第3話:眠らない街

3-1:着陸前

「ベキュラス、見えてきましたよ!」

 アグリのはしゃいだ声がソル・ヴィリアに響く。夢と破滅の街ベキュラス、それに最初は怯えていたアグリも、ランドルフやペドロから話を聞くうちにすっかり煌びやかな大都市への期待が上回ったらしかった。

 パスル村――否、最早旧パスル村虚無区と呼ぶべき地から飛び、四日。皇国騎士団所有飛行艇ソル・ヴィリアは、ベキュラスの船着場へと高度を下ろしていっていた。

 下船の準備を整える団員達の間を抜け、ソラは会議室へと歩を進めていく。その途中、身を乗り出して眼下を眺めれば、成程木々も疎らになって、遠くからも様々な高層の建物が目立つ、壁に囲まれた都市が見えていた。あれらは、夜になれば雷の機械精霊の恩恵を受けた灯りが照らされる。眠らない街、ベキュラス――いつもの遠征ルートに含まれてはいるが、ベキュラスを管轄する弔花の災骸捕縛牢は街を守る壁の外にある。アグリは勿論、ソラ自身も、ベキュラスに入ったことは数回しかない。子供のように落ち着かない胸は、しかし団長としては不適切だろう。抑えるように息を吐いて、ソラはまた歩を進めた。


 会議室には既に、副団長であるルークレイド、各班長、そしてユーフェンが揃っていた。ソラが団長席に座ると共に、ルークレイドが口を開く。

「ではベキュラスでの行動について。ベキュラスで現在捕縛災骸は居ないとの連絡がある。よって、我々は到着後いくつかの手に別れ、早速情報収集と物資の補給を行うこととする。ソラ様、それで問題はありませんか?」

「ああ」

 ソラの返事を受け止め、「では」とルークレイドは次に操縦班長チャド、整備班長グロリーに目を向けた。

「加えて、いつもの通り飛行艇に残りメンテナンスを行う人間も必要だ」

「それはアタシとチャドで事足りましょう。ランドルフはともかく、アグリにゃ外での経験も積ませてやりたい」

 グロリーの返事に異論を唱える者は居なかった。ルークレイドは頷いて、隣のソラに目を向ける。それを受けて、ソラは顔を上げた。

「情報収集について――表通りではともかく、恐らく狼月について調べるなら裏にも足を運ぶ必要がある。そちらには、手馴れた人員を割きたい。

私では不向きだろう」

 異論は、無い。

 裏――即ち、賭博場や娼館、酒場の立ち並ぶ『グレーゾーン』に、女性や二十代にも満たない者を向かわせるのは悪手だ。それは本人の危険である以上に、甘く見られてしまうことが問題だった。足下を見られれば、得られる情報の質にも要らぬトラブルの発生にも関わってくる。外見というのは交渉における一つの武器であるからだ。

「表での情報収集と物資調達は兼ねられるかと。ルイーゼさんやブリジットさん、アリシェルさん、アグリくんもそちらに回ってもらうとして……物資調達には男手も必要でしょう。それならライナが適任だと思います」

 そう言ったのは医療班長オズワルド・クルーズである。名指しされたライナ――こと、戦闘班長ライナルト・グランツが目を丸くする横で、ルークレイドが「それなら裏に回るのは私とタナー、アンドラ、ワーナー……」と指折り数えていく。オズワルドが、「マクスウェルさんにはアリシェルさんと物資の方に回って頂いては?」と付け足した。

「……ああ、そうだな。彼もあまり裏の雰囲気には向いていないだろう。コナーも喋るのは得意ではないし、表に……クルーズは、」

「僕は裏で問題ありません」

 マクスウェルとアリシェルは由緒正しい騎士の家系の出身者同士であり、幼馴染みである。そして、マクスウェルがアリシェルに対しそれ以上の感情を抱いていることは公然の事実であった。アリシェルが求める男性像が彼女よりも強い男、であり、マクスウェルがそれに至っていないことも同様に公然の――ではあるが。オズワルドのにこやかなお節介にやや目を逸らしたルークレイドの隣で、ライナルトが片手を掲げる。

「私とて裏でも問題ないぞ。いや、ソラ様のお力となることに異論がある訳では無いが、オズよりも私の方が見た目も厳ついし……」

「駄目ですよライナ、貴方のような清廉な騎士然とした人では悪目立ちします」

「む、そうなのか? しかしだな……」

 幼馴染み二人の会話はルークレイドの咳払いで途切れる。「それでは」とルークレイドが改めて面々を見渡した。

「裏での情報収集は私、ランドルフ・タナー、ペドロ・アンドラ、リズー・ワーナー、オズワルド・クルーズ、ラインバッハ・クラウンで。残りの面々には数人に別れて表での情報収集及び物資調達の方に回ってもらうということで……ソラ様はグランツと、それからアグリと共に表の方をお任せしてよろしいでしょうか」

