4-3:開戦は霧雪の中で

「うーん」

 通信室の隅。机上に紙の束をいくつも広げて唸るユーフェンに、待機組に回ったルイーゼが「どうしたんですか」と声をかける。そんな弟子に、ユーフェンは変わらぬ笑顔を返した。

「ああ、ちょっと調べ物をね。モニターの方もちゃんと確認してるからそこは心配しないで」

「それは良いのですけど」

 この大量の資料を捌きながらモニターも確認し的確に状況を捉えるなどという離れ業も、この師はやってみせるだろうとルイーゼにも分かっているのだからその心配はしていない。ただ、と、彼女は歩み寄って資料の一枚を摘み上げた。

「……月の機械精霊の伝承、ですか?」

「うん。本当は皇都出発前に纏めてしまいたかったのだけど、予定よりもバタバタしてしまったからね。頼んでいた資料が弔花を介して今朝届いたから、整理しているんだ」

 答えて、既に視線を資料に戻していたユーフェンが、指遊びに回していたペンの尻軸で己の唇をつつく。彼が考え事をする時の癖だ。

「太陽の機械精霊と月の機械精霊は、元はひとつの同じ物だったと言われている。

太陽王が後に妃とするラーリァ姫を守るために皇国に与えた【天空そらの機械精霊】が、元々の形だ」

 ユーフェンがそう呟く――その伝承だけは、ルイーゼも知っていた。

 かつて太陽王は、マキネスを維持するために土地に宿る機械精霊を、そして愛するラーリァ姫の守護者として人に宿る機械精霊を造り出した。起源がそうなのだから、ヴィスリジア皇国に人に宿る機械精霊が存在するのは当然とも言える。それが何故太陽と月に分かれ、月はヴィスリジア皇国から離れてしまったのか。それは、太陽王とラーリァ姫の間に産まれた双子の対立に起因する。

「対立し殺し合いを始めた双子の兄妹のそれぞれに平等であるために、天空の機械精霊はふたつに分かたれた。太陽の機械精霊は兄の手に渡り、そのままヴィスリジア皇国の皇族に受け継がれ、月の機械精霊は妹の手に渡り、彼女は刻国クゥーグゥオに至り王子と結ばれて刻国の女王となった」

 その先の未来で刻国はラヴィニア砂王国に吸収されて機械精霊も奪われてしまったけどね、と言いながら、ユーフェンは唇でカチカチとペン先を出しては引っこめている。やがてふと、行儀の悪さに気付いたか、ペンを胸ポケットにしまった。彼は考え事をしだすと過集中になるきらいがある。

「……ともかく、機械精霊は全て同じルーツ、太陽王に造られたものだとは言われているが、そんな風に明確にになっている機械精霊は太陽と月以外にない。火の機械精霊と水の機械精霊だって、役割こそ反発するものではあるが、それぞれの伝承に繋がるところはない。その他の機械精霊と同じように、それぞれの場所――火はサンドリア大陸の聖地メラリア、水はヴィスリジア大陸の聖地シューザリアの神殿に本核を宿していて、お互いに接点も共鳴し合うものもない。太陽と月だけが異質で、それが少し、気にかかる」

 言って、ユーフェンは視線を上げてモニターをその碧の目に映す。一番大きな地図のモニターには三点、同じ位置に反応を示していた。赤、藍、青の点はそれぞれソラ、ルークレイド、ラインバッハを示し、彼等の小隊は現在森林地帯の西部から東へ、アリシェルを迂回気味に追って移動している。ユーフェンが見ているのはラインバッハの視界モニター――そこに映る、ルークレイドの隣に立つソラの姿だ。

「太陽と月の機械精霊は、太陽王が最後に造った機械精霊と語られる、人の心臓に宿る機械精霊だ。太陽と月の接触が契約者にどんな影響をもたらすか――杞憂で済めばいいのだけどね」


 ――そう話すユーフェンとは反対方向の部屋の端、アグリが心配そうにモニターを見上げている。彼はそわそわと落ち着かず、どこか怯えるように己の腕を摩った。アグリの胸騒ぎは、昨日から――否、ウェリアス村に近付くにつれてざわざわと彼の心を脅かしている。

 ウェリアス村に限らず、アグリは、かつて民族国があった巨大な虚無区と隣接する土地がどうも苦手だ。そうなったきっかけは覚えていない。グロリー達の旧友であるブラウン夫妻に十年前までの記憶が欠如しているアグリにとって、リゾルディア戦争の話は伝え聞くものでしか無いが、恐らくアグリはどこかの村の戦争孤児で、何かのトラウマを得てしまったのだろうとグロリーは言った。今も、アグリの出生や無くした記憶については手掛かりがないままだ。

