3-6:揺蕩う少女

 親愛なるカトラルド。

 調子はどうだろうか。君は賢い良い子だから、きっと日々の業務や勉学に努めているのだろうと思う。そんな君を兄として誇りに思うが、どうか無理はしないように。

 私は今ベキュラスに居る。眠る前にとこうして筆を執っているが、もう夜も更けているというのに、都市の方は随分と明るい。ここでは雷の機械精霊の加護の元、電灯を駆使したシステムが非常に発達しているとは聞いていたが、実際に目で見るとやはり壮観だ。飛行艇を離れた場所に置いていなければその明るさに参ってしまうかもしれない。飛行艇で空を飛びながら過ごす夜はとても静かで暗いから。

 だがきっと、明るい夜に慣れた者にとってはとても楽しい場所なのだろう。カトラはこうした場所に出向く機会は少ないかもしれないが、昼間の市場も活気があり賑やかだ。旅の行商人も多く、君にとっても得られる知見があるだろう。私も良い刺激を受けている。


 ――そこまで書いて、少し筆を止める。息を吐いて背もたれに体重を預ければ、椅子が小さく軋んだ。

 飛行艇ソル・ヴィリアの一室、騎士団長の私室にて。一通りの業務や身支度を終え、ソラはこの合間にと約束していた手紙を書いていた。こういった私的な手紙を書くことはあまりないから、勝手がどうもわからない。十一歳のカトラルドに物騒な話はあまりしたくないのもあり、話題を選ぶのも難しい。だが、楽しくない、わけもない。手紙を受け取ったカトラルドが喜んでくれることを想像すれば、ソラの顔も少し綻んだ。

 カトラルドの返事を楽しみにしている、と最後に手紙を締めくくる。女装の話は伏せておくことにした。

 便箋に封をして、窓を見上げればベキュラスの明かりとは反対方向に青白い月が登っている。その月明かりは薄暗い部屋に差し込んで、白く床を照らしていた。

 一部の騎士団員には夜の間の情報収集を命じている。その間、しっかりと休むのも団長としての仕事だ。だが、目が冴えてしまって、ソラにはまだ眠れそうになかった。息を吐く。心臓が、カチコチと鳴って、落ち着かない。なんとなく、ソラは己の部屋の隅、クローゼットに目を向ける。

 昼間に着せられた少女服はアリシェルとルイーゼに押し付けられるままにソラのクローゼットに押し込まれている。今は一つ括りも解いて下ろしている赤い髪の編み上げ方はソラは知らないが、花の髪飾りも、机の隅で小さくその可憐なかたちを魅せていた。なんとなく、それを手に取ってみる。――なんとなく、今、寝間着として身に着けている男性物のローブの、帯を解いた。

 袖を、通す。そう複雑な形状でもないブラウスは、ソラ一人で十分に着ることができる。ふくらはぎの真ん中まで隠してしまう丈のスカートが、くるりと回ったソラの動きに合わせてふわりと浮き上がって、沈む。下ろしたままの髪を、花の髪飾りで飾ってみる。そうしてクローゼットの内鏡の前に立ってみれば、そこにはただの少女が立っていた。サラシを解いた胸部はささやかながら膨らみを浮かべ、体中の傷は長い袖が隠してしまって。多少筋肉質であれど、引き締まっているという言葉で収まる程度で。

 細く小さな少女が、そこに居る。それは皇子としての未熟さを示すものでもあり、同時に過去の幸福が未だどこかにあるような不思議な感覚を与えてくるものだった。

「……こんなところ、国王陛下に見られては許されない」

 一人、自嘲した。分かっている。必要なのは太陽の機械精霊に選ばれた皇子であって、弱く脆い少女ソラリスではない。だから少女ソラリスは父と姉の元に置いていくと決めたのに、こんなところで思い出してしまうなんて、と――