「ああ。ライナルト、よろしく頼む」

 ルークレイドに返事を返し、ライナルトを見上げれば、彼は少し眉を下げつつも「御意」と敬礼を返した。話の区切りを見計らって、ユーフェンがひらりと手を翳す。

「では僕は裏の方に回ろうかな」

「それならワーナーを……」

「ああ、護衛なんかは要らないよ。ベキュラスにはも多いから、彼等に当たってみようと思ってね。一人の方が都合が良い」

 ルークレイドの提案を切り捨て、ユーフェンはにっこりと笑う。

「何、ベキュラスはグレーな街だが、歩き方を知っている人間にはそう危険な場所でもない。一応僕は要人ということになってしまうんだろうけど、逃げ足も早い方だし、ここにも何度も行ったことがある。君達の責任を増やすようなことはしないから安心してほしいな」

 何処となく有無を言わせないその笑みに、大人達の顔がやや曇った。その空気にソラだけが首を傾げつつ、ユーフェンへと振り向く。

 ユーフェンは軽い言動の男ではあるが、責任感は強いとソラは知っている。彼がそう言うのであればきっと騎士団としての問題は起こさないのだろう。そう理解して、「分かった」と頷いた。

「有難う、ソラ様。助かるよ。要人扱いは好きじゃないんだ」

 にこやかなユーフェンとは裏腹に顔を顰めたルークレイドが、「ともかく」とまた態とらしく咳をする。

「なんにせよ、日が落ちるまでには一度全員ソル・ヴィリアに帰還するのが良いと思います、ソラ様。場合によっては裏の方は夜にまた出る必要がありますが」

「ああ、異論ない」

 話は纏まった。ソラの承認を受け取り、ルークレイドが解散の号令を出す。各々が各班員に指示を出すべく部屋から出ていくのを見送り、ソラは窓から外を見下ろした。まだ朝焼けが空を満たす時間だ。

 ベキュラスは、もう近くに見えていた。



「聖技祭」

 艇の廊下を行くユーフェンは、そう呼び止められて振り返る。その先では、オズワルドが顔を顰めて立っていた。

「どうしたんだい、オズワルド班長。怖い顔だね」

「……知人とは、貴方とを持つ方々のことでしょう」

 ああ、とユーフェンは首を傾けて、笑う。日が落ちるまでの一時帰還を定めたルークレイドといい、どうにも信用が無いらしい。

「流石に僕も今はお断りを入れるよ、騎士団に同行している間は仕事中ということになっているしね」

「そうでなければ受けるんでしょう」

「そうだね」

 あっさりと肯定したユーフェンに、オズワルドの眉間の皺が深くなる。柔和で優しい顔付きをしているのに勿体無い、と、ユーフェンは微笑んだ。

「……以前から言おうと思っていましたが……貴方は聖技祭です。貴方の業務に支障が出れば影響は国単位に及ぶ。不特定多数の相手と関係を持つことはあまり」

「ああ、それなら安心してくれていいよ。僕も医者でもあるんだし、病気だとかの予防はしてるから」

「聖技祭の名にも影響が出ます」

「それこそ何の問題も無いだろう。僕のそういう評判なんて知る人は大体知っているよ。それに聖技官には本来階級の上下なんかない」

 ――暖簾に腕押し。そんな、どこかの古い言葉を思い出して、オズワルドは眉間を抑えた。

「……そうまでして、したいことではないでしょう」

 少なくとも、オズワルドにはそう思えた。ユーフェンとの付き合いはそう深くはない。最愛の幼馴染みであるライナルトとは比べるべくもないほど浅く、仕事上での関わりだけに過ぎない。

 ただ、仕事上だとしても、七年前に一つの恩は受けていた。そして、その時に見たこの男は――当時からすでに悪評を得ていても――そんなにも色を好む人間にはとても見えなかったのだ。ユーフェンが笑う。

「閨はいいね。生活に根差した肉体を存分に堪能出来て、僕自身も楽しんでいるよ。僕は生きとし生ける肉体を愛している」

 そう言いながら、その目は酷く凪いていた。博愛は無関心と同義であると、どこかで聞いた言葉をオズワルドは思い出す。その言葉の真偽はともかく、ユーフェンについてはそうなのだろう。

「話は済んだかな。早く医療班のところに行ってあげると良い。ルイーゼなんか、ラインバッハさんが裏の方に行くと聞いたら怒るだろう。説得は骨が折れると思うな」

 そう笑って、ユーフェンは踵を返す。オズワルドは顔を上げ、その白い背を睨んだ。

「貴方は、何がしたいんですか」

 首だけ振り向いたユーフェンが、にっこりと笑う。

「何も」

 あまりにも、いつも通りの顔だった。

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