4-2:作戦開始

 ウェリアス村の白く薄い氷が張った大地を、朝日が柔く照らしている。時刻はまだ明朝、地平線から漸く太陽が形を見せた頃だった。


 ざく、ざくと、薄く氷が張った土を踏み締める。この土地は霧のような雪が降るが、それは地面に着けば一度溶けて氷の膜となり、雪として積もることはほとんどない。踏みつけられヒビが入ってもすぐに氷が張り直されて修復されてしまって、人の足跡が残ることはほとんどなく、見分けることも困難になる。それも含めて、この地は、土地だった。

 ウェリアス村の外れ、ウェルフィエン森林地帯に程近いその場所に、ぽつんと立つ小さな家。その影に、荷物を詰んだ馬を従えて、中年の男が立っていた。男は近付いてくる訪問者に気が付くと、顔を明るくして手招く。

ガイさん、お待ちしていました」

「ああ」

 名前を呼ばれ、訪問者は顔を覆う外套のフードを僅かに捲る。黒髪を後ろに撫でつけ、一部に青銀のメッシュを入れていた。その鋭い瞳は金色で、顔の左側には刺青が刻まれている。


 ――その姿を、遠く、物陰から、アリシェルはしっかりと捉えた。とん、ととん、と、自身の耳元、通信機を指先で叩く。それは、音無き声となってへ至る。


“――狼月ラァンュエ幹部、垓。姿を確認。”


「了解。こちらにも届いている」

 ソル・ヴィリア内、通信室。アリシェルからの通信にそう返したのはモニター前、一番前の席に座るグロリーだ。後方には複数椅子が並び、前線に出るのではなく補助や俯瞰してナビゲートを行う整備班や操縦班といった待機組が座している。モニターは複数起動し、一番大きなものにはウェリアス村及びウェルフィエン森林地帯の地図が表示され、今回の作戦で前線に出撃する戦闘班と団長、副団長、そして彼等が別れた小隊に同行する――戦闘の心得のある――医療士の居場所が、彼等が身に付けた発信機の信号を元に点で浮かび上がっている。ほとんどの点は森林地帯内に待機する中、アリシェルを示す桃色の点だけが、ウェリアス村の外れに居た。

 他のモニター――地図を表記した真ん中のものよりも一回り小さいそれぞれに映るのは、前線メンバーの視界だ。彼等がこの作戦にあたって身に付けた特殊なコンタクトレンズによって、彼等の視界とソル・ヴィリア通信室モニターを繋げている。アリシェルの視界はそのままモニターに表示され、垓の容貌を通信室に伝えていた。


 尾行に大人数は向かないが、狼月を相手取るに単独では心許ない。

 他のメンバーを森林内の各所に待機させ――機動力、小柄さ、頭の回転、器用さ、総合して最も隠密行動に長けたアリシェルを尾行に回す。前線メンバーの視界と居場所は通信室で把握し、指示を行う。

 そういった形で――ウェリアス村滞在、二日目。件の村人と接触し物資を得る垓を尾行し、狼月の拠点を発見、及び制圧を行うという、此度の作戦は決行されつつあった。



「もう――を出て――寂し――」

「俺達も――、――だが――……」

 件の村人と垓の会話は、距離が遠く聞き取り難い。だが恐らく、狼月は近々拠点を移動する心づもりであるようだ、とは、アリシェルは彼等の断片的な会話と表情、身振りから察した。再び通信機を叩き、文字としてその情報を通信室に伝える。

 それはつまり、ここで狼月の尻尾を掴まなければまた振り出しに戻ることになるということだ。軽く息を吐き、アリシェルは彼等の一挙一動見逃すまいと目を見張る。

 二人の会話が終わり、荷物を背負った垓がフードを被り直して踵を返す。馬を受け取るのは断ったようだった。アリシェルの指先が通信機を叩く。


“垓、移動開始。尾行する。”

《――了解。アリシェルが二五三‐六五四地点より四十五度の方向へ移動。総員、対応を》


 身を屈め、アリシェルは遠ざかる垓の背を追って足音を忍ばせる。霧雪で視界が悪いのは垓も同じだが、この地に拠点を作っていたならアリシェルよりは慣れているだろう。身を隠すため――そして騎士団であることを隠すために羽織った防寒具の端を引き寄せ、一定の距離を保って進んだ。



