3-3:予兆

 純白の神殿、その廊下を、やけに異質な黒が進む。白い制服の神官達が恐怖と奇異を混ぜた目を向けてくるが、こちらとて好きでこんな場所にいる訳では無い――と、黒、もとい弔花隊長タカミは隠すことなく舌打ちを零した。ひ、と誰かが悲鳴を上げて、そそくさと離れていく。

 災骸から市民を守る弔花という組織は、災骸を相手にするという関係上、神依りの巫女を祀る神殿との関わりもある。神依りの巫女が機械精霊より賜る『予言』を、弔花は定期的に授かる必要があった。それを神官を経由して受け取るのは隊長であるタカミの役目なのだが、その業務は大概神殿表層の窓口で事足りる。そうだというのに神殿内部深層、森を擁する中庭へと繋がる廊下を歩いているのは、受け取りに来た窓口にも人が居ないほど神殿が慌ただしく、その慌ただしさの原因を解消する任をタカミも与えられてしまったからだ。任を押し付けた神官は、弔花隊長への恐怖よりも焦りが勝ったらしかった。

「……子供のお守りは弔花の仕事では無いのですがね」

 溜息混じりにぼやく。こんなにも神殿が慌ただしい原因は、曰く、祈りの時間になっても神依りの巫女が隠れてしまって見つからない、のだそうだ。

 当代の神依りの巫女は歴代でも最高に資質が高く、機械精霊に愛されている。予言室――機械精霊達の分核が祀られ『声』が届きやすいように術式を組まれた小部屋――に居らずとも機械精霊の声を聞き届け、対話し、くすくすと笑っている。そんな神依りの巫女は、当代、ラァシス・リエルス・ヴィスリジアが初めてだった。その素養が幼さ故の純粋さによるものだったかは定かでないが、そう仮定され、彼女の心身の時間は七年前から止められている。

 それが幸か不幸か――彼女は永遠に幼く、無邪気で、そして自由だった。神依りの巫女としての業務をすっぽかしてしまう程度には。

 彼女の双子の妹であるの方は責任感に追い込まれがちなのだから、足して二で割って丁度良いのではないか。そんな詮無いことを考えつつ、歩を進める。余計な仕事を押し付けられて不機嫌ながらも、タカミの足取りに迷いはなかった。


 子供が何かから隠れてひっそり遊ぶような場所を、見付けるのはよくよく慣れていた。


 ――森へと足を踏み入れ、迷いなく進んで。丁度木々の合間、外からは容易には見付けられず、内部に潜れば丁度良い空間を擁する、そんな隙間に、白い少女が汚れなど気にすることなく座り込んで何やら花冠を作っていた。

「殿下。お務めの時間です」

 白い少女が振り向いて、大きな目をぱちくりと瞬かせる。しかし次には頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。多くから畏怖されるタカミを前にして恐怖した様子も無ければ、立ち上がる気配もない。

「や。だってわたし、デンカなんてお名前じゃないもの!」

 ――怖いもの知らずな子供の相手ほど厄介なものは無い。なんなら災骸を相手にするより余程。

 嫌味も通用しない相手は苦手だと、タカミはもう一度溜息をついた。

「そう屁理屈を申されては困ります、殿下」

 少女は振り向かない。

「……ラァシス殿下」

 やはり、振り向かない。はぁっと、タカミは息を吐き出して眉間を抑える。

「……、……ラァ様」

 ようやく、少女が振り向いた。一転、満面の笑みを浮かべた彼女は、花冠を手に立ち上がる。

「しゃがんで頂戴、タカミ!」

「そういったものは世話係にでも与えてやるとよろしいかと」

「きっと可愛いと思うわ?」

「光栄です」

 相手をするのも面倒になって、タカミは外套を翻して歩き出す。少女、ラァは何が楽しいのだかくすくすと笑いながら隣に並んだ。

 ――そして、森を抜けた時。ふと、ラァが足を止めて顔を上げる。

「殿、……ラァ様?」

 また臍を曲げられては面倒だと呼び方には気を付けて、タカミは振り向く。ラァが眺める方向には何も無いが――方角としては、騎士団が向かっているとの連絡を受けた、都市ベキュラスの方だった。

