3ー5:月夜の会議

 もう随分短くなった煙草の先を、ルークレイドは灰皿に押し付ける。それが、話の区切りの合図だった。一通り話し終えた情報屋の男が「今後ともご贔屓に」とマッチを懐にしまう。

「どうだい兄ちゃん、次はチップを賭けてもう一戦」

「……またの機会にしておこう。夕飯の先約がある」

 懐中時計を開いて時刻を確認する。恐らく、もうすぐ日も沈んでしまうだろう。日が落ちるまでには帰還を、との提案者としては早く飛行艇に帰らねばならない。

 上着を羽織り、荷物を抱えて――席から離れる前に、ルークレイドはもう一度男に目を向けた。

「最後に一つだけ。……アズヴェイド、という名前の、くすんだ金髪に赤茶の瞳をした、濃い肌の男に覚えはあるか。俺と同じ程の歳をしている」

「アズヴェイド? 知らんね」

 情報屋は信用商売だ。無い品は素直に無いと言う――嘘はついていないだろう。ルークレイドはその返答に肩を落として、「有難う」とだけ答えて踵を返した。



「得た情報を整理しよう」

 飛行艇ソル・ヴィリアの会議室。現在整備の仕事にあたっているグロリー、アグリ、ランドルフの整備班三人を除き、皆それぞれ普段通りの格好になって、その円卓を囲んでいた。髪と目の染色を落とし、鮮烈な赤を取り戻した――そしていつもの騎士団長としての男性服を身に付けたソラが口を開く。

「表と裏での情報を纏めると――狼月ラァンュエの活動としては各国での抑圧された国民の解放運動に近く、民の支持を集めている。ヴィスリジア皇国においてはまだ狼月の影響を受けた土地は報告が無いが、国の振る舞いで状況は変わってくるだろうな」

 厄介だ。そう、ソラは眉間を抑えて息を吐く。土地を奪われたなら奪い返せばいい。侵略を受けたなら反撃すればいい。だが、人間の心を奪われれば対応は一気に困難になる。力ではどうしようもない。そもそも奪われるほど心を離されていた国の状況に問題があるのだから。

 ヴィスリジア皇国は広い領土を持つ割に、常に騎士団の遠征を行き渡らせているために領主の暴走というものは少なく、比較的治安が良いと言える。それ故に他国に比べれば狼月の影響は少ないが、ヒーローのような印象を持たれている狼月をただ討伐するのでは騎士団への心象に関わるだろう。ヴィスリジア皇国が狼月による『国民の独立』を受けていないのは、太陽の機械精霊の契約者である騎士団長が、災骸という脅威を滅し民を守る清廉な英雄として国民に支持されていることが大きい。狼月が機械精霊を保有している以上、災骸を滅することが出来る、という立場は同じだ。騎士団長が国民から受けている期待と信用がそのまま狼月へと向かえば、どうなるかは火を見るよりも明らかだろう。

「しかし、恐らく狼月の目的は――少なくとも国民の解放運動だけではない、というのだな」

「そうだね」

 ソラの言葉に返答を返したのは隣に座るユーフェンだ。

「僕の方では、虚無区付近で少年二人が何かを調べていた、という噂をいくつか耳にしたよ。赤紫の髪と、青みがかった緑の髪の――僕らが遭遇した、狼月の構成員二人と一致する。

解放運動が目的なら、そもそもヴィスリジア皇国に狼月が来ていることも割に合わないよね。皇国の太陽王信仰、及び騎士団長への信望は強固だから」

 そう話すユーフェンに、アリシェルが「もっと国は山ほどありますものね」と息を吐いた。その言葉は正しい。それこそが、騎士団が一見義賊とも思える狼月を追い続けなければならない理由である。

「……狼月がヴィスリジア皇国で何をしようとしているのか。あるいは、何を調べたいのか……それは、放置しておくわけにはいかないだろうな」

 ソラの言葉に異論を唱える者はいない。机に配った資料を一枚捲り、ソラはルークレイドに目を向けた。視線を受け取って、ルークレイドが頷いて口を開く。

「狼月の構成員について、確認されたのは四人です。まず、我々も遭遇している、青緑の髪の少年カリム。赤紫の髪の少年の方はラルスと呼ばれているようです。この二人が主に虚無区付近での何らかの活動を行っていると見られます。それから、『解放運動』に際して主に顔を出しているのがガイという男と紅花ホンファという女。どちらも黒髪と、一部に青銀のメッシュを入れているとのこと。

名前から――刻国クゥーグゥオの民かと、思われます」

 刻国。

 月蝕事件の地、ラヴィニア砂王国にて侵略され、砂王国の奴隷となって滅びた国だ。狼月の月蝕事件への関与の可能性はこれで跳ね上がったと言えるだろう。その事実を飲み込んで、ソラは「そうか」と息を吐く。

