4-4:霧の迷宮

――馬鹿犬、アリシェルがガイと交戦を始めた! 急ぐぞ!

――わぁってるっての! テメェのが足おせぇんだよ!


 そんな風に、相変わらず喧嘩をしながらだろうか。モニター上で、マクスウェルとリズーの位置を示す点が進んでいく。ランドルフが通信機を叩き、ナビゲートの指示を出していた。今の所、この二人に問題は無いだろう。

 しかし。

 ――チャドがモニターを睨み、通信機を叩く。モニターに映っているのは、ライナルト、オズワルド、ペドロの三人の位置を示す点だ。その動きを暫し睨めつけて、チャドは苦々しく、嗄れた声をかけた。

「やはり、先程から同じ地点をぐるぐると回っている」


“了解”


 暫しの間を開けて、ライナルトからの返答文がモニターに映し出された。



「罠に掛けられたな」

 息を吐いて、ライナルトは顔を上げて辺りを見渡す。森林地帯の北の方で待機していた彼等がアリシェルの向かう方へ移動して暫く――氷の木々に囲まれた景色は、歩けど歩けど変わることはない。その要因はこの巨大な森林地帯の景色がどこもかしこも同じようなものだからではなく、どうやら物理的に、彼ら三人は同じ場所を回ってしまっているらしい。そのことを、見る羽目になった氷木の傷が物語っている。位置の目印として付けたものだ。

「こういう搦手は面倒だよねぇ〜」

 あーあ、と、面倒そうに力を抜いたペドロが間延びした声を出す。「一応敵地なんですからしゃっきりしてください」と――無意味とわかっていても性分だろうか――オズワルドが一言注意をかけた。次いで、彼はライナルトに向き直る。

「何らかの罠だとして……一体どういう。周りの景色を誤魔化されているとしても、こんなに広範囲のホログラム、皇国の技術にもありませんよ。薬か何か、認識や感覚を直接狂わされているなら……もっとまずいですが」

「ああ。何せいつから作用されたかも分からない」

 ライナルトは苦く答え、周囲を見渡す。変わり映えのしなさすぎる氷の森林が広がっている景色は、歩けど抜け出せない今の状況と併せて気が狂いそうだ。雪はいよいよ量を増し、霧のように白く視界を塗り潰す。このままでは直に隣の仲間の顔すら視認が難しくなるだろう。

「どうする班長? 森の木薙ぎ払っちゃって見晴らし良くするぅ?」

「……ウェルフィエン森林地帯は皇国の重要な領土だ。あまり荒らすのは良くない」

 冗談めかして――とはいえ完全に冗談とも判じきれないのが性質が悪い――笑うペドロを諌めつつ、しかしこのままでは身動きが取れないのは確かだった。通信機が震えて、チャドが「大丈夫か」と声をかけてくる。随分ノイズがかっていて聞き取りづらいその声に、ライナルトは敵の気配はないことを確認してから送信タイプを信号入力から音声入力に切り替えて、「ああ」と応えた。

《お前達の状況のせいなのか、視覚共有のコンタクトレンズも上手く作動していない。そのせいでお前達の視界がこちらからは確認できないんだ。今どうなっている?》

「通信のノイズも激しいな。これが切れるのも時間の問題かもしれない。……状況は、氷の森が広がるばかりだ。雪が激しくなってきていて良くない。隣のオズの顔も見づらくなってきて……他の陣は大丈夫だろうか」

《雪?》

 そこで、チャドが反復する。次いで、嗄れた、訝しむように低められた声が続いた。

《……グランツ戦闘班長。雪の量は、森林地帯全域で変わっていない。少なくとも、周辺十メートルは視認できる濃度だ》



 ――情報の混濁を避けるため、音声入力だろうが信号入力だろうが、外からの通信は文字に変換されて通信室モニターに表示されるようになっている。

「(これは一体……)」

 通信室で、ルイーゼは顔を顰めてノイズが広がるライナルト・オズワルド・ペドロの視覚共有モニターを睨んだ。他のモニターは正常に作動しているが――降雪量はどこも異変がない。確かに霧雪で視界は悪いが、それぞれの視界共有モニターに同行者の姿は鮮明に映っている。ならば、ライナルト達はに居るというのだろうか。

