3-2:花の身支度

「お着替えしましょう、ソラ様」

 にっこりとアリシェルとルイーゼは微笑む。その笑顔は麗しく――圧さえ感じて、ソラはつい、一歩後ずさった。


 ベキュラスに着陸し、情報収集のため、会議にて決めた面々が各々降りていく中。ソラもまた下船しようとして、呼び止められたのが先程の言葉であった。ルイーゼは兄が裏の――娼館などもある通りに――情報収集に出るということで不機嫌になるだろうと予測さえされていたが、オズワルドが上手く説得したのか、それは杞憂で済んだらしい。それにしても、嫌に笑顔が眩い気がした。

「着替え、とは」

「いけませんわソラ様。そのままの格好では、もう見るからに皇国騎士団長、太陽の御子ですもの。買い物やお喋りをするのにそれでは、国民を萎縮させて得られる情報も無くなってしまいます」

 アリシェルのその言葉には理解が出来る。確かに先程降りていった面々も皇国騎士団の制服を脱いで私服を纏っていた。アリシェルやルイーゼが持っている布達は彼女らが見繕ってくれた変装なのだろう。それは、分かる。ソラの目立つ赤髪や赤目はそれだけで王族だと知らしめてしまうのだから、ルイーゼが特殊な毛染め薬や色を変えるための目薬を持っているのも、分かる。

 だが、しかし。

「……その服は……女物ではないだろうか」

 彼女らが持つ布達――服のそれぞれは、過度に華美なものではないが、シンプルと言うには可愛らしすぎる、少女服だ。明るい配色、下品にならない程度にあしらわれた柄やフリル、リボンといった装飾。猛烈に嫌な予感がして、ソラはまた一歩後ずさる。

「私は、皇子だ」

「存じています、殿下。だからこそ、こんなに可愛らしいお方がかの勇ましいソレイラージュ皇子だなんて誰も気付かないでしょう」

 今度はルイーゼがにこやかに笑む。ほらこれとか、ソラ様に似合うと思うんです、などと、桃色のスカートをひらりと広げてみせた。

「……私服なら私も持っている。その、そういうものを着るのには時間がかかるし、ライナルトとアグリを待たせている。お前達も――ルイーゼはジラフやブリジットと、アリシェルはマクスウェルと出向くのだろう」

「問題ありませんよ。ライナルト班長だって立派な殿方です。アグリだって、女の子の準備を待てない男になってはいけません」

「そうですわ。マー君のことはお気になさらず。いくらでも待ってくれますから」

 絞り出した声は、今度はルイーゼとアリシェルの二人がかりで完封されてしまった。それでも往生際悪く、逃げ道を探すようにソラが視線を彷徨わせると――廊下の向こう、壁に隠れて、ブリジットと目が合った。

 彼女は赤子の頃飛行艇に捨てられて、職人気質なジラフの男手ひとつで育てられた――そんな生い立ちから、あまり身を飾ることに頓着する性格ではない。その彼女は、やけに可愛らしい衣服を着て、いつもは乱雑に二つ括りにしている髪は編み込まれて、そして、死んだ目をしていた。

 諦めましょう。

 そんなアイコンタクトを受けて、ソラは敗北を理解した。



 ふわふわと覚束無い足元が落ち着かない。足に重たい鎧が無いことも、風が通ることも、あまりにも久しぶりすぎる。あまりに明るい色や柄は、となんとか抵抗した結果紺や薄いベージュを基調とした衣服になったが、それでもふわふわとしたスカートにあしらわれたシックなフリルはソラには可愛らしすぎるように思えてならない。

「とってもお似合いですわ、ソラ様」

「……器用なものだな」

 ニコニコと、何が楽しいのかアリシェルは上機嫌に茶色に染めたソラの髪を結い上げていく。

 座らされた椅子の前に開いたドレッサー。その大きな鏡越しに眺めていれば、長らく簡単な一つ括りしかしてこなかったソラの髪は、いつの間にやらくるくると編み込まれて丸く纏められていった。ルイーゼはといえばソラの衣服や軽い化粧の世話を焼いた後、少々お待ちくださいねとどこかに行ってしまって、部屋の扉は開けっ放しだ。

「はい、出来ました。あとは最後の仕上げで完成です」

「仕上げ?」

 アリシェルはにこやかなまま、小部屋の扉を身振りで示す。それに従って視線を向ければ、丁度、まだ出ていなかったらしいルークレイドが立っていた。その後ろにはルイーゼがにっこりと笑んでいて、ルークレイドは何か、可愛らしい花を手に持っている。