「――嬉しいの?」

 少女は呟いて、笑う。それは先程までの幼い子供の顔ではなく、――タカミには馴染みがないが――子を見守る、母のような顔だった。

「ラァ様」

 もう一度声を掛けると、ラァはまた子供らしく無邪気に笑ってタカミの元へと駆け寄ってくる。

「リュオネスとデュオネスが、喜んでるの! きっともうすぐ、会えるって!」

「……左様でございますか」

 予言。ラァが聞き届ける機械精霊の声。それは、一言一句抜かさずに記録することになっている。後で報告しなければならないだろうと、タカミは何度目か知れない溜息をついた。



「おや、可愛らしいお坊ちゃんとお嬢ちゃん! お父さんとお出かけかい?」

「ええ、まあ、そんなところで」

 朗らかに声をかけた露店の主人に、ソラはややぎごちなく笑う。アグリが前に出て、「こんにちは!」と元気よく挨拶した。

「ここいらじゃ見ない顔だね、観光かい?」

「ええ。今日来たばかりなんです」

「そうかい! ベキュラスはいい街だよ、楽しんでいきな!」

 ライナルトの返答に主人は気の良さそうな顔で笑い、見ていかないかい、と商品台を軽く叩く。主人の訛りからして、どうやらレスティア人のようだ。商品台に並ぶのは様々な地域の意匠が凝られた種類多くのアクセサリーや布、ヴィスリジア皇国では珍しいような外国の道具達である。

「貴方はベキュラスでは長いのですか?」

「ああ、売り場の拠点をベキュラスにしていてね。色んな所を回って仕入れた品物達をこの街の人らには贔屓にしてもらってるんだ。お墨付きだよ!」

 お嬢ちゃん、この耳飾りとかどうだい。そう笑う店主に、ソラは密やかに目を細めた。

 一を聞いて十を喋ってくる、どうやら店主はお喋り好きでもあるらしい。。ソラは一歩足を踏み出して、耳飾りを見下ろすように顔を近付ける。指された耳飾りの隣、南国で見られる意匠が凝られた指輪があった。

「……うん、素敵な耳飾り、ですね。あ、この指輪、綺麗。どこのですか?」

「お、それが気に入ったかい? ベルヴィエン王国さ」

 知っている。確かラヴィニア砂王国がかつてあった場所の近く、西方に位置する国だと、地理を頭に思い浮かべてソラはその指輪のことを問うたのだ。リスベールから予め受け取っている狼月ラァンュエの情報では、ベルヴィエン王国は一番最初に狼月の被害を受けた国である。この国もまた奴隷制を採用している国であり、曰く、幾つかの富豪の家や公認の奴隷商が襲われ、資財や奴隷を奪われたのだそうだ。

「ベルヴィエン王国……そんな場所から仕入れるのは大変だったでしょう。マフィアの噂も聞く」

 話のきっかけとして、違和感は無い。声を潜めてそこに切り込むのはライナルトの役目だ。店主が、わかるかい、と困ったような――ポーズでどこか自慢げに、口を開いた。

「いやぁ、向こうは大変だった! 狼月のことで全体ピリピリしてて入国するにも一苦労でね。奴隷制はあんまり良い気持ちはしないし奴隷商が潰されたのは俺としては良いんだけど、そんなの向こうで言えやしない。いっそ狼月の手が入ったっていうスレヴ帝国辺境の方が居心地が良かったくらいだよ、ほら、ヴィスリジア大陸の北のノザリス大陸の」

「狼月が支配してるところにも行ったんですか?」

「マフィアが怖くて商売人はやれねぇや! むしろベルヴィエン王国よりも治安が良くて、結果オーライだったがね!」

 驚きの声を上げたアグリに、店主は豪快に笑う。しかし、ああだが、とすぐに顔を曇らせて、「北は北で物騒だよな」と苦笑した。


「聞いてるかい、ヴィスリジア皇国領北方のシゼリア山脈虚無区化の話。あそこは水の機械精霊様の本核が祀られてる聖地シューザリアにほど近い。全く、不穏で参るよ」

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