ユーフェンは変わらぬ声音で笑いかけてくる。
《というわけで、罠から抜け出してもらいたい》
「方法が分かったのか?」
《方法というか、罠の仕組みだね。多分これも霊技器だ》
正確には霊技器と同じ作りと称した方がいいかなと言葉を挟んで、彼は続ける。
《そもそも霊技器って、まあ精霊種を作りに加えていたら剣だろうが靴だろうが障壁装置だろうが霊技器なんだけど。これも恐らく精霊種を使って――面白いね、水の機械精霊の加護を組み合わせてる。要するに、霊技器に水の精霊石も加えてる。
君達の周りに降り積もる雪は水の精霊石の効果だろう。その霧雪が、君達の感覚器官を狂わせて、方向感覚を奪い、幻覚を見せている》
――精霊石。道具に機械精霊の加護を付与するための、小さな分核。機械精霊の本核が宿る土地でのみ育つ特殊な鉱石。飛行艇には風の精霊石が組み込まれ、ベキュラスには数多くの雷の精霊石が普及し、暖房やホットカーペットにはごく小さな火の精霊石が使用されている。それは異なる機械精霊の恩寵が強い土地では不具合を起こすが――成程、水の機械精霊の恩寵が強いウェルフィエン森林地帯で、水の精霊石が効果を発揮するのは当然だろう。
《実際、精霊種の原理からして精霊石とは相性いいんだよね。組み合わせて効果が出るのはそれはそうって感じ。災骸に対して炎とか氷を纏わせた武器を使ったって大して効果は無いから発展してこなかった技術だけど、対人なら効くだろう。いやー凄いねこれ、面白いなぁ》
《感心している場合ではないでしょう》
この状況下で相変わらず朗らかに笑うユーフェンに、ルイーゼがマイクの外で窘める声がやや遠くに聞こえる。
精霊種の原理、とあっさりと言ったが、それはライナルト達は勿論、ルイーゼのような聖技官ですら知らされていない機密事項だ。聖技官に教えられる技術は精霊種の栽培手法と精霊種の武具への組み込み方であり、精霊種がどういった経緯で開発され、どのような原理で災骸の甲殻を切り刻むのかは、精霊種の開発研究に関わった十年前の研究チームに所属していた、ユーフェンを始めとする少数の人間のみで秘匿されている。ライナルトが眉を顰めた。
「精霊種の機密が漏れている可能性は?」
《これだけでそう判断するのは薄いかなぁ。僕以外の研究チームの人達、もう大体亡くなっているからね》
あっさりとそんなことを言って、押し黙ったライナルトをよそにユーフェンは続けた。
《それより試行錯誤で相性に気付いたって方が考えられる。それにしても良いセンスだから向こうの聖技官は天才かもしれないね。
――とまあ、軽口はこの辺にして、さっさと罠は抜けてしまおう》
「できるのか?」
《言った通り、霊技器と精霊石は相性が良い。君達をその地点に閉じ込めているのはその水の機械精霊の力を宿した霧雪だけど、おそらく君達の居る場所を囲う形で罠の霊技器がいくつか設置されているはずだ。一つでも壊せばその迷宮は維持できなくなる》
カタカタと何かを打ち込む音。次いで、がたんとマイクを動かす音がして、女の声になった。ルイーゼだ。
《オズワルド医療班長。計測されたデータから、罠状霊技器の推定位置を割り出しました。デバイスに送信しましたが……届きましたか?》
「ちょっと待ってください、今……はい、確かに」
言葉を受けて、オズワルドがデバイスを操作すれば彼の目の前に小さなモニターが開き、そこには自分達の位置を示す点の他に四つの星が地図上にマークされている。とはいえ、地図上の位置がわかっていても自分達の方向感覚が狂わされている以上、この霧雪の中で破壊するのは至難の業に思えた。
マイクが動く小さな音。ユーフェンが笑う声がする。
《三人の中で一番剛腕なのはライナルト班長だね? じゃあ、お願い。君の霊技器で、霧雪を吹き飛ばしてくれるかな》
――無茶苦茶なことを言ってくれる。だが、意図は、ライナルトも理解できた。
自然現象の霧雪は流石に剣の一閃で吹き飛ばすなど不可能であろう。だが、人為的に、局所的に。精霊石によって増幅された雪ならば。
「霊技器と精霊石は相性が良い――精霊石によって作られた幻覚は、霊技器で切り裂くことができる、と。そう言うのだな? 聖技祭」
ライナルトの確認に、理解が早くて助かるよ、とユーフェンが少し笑う気配。その横から、ルイーゼが声をかけてきた。
《……一瞬だけではありますが、その霧が晴れれば罠の霊技器が姿を見せるはずです。それを障壁で包んでしまうだけでも、一時的に精霊石の効力は遮断されて弱まる――霧雪が復活しないうちに、破壊をお願いします。障壁の方はオズワルド班長のテクニックと観察眼があれば不可能ではないはず。実行時の合図は現場の皆様にお任せします》
「わかりました。ライナ、合図をお願いします」
「ああ。障壁は頼んだ、オズ」
ライナルトとオズワルドのそれぞれの返事を確認してから、ユーフェンが、そうそう、と付け加える。
《ペドロさんにも、別のことをお願いしたい。貴方が一番対人慣れしているからね》
「……へえ~? なぁに」
へらりと、先程まで聞きに徹していたペドロが笑った。
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