 ルイーゼとアリシェルはお互いに目配せして、では、と笑って廊下の向こうへと去ってしまった。それをルークレイドは困ったような顔で見送って、またソラに視線を戻す。

「良くお似合いです、ソラ様」

「……そうか。まあ、見苦しくなく、違和感を与えないのならば、調査に支障は出ないだろう」

「変装、ということであれば、口調も気を付けるべきかもしれませんね」

 ルークレイドは微笑んで、手の中の花を見せる。よく見れば、それは花をあしらった髪留めだった。彼はそのままドレッサー前へと歩み寄り、ソラの体を鏡に向ける。

 ――それは、懐かしい体勢だった。父は娘が喜ぶような髪遊びには酷く不器用で、双子にせがまれて編んだ髪はぐちゃぐちゃになってしまっていた。見かねたルークレイドが整えてくれて、父は彼の器用さを褒めて、いつの間にか双子が髪遊びをせがむ先はルークレイドになっていて、父が少し拗ねてしまって――

 もうどこにも無い景色が、薄ら見えた気がして、ソラは目を細める。鏡越しに映るルークレイドは、あの日と同じ、兄の顔をしていた。

「よく、似合ってる。可愛いよ、ソラリス」

 そう言って、ルークレイドはソラの髪から手を離した。花の髪留めは、ソラの項を可愛らしく飾っている。

「ルーク、」

 かつて、少女は何と言っていただろうか。思い出せないのか、思い出したくないのか。ソラには判別がつかなかった。無邪気に喜んでいた気もするし、照れてはにかんでいた気もする。

「これで、皇子だとは、バレなさそうかな」

 もう、その少女は居ないから、分からない。だからただ、必要なことを聞いた。ルークレイドが、眉を下げて微笑む。

「ああ、きっと」

「……それなら、いいんだ。有難う」

 礼を言って、ソラは立ち上がって部屋を出て行った。


 ベキュラスへの到着は管轄の弔花にしか伝えていない。調査をするにあたって皇国騎士団の到着を騒がれては困るため、艇の着陸も人目につかない裏の船着場を使わせてもらっている。早朝にベキュラスへ到着するよう時刻を設定したのもそのためだ。出迎えのない到着というものは気楽で良いと、己の格好を見下ろして、ソラは苦笑した。

 下船口へと向かえば、私服に着替えたライナルトとアグリが立っていた。アグリはソラを見るとわぁっと感嘆の声を上げ、犬のように駆け寄ってくる。

「ソラ様ですか!? すごい! 髪と目の色も変わってる!」

「薬で染めている。後で脱色剤で落とせば元の色に戻るから問題ない」

「成程……! ソラ様は何でも似合いますね!」

 目の色はヴィスリジア皇国でよく見られる青に染めていた。茶髪に青い瞳の娘、となれば、確かに赤髪赤目の皇子と結びつける人間は少ないだろう。

「髪の毛の色お揃いだから、兄妹みたいに思われるかもですね!」

 アグリがニコニコと嬉しそうに笑う。つられて、ソラも少し微笑んだ。

「そうだな。敬語を使われると怪しまれてしまうだろうが」

「ハッ……! き、気をつけま、つける!」

 途端に神妙な顔をして口を塞いだアグリは、実に表情がコロコロと変わる少年だ。それを微笑ましく思いながら、「私も気をつけるよ」と意識して柔らかい口調にする。ライナルトが笑って、では失礼して、とまず断りを入れた。

「さて、その流れだと私が保護者というわけか」

「この見た目ではライナルトが一番目立ってしまうな」

「はは、全く! ではこの髪は帽子で隠しておこう」

 ライナルトの長い銀髪は目立つ。皇国騎士団の戦闘班長という身分もあって、その特徴だけで気付く者はライナルト・グランツだと気付いてしまうだろう。それを本人も考えてか、いつの間にやら彼はその手にキャスケット帽を持っていた。

「準備が良いな」

「いやはや女性陣には敵わないとも」

「それは、確かに」

 アリシェルとルイーゼの迅速さからして、きっとベキュラスでの調査が決まった時から準備をしていたのだろう。或いは、ずっと前から艇に衣服の準備はしていたのかもしれない。笑いながら、三人は陸地へと足を踏み出す。

 裏の船着場は物陰になっていて、まだ朝早い時間であるのも相まって少しばかり肌寒い。身が一度震えて、ソラはルイーゼに用意されたケープで身を包む。

 ――カチリ。

 そう、心臓が――太陽の機械精霊の本核が、鳴った。

「ソラさ……ソラ?」

「どうかしたのか?」

 足を止めたソラにアグリとライナルトが振り向いて、首を傾げる。

「あ、……すまない、少し……リュオネスもベキュラスが楽しみなようだ」

「リュオネス様も? そっかぁ、お揃いだ!」

「そうだな」

 無邪気に喜ぶアグリの隣へと歩を早め、ソラは顔を上げる。表通りも段々と店を開け始める時間だろう。遠く、人の声が聞こえ出していた。

 カチコチと、何か落ち着かない心臓に手を当てて、密かに息を吐き出した。

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