 きっと、アリシェルとルイーゼの優しさなのだろうと分かっていた。痛みも、苦悩も、本来の自分も見ないふりをして捨て去ってしまうことは、傍で見ている側からすれば痛ましいに違いない。捨てなくていい、支えている。そう、彼等は言葉を使わずに伝えてくれる。それでも――そのが許されるのは、騎士団という暖かな場所だけだ。少なくとも国王は許さないだろう。タカミは、分からない。そして自分自身は――きっと、許せない。

 未だ、少女ソラリスを完全には捨てきれないのは、紛れもなく弱さだった。その弱さを、誰より自分が許せない。どれだけ痛くても、苦しくても、この足が立ち止まることは許されない。太陽の機械精霊に選ばれた、たった一人の契約者として、自分だけは歩き続けなければならない。その責務を果たせない弱さを許せるほど、ソラは勇気ある人間ではなかったのだ。


 それなのに――この少女服を身にまとい、違和感のないその姿に、嬉しさを抱いてしまった。七年前、ソラリスは、可愛い姿になりたがる、そんな少女だったのだ。


 心がぐちゃぐちゃで、重たくて。それを少しでも軽減したくて、息を吐く。そんなものでこの重さが吐き出されるわけも無いのだが。

 重たい心とは別に、機械精霊の本核はカチコチと鳴り響いてやまない。これでは未だ、ベッドに入ったとて眠れそうにはなかった。窓の奥では月が高く光を注ぐ。

 散歩でも、しようか。そう考えて、なんとなく――誘われるように、ソラは窓を開く。身を屈めればソラの体躯であれば通り抜けられる大きさだ。しゅるりとソラの胸から抜け出た光の粒が龍を形作り、その意に添うようにソラの周囲でくるりと回る。

 光の龍に包まれて、ソラは窓から飛び降りた。その体は、光に守られるように、ふわふわと静かにゆるやかに降りていく。大した音も立たずにソラの足は地に着いて、瞬間、光の龍は形を失ってソラの胸部へと吸い込まれるように戻っていった。

 さて、大してどこに行くと考えていたわけでもない。衣服は『ヴィスリジア皇子』とは似ても似つかない少女服だが、髪と目の色はそのままだ。あまり人に見られるべきではないだろうと、ベキュラスの中心には背を向ける。かといって、あまり飛行艇から離れることも望ましくない。

「(そういえば、近くに旧広場があったな)」

 ベキュラスは雷の機械精霊の恩恵を受けた眠らない街として有名だが、こうも賭博場が発展する前――雷の機械精霊の恩寵を電気というエネルギーとして活用するための技術が未だ発達していなかった頃、今飛行艇が停泊しているベキュラスの端は農地として活用され、この辺りにも人々が憩う広場があった。今はベキュラスの主要な施設は中央に固まり、端の方は街を囲む壁の中にはあるとはいえあまり人の寄り付かない――それを利用してこっそりと飛行艇を停泊しているのだが――空き地と化している。そうして放置された空き地の一つが、飛行艇を停めた裏船着場から少し歩いた先にある旧広場だった。見晴らしも良く、何も無さ過ぎて悪人すら溜まらない場所だ。眠気を誘う散歩には丁度いいだろうと、ソラはそちらに足を向けた。



 木々も少なく、石畳みの隙間から多少の雑草が生えている程度の道を進むのに、ソラには月明かりで十分すぎる。むしろ歩きやすいほどで、自然と足取りも軽くなった。ふわふわと、足元に風が通ってスカートが揺れる。許すことのできない弱さの証。それでも、今はその弱さを謗る者も守ろうとする者も、誰一人としていなかった。

 カチ、コチ、カチ、コチ。心臓が、ゆっくりと音を響かせている。その音に誘われるように、ソラは顔を上げた。青白い月が照らす道の先で、遮るものはなく。少し歩けば一段高く作られた石舞台が見える。かつては人々が憩い、音楽や踊りを楽しんでいた旧広場に残された面影だ。

 ――そこに。

 黒い、一人の男が立っていた。

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