 アグリはモニターを見上げ――そのうちの、ソラ達の視界を示すものを見る。ルークレイドの視界と繋がったモニターには、氷の森の中で鮮烈に靡く赤い髪が映っている。

「大丈夫、だよね、ソラ様……」

 それぞれが職務に集中する通信室で、アグリの呟きを聞き取る者は居なかった。



 ざく、ざくと、外套を身に纏う男が白銀の森林を進んでいく。狼月ラァンュエの唯一の手がかりであるこの男、ガイの姿を、アリシェルは一定の距離を保ちながら、気配を殺して追い続ける。

 そうして、どれほど歩いただろうか。森林の中央を抜けて東部、外れとも言える位置まで来て、垓は立ち止まった。はぁ、と吐き出した息は白く染まって霧雪に混じる。

「俺もモテるようになったもんだよな」

 くるり、振り向いて、垓はそう言った。

「どうした。来ねぇのか? それならこっちから行くが」

 ――成程これは、完全に。

 理解して、アリシェルは通信機を叩く。そのすぐ後、垓が氷を蹴り上げると同時に、桃色が揺れた。


 ソル・ヴィリア通信室モニターに文字が表示される。

“尾行失敗。迎撃。捕縛に移る。”


 轟と、自然の風に逆らって霧雪が四散する。雪を混じえた衝撃風が吹き荒れて、周囲の木々が振動する。金属音は、雪に吸い込まれてあまり響かなかった。二つの外套が吹き飛ばされて、彼等が身に纏う衣服が露になる。アリシェルの、皇国騎士団に属する証である白い鎧も。

 アリシェルの靴型霊技器が繰り出した足技をで受け止めた垓が、ヒュウと口笛を鳴らした。

「コソコソ着いてきやがってどんなかと思えば、随分別嬪が来たじゃねぇか」

「あら、褒めても何も出ませんわ?」

 ガキンッと音を鳴らして、二つの影が弾かれるように離れる。お互い後方に飛び去って、衝撃が再び氷の大地にヒビを入れる。だがきっとこれもまた、一日もあれば消えるのだろう。

「貴方も、随分素敵な右腕ですわね」

 アリシェルの視線の先、垓の右腕が鈍く光る。、彼の右の袖は破れていた。

 その腕は、金属の義手だ。その前腕部に仕込まれた刃を、垓はひとつ振るって、内部に戻した。

「皇国騎士団か。思ったより嗅ぎ付けてくんのが早かったな」

「英雄視されるということは人の噂に流れるということですわ。お気を付けあそばせ」

「ご鞭撻どうも。覚えておくよ」

 ――そう、軽い会話を交わしながらも、アリシェルの背筋には嫌な汗が伝っていた。

「(隙がない)」

 この男の実力は、恐らく自分を凌駕する。経験と観察眼から、アリシェルはそう悟った。一対一で勝てる相手ではないだろう。ましてや、捕縛など。

「(通信室から皆に伝令はされた。私がすべきは援軍が来るまで、この男をこの場に引き止め尻尾を踏み続けること)」

 森林地帯に待機していたメンバーは、アリシェルを除いて三組。相性や性格、色々な要素で組み分けされた――リズーとマクスウェルのコンビ、ライナルトとペドロ、オズワルドのトリオ、ソラとルークレイド、ラインバッハのトリオだ。恐らく伝令前から移動はしていただろうが、辿り着くのにある程度の時間はかかるだろう。初めから垓が尾行に気が付いていたのならば、森の各所に仕込みがあってもおかしくない。

 だが、想定の範囲内だ。

 狼月の幹部である垓を、どれほど最適な人員を払ったとしても、とんとん拍子にアジトまで尾行できるとは最初から思っていなかった。その為に最善は尽くすが、戦闘に移行する可能性も、今のこの状態も想定していた。

 相手にとって不足は無く。

 とん、と、アリシェルは靴型霊技器の爪先で氷の大地を軽く叩く。ぱらりと、靴の底に張り付いた氷が落ちた。

《――アリシェルちゃん。彼の右腕、霊技器だ。他の武器や暗器なんかも多分隠し持っているだろう。気を付けて》

 通信機から、ユーフェンが声を掛ける。指先で返事を返して、アリシェルは身を屈めた。

「狼月構成員、垓。ヴィスリジア皇国騎士団の名において、捕縛させて頂きますわ」

 名前を呼ばれて、「有名になったもんだよ」と垓の息が、白く霧雪に溶ける。

「そうかい。こっちも、ヴィスリジア皇国には聞きたいことがあったんだ。

――容赦はしねぇが、悪く思うなよ美人さん」

 パキン、どちらともなく氷を砕いて、森が揺れた。

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