 師であるユーフェンはといえば、そのモニターを一目見てから、黙って手元の機械に何やら打ち込んでいる。その機械のことは、ルイーゼも知っていた。

「……【恩寵】の計測を?」

「ああ、でも精度が悪いね」

 ルイーゼの問いに、ユーフェンは視線はそのままで答える。ライナルト達実働部隊が送信しているのは言葉や視界だけではなく、彼等の周囲の状態――外気温や周辺近くの災骸の反応、そしてマキネスに広がる機械精霊の恩寵の属性ごとのまで――のデータも自動的に通信室に伝えるようになっている。その情報を受け取って解析するのが、ユーフェンが今操作している、机に備え付けられた装置だ。彼がキーボードに打ち込む度、装置の画面が大量の数字を浮かばせては流れていく。その流れていく情報に、ERRORの文字が何度も出現しているのが見えた。

「元々この森林地帯は水の機械精霊の恩寵が強すぎて計測にノイズが出るけれど……それだけじゃないね、これは」

 機械精霊の恩寵が強い場所で、通信に異常が出るのは仕方のないことではある。そもそも、通信自体も風や雷の機械精霊の加護を受けて作用している代物だ。このように加護を受けた機具――通信機や飛行艇のような――は、『精霊石』と呼ばれる機械精霊の本核が宿る土地でのみ育つ特殊な鉱石を動力源とし、それが小型の分核受信機となってマキネス中に存在する恩寵をエネルギーに変換しているのだ。だからこそ、ウェルフィエン森林地帯のように特定の機械精霊の恩寵が強い場所ではその他の機械精霊の恩寵を動力とする機具は不具合が生じる。

 しかし。

「それにしたって、ライナルト班長達だけ異常が顕著だ。丁度水の機械精霊の恩寵が強いスポットに入っちゃったのだとしても、外気温の方に他の組との変化がないのが奇妙だね。水の機械精霊の恩寵が強くて雪が激しくなってるならもっと寒くなってるはず。となると、やっぱり、狼月ラァンュエのせいかな」

狼月ラァンュエ……」

 ルイーゼの様子を感じ取ったか、一度ユーフェンが顔をあげて弟子を見やる。複雑そうな顔で拳を握り締めた彼女に、「嫌そうだね」と笑った。

「うん、でも、実際向こうに居る聖技官はかなり。ただ、多分そんなに殺意は高くないな。君が危惧するほど悪質な輩じゃないと思うよ」

「……何故そうと?」

「勘かな」

 余計に顔を顰めたルイーゼに、あははとユーフェンが声を上げる。

「まあ、なんとなく、ね。騎士団を排除したいって言うよりは、計っている感じがする。何を、かは分からないし、勿論油断も安心もするべきじゃないけれど」

 言いながら、ユーフェンはアリシェルの視界共有モニターを見やった。未だ、攻防は続いている。

 ――リズーとマクスウェルとの通信を担当しているランドルフの声が聞こえた。

「方向そのまま、同一速度で到着時間三十分。異常は?」

 ランドルフの、ナビゲートの様子に問題はない。リズーとマクスウェルの二人は順調のようだ。彼等は彼等同士の相性と戦い方、気質から、サポート役の同行は向かないと判断されコンビでの行動となっている。こういった作戦時にはそれは珍しいことではなく、彼等もまた騎士団が誇る精鋭として確かな実績を残している。

“了解 今の所”

 ――そこで途切れた返答文が、モニターに映し出された。二人の位置を示す点が動きを止める。

 次いで、返答文の続きがモニターに浮かび上がった。


“ラルスとカリム遭遇 敵意あり 交戦を開始する”


 順調な道行は、長くは続かないらしい。視界共有モニターに、霧雪の向こうで立つ二人の少年の姿が映っていた。

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