「垓の進行方向から離れすぎている。移動するぞ馬鹿犬」

 ソル・ヴィリア通信室からの指示を受け取り、マクスウェルがペア行動をしているリズーにそう声をかけた。リズーがやや呆れた様に息を吐く。

「そりゃ異論ねぇけどよ、アリシェルちゃんのこと心配しすぎじゃねえのか豚野郎」

 馬鹿犬、豚野郎の蔑称は、由来としてはリズーの単純さ、そして主と認めるソラと認めていない宰相達との態度の差から「犬のよう」、マクスウェルの神経質さと綺麗好き、そして優等生然としながら脳筋なところから「豚に似ている」というもので、お互いに悪意を込めて初対面の頃から呼び合っている。それは喧嘩の火種でありつつ最早ただの渾名に近く、少なくとも今のタイミングでそこに噛み付き合うほど重要なことではない。その代わりに、心配し過ぎだと言われた部分にマクスウェルは顔を顰めてリズーを睨んだ。リズーはと言えば肩を竦めて氷の大地を踏みしめる。

「だから異論はねえって。遠いのは事実だしすぐ支援できる位置にはいた方がいい。俺が言いてぇのはさっさと機嫌直せよってことだよ拗ね豚」

「……」

 渋い顔をしたマクスウェルの隣を横切って、リズーは進む。その背を追って、「うるさい」とだけマクスウェルは唸った。

 アリシェルが単独で尾行という、この作戦において危険な位置についたことに――マクスウェルとて最適な人選であることは理解している。ただ、最適な人間が最適な仕事に就くという理解と、恋慕を抱く相手が危険な立場に置かれることへの納得は別物だというだけだった。

「第一、俺達よりアリシェルちゃんのが強いだろうがよ」

 そう言われると、本当に苦い顔をする他ない。黙ったマクスウェルを、リズーは鼻で笑って、足元の氷を蹴りあげた。


 マクスウェルとアリシェルはお互いに由緒正しい騎士の家系に生まれた幼馴染みだ。二十六歳と二十七歳になった現在に至るまで、物心ついた時から、マクスウェルはアリシェルに恋情を抱いていた。

 千年前太陽王が機械精霊をマキネスに与え、太陽の機械精霊を宿す騎士団長を擁する皇国騎士団が興った時から、彼等の家は代々騎士団に属する騎士を輩出してきたと言われている。その真偽はさておき、歴史と実績を重ねた家であることは確かであり、マクスウェルもまた幼少の頃から騎士になることが決められて鍛錬をつけられていた。そんな折――マクスウェルが五歳の頃だ――彼は決死の思いで、アリシェルに「大きくなったら結婚して欲しい」と告白したことがある。当時六歳だったアリシェルは、可憐な笑顔でこう答えた。

「私よりも弱い殿方は、お断り、ですわ」

 ――語尾にハートマークでもつきそうなその言葉で一刀両断され、マクスウェル少年の恋は呆気なく破れた。

 事実、当時から、組手でマクスウェルはアリシェルに勝てた試しが無かった。彼女の足技は霊技器が無かったその頃から激烈で、観察眼も頭の回転も素早さも優れていたのだ。

 同時に、マクスウェルは騎士団に入団できると確定づけられていながら、アリシェルは『不可能だ』と言われ続けていた。その事実を知ったのは十歳の頃、ある程度の分別を弁えた頃だった。

 アリシェルは、生まれつき両手の握力が弱く――剣を握る事が出来ない体だった。どれだけそれ以外が優れていて、足技を含めれば未だにマクスウェルを凌駕する実力を持っていたとしても、その一点が彼女が騎士として大成する道を阻んでいたのだ。

 ――それが覆されたのは十年前。ユーフェン・セルスタールが精霊種を発表し、霊技器という、災骸に有効な武器が生み出されたこと。なによりも、その武器は剣に限らず、ある程度物理的な刃物であれば――例えば仕込み靴であっても――良いということが大きかった。


 彼女が、アリシェルが靴型霊技器を手に入れ、騎士団戦闘班においてライナルトやペドロに次ぐ実力者となるに至るまで、どれ程の鍛錬を積んだかはマクスウェルが一番知っている。

 彼女を甘く見ることは有り得ないし、侮ることは絶対にしないと誓っていた。それでも、彼女を守れる程強くなりたいという気持ちは薄れはしない。恋心は未だ潰えることはなく、彼女を危険から遠ざけたいとも思っている。そう出来るには、未だ実力不足であることがただ歯痒い。思考を過去から現在に引き戻して、マクスウェルは白銀の森林を睨む。

「……心配して何が悪い」

「ああ?」

「うるさい馬鹿犬。さっさと行くぞ」

 実力不足だとしても、彼女の力になりたい気持ちに偽りは無い。どこか、嫌な予感にざわつく胸を抑え、マクスウェルは身長分長い足でリズーを追い抜いた。

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