「皆、有難う。今夜と、明日。もう少し狼月については情報を集め、次の航路を決めよう。明日は私はベキュラスの弔花と連絡を取り、捕縛災骸の浄化を行う予定だ。情報収集の指揮はルークレイドに一任する」

「御意」

「今夜については、裏を任せた人員に再び任せることにする。

……さて、狼月については以上だが。それ以外、何か気になる話はあっただろうか」

 そう、ソラが円卓に問いかけると、「おじさんからいい?」と暢気な声が返ってくる。その主であるペドロがにこやかに手を振った。

「おじさんが聞いた狼月についての話は纏めてもらった通りだけどさぁ、ちっと物騒な話も聞いたんですよ。

ベルシェラ大陸ゼルモンド共和国領、サジェンタ村の事件について」

「……賊に襲われた、という?」

 ジラフが低く、呟くように答える。寡黙な彼はあまり発言をすることは無いが、飛行艇操縦に命を懸けているとも言えるほどの操縦士だ。その役職と性格柄、誰よりもマキネスの情勢に詳しかった。

 ベルシェラ大陸ゼルモンド共和国。ヴィスリジア皇国からは西方に位置する、遠方の国である。サジェンタ村はその国の田舎村だった。農作で人々が生計を立てる長閑な、何も無い村。

 そこが――村人が全員殺害され、後に災骸化したという。他国からの支援も受け、周辺の村ごと封じ込めを行う他なかった、という痛ましい事件。その話がヴィスリジア皇国騎士団の耳に入ったのはひと月ほど前のことだ。ゼルモンド共和国は数ヶ月前に帝政が崩壊したばかりで、情勢的には不安定である。賊や流れ者も増え、治安が悪化しているというのは周知のことで、賊に襲われて弔いの儀式もされなかったのだろうと考えられていた。ペドロがだらりと椅子に腰かけて、やけに楽しそうに笑う。

「それそれ。どうにも――あの事件を起こしたのは一人のだった、って噂があるらしいんだよねぇ」

「……怪物?」

「その怪物は、リスリー村での犯人でもある、んだって」

 リスリー村というのも、同様に謎の壊滅を遂げた村だ。ヴィスリジア大陸の隣、ライランディア大陸の最西端にあるその小さな村もまた、周辺の治安が良いとは言い難かった。幸いなことにリスリー村では村から上がる煙に気がついた旅人が駆け付け、災骸化に至る前に弔いを行うことができたらしい。

 ――それが、賊ではなくたった一人の同じ存在によるものだと、それが真実であれば大問題と言えるだろう。だが、怪物という言葉といい、それはあまりにも現実味のない話だった。だがペドロは楽し気に言葉を続ける。

「――人間の男、らしい。全体的な形はさ。だが、その男の体の一部は人のものではない動物のものだったんだと。それで怪物、さ」

「そんな存在がいるってか?」

「でもさぁ、ラルスってコ、足が犬っぽかったんでしょ?」

 リズーが怪訝な顔をしてペドロを睨んだ。睨まれたペドロはしかし、相変わらずやる気のなさそうな体勢で――その目はどこか、爛々と楽しげだ。

 ライナルトが顔を顰め、「姿勢を正せ」と班長として一喝する。

「義肢、だろう。実際に足を見た訳では無いし、その怪物とやらも何か奇形の義肢を使っているのではないか」

 人の体に動物の一部など、有り得ない、と。円卓の皆の声を代弁したライナルトに、ペドロは「そうですかねえ」と笑った。


「でも、千年前には居たらしいじゃないの。人の体に動物の一部を持つ、怪物が」


 ――そう。楽し気な銀の目を向けられたライナルトの背筋に、冷たいものが走った。この円卓にアグリが居なくて良かったと――いや、居なかったからこそだろうか、と、渋顔で思う。ペドロは己を純粋に慕うアグリの前では大人しい。猫を被る必要をなくして、秘めた狂気を滲ませたその銀の目を持つ年上の部下は、ライナルトには何ともやりにくい相手だ。

「――僕も、その噂は聞いたけどもね」

 その空気を崩したのはユーフェンの、変わらない声音だった。彼は微笑んでペドロを見る。

「あくまで噂だからね。出処も不明だし……ペドロさんのロマンチストな所は素敵だけれど、あんまり期待しない方がいいかもしれないよ」

「そう? 残念、死合いたかったなあ怪物」

 張り詰めた空気が霧散する。ふ、と、浅くソラが息を吐いた。

「……他に無ければ、解散にしよう。軽い休憩を取ったら、情報収集に回る面々は再度街へ向かってくれ」

 御意、と、騎士団の敬礼が会議室に響く。青白い月が、夜空を静かに照らしていた。

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