2-9:影を追いて艇は往く

 緩やかに、飛行艇が夜闇を進む。

 あの後二、三の村での捕縛災骸を精霊器にて還し、騎士団保有飛行艇ソル・ヴィリアは比較的順調にベキュラスへの航路を進んでいた。月が輝く空を見上げ、ランドルフは煙草を燻らせて欠伸を一つ零す。

 煙草の先は随分短くなっていた。そろそろ部屋に戻るかと、廊下を歩いて――ふと、光が灯る部屋に気付く。深く息を吐き、煙草を揉み消して、ランドルフはその部屋へと足を踏み入れた。

「まぁだ起きてたんすか、副団長」

 部屋に居たのはルークレイドである。灯りがついているといっても、周りへの配慮か、資料室は最低限のランタンが照らすのみだった。見つかったルークレイドは、少し罰が悪そうに、「そちらこそ、夜番でも無いだろうに」と笑う。

「俺は小便に起きて、ついでに一服してただけですよ。なんか調べもんですか?」

「ああ……まあ、そんな所だ。もう休むよ」

 そう言って、ルークレイドは資料を――或いは隠すように――重ねて、とんとんと机を叩いて揃える。それを眺め、ランドルフは目を細めた。

「アズヴェイドか」

 端的に。敬語を外した口調は、騎士団の部下としてではなく、同郷の先達としての言葉だった。不自然に固まったルークレイドは、やがて肩を落として振り返る。その顔は困ったように微笑んで、その言葉が図星であることを示していた。

「ベキュラスは賭博の街だ。人と金が集まるとこには情報も集まる。情報収集にはうってつけの場所だよなぁ。狼月ラァンュエの件も、――人探しも」

 話しながら、ランドルフは歩み寄ってルークレイドから資料をひったくった。そこに並ぶ文字列は、予想通り。災骸被害、災骸に食われたと思しき人々のリスト、ベキュラスの最近の動向――そして十五年前、未だ精霊種が無かった頃の、ある災骸事件について。資料はルークレイドの性格を示すように、几帳面にまとめられている。

「まだ探してたんだな、お前」

「……確信を。あいつの持ち物の一欠片だけでも、見付けるまでは諦められません」

 年少者としての口調で、ルークレイドがそう苦く呟くのに、ランドルフは黙って溜息をついた。

 ルークレイドとランドルフは同じ院で育った孤児である。ランドルフは八歳で災骸により親を失い、孤児院へと預けられた。五歳のルークレイドと――彼の弟に出会ったのはその時だ。

 アズヴェイド。それがルークレイドの双子の弟の名前だ。ルークレイドが優しくアズと呼んでいたことを、ランドルフはよく覚えている。

 双子の弟といっても、血の繋がりは定かではない。ルークレイドとアズヴェイドはまだ臍の緒が残ったまま、孤児院の前に箱に詰められて捨てられていたらしい。その時に並んで詰められていただけで、実際に双子なのか、それとも別々の赤子を丁度良かったから並べただけなのか――その判断は、何かしらの血縁検査をすれば可能だっただろう。だが、ルークレイドもアズヴェイドもそれらに答えをつけることを望まなかった。あやふやなままで、二人は双子の兄弟ということにしていた。

 それは、繋がりの不確かな孤児という境遇で、お互いに家族という繋がりを求めたのかもしれない。特にアズヴェイドの方は執着が顕著だった。ルークレイドは藍色の髪と翠の瞳であるのに対しアズヴェイドはくすんだ金髪に赤茶の瞳をしていて、肌の色もアズヴェイドは――褐色肌という程でなくとも――濃い色をしていたから、時折孤児院の子供が彼等兄弟の繋がりを否定した。その度に喧嘩っ早いアズヴェイドはその相手を殴りつけ、院の大人に怒られている姿をランドルフも見かけたものだった。

 ――孤児院が災骸に襲われたのは、十五年前のことだ。孤児院近くに住んでいた家族が、弔花に回収されることを嘆き、死亡した赤子を隠していたことが災骸発生の原因だった。一家全員を喰らい、巨大化した災骸は孤児院を襲った。当時十五歳だったランドルフは既にグロリーへの弟子入りのために孤児院を離れており難を逃れたが、現場の有様は酷いものだったと聞く。孤児院は全壊、災骸はかなりの大きさにまで成長し――ソルドレイクが討伐を成した時、生き残りとして見付かったのはルークレイドだけだった。

「アズが、アズの手が離れたんだ、アズはどこ」

 顔に一文字の傷を負い、ろくに前も見えない中で、ルークレイドは必死にそう繰り返していたらしい。彼等兄弟は災骸から必死に逃げ――はぐれてしまったのだろう。孤児院にいた人々は殆どが災骸に喰われたようで、ソルドレイクによる討伐でその照会が成されたが、終ぞアズヴェイドはその行方も、生死すら判明することは無かった。

 ――ルークレイドが騎士団を志した理由に、アズヴェイドのことがあることをランドルフは知っている。勿論、今はソラを支えることも多くを占めるだろう。だが齢十二歳にして、傷だらけの体で、ソルドレイクに騎士家系への養子縁組を乞うたのはアズヴェイドを探すためだった。彼のたった一人の弟は――十五年経った今も、手がかりすら見付かっていない。死したという、証ですら。

「……あんま期待しすぎんなよ」

 そう告げることが残酷なお節介に過ぎないことを、ランドルフは知っている。死ねば災骸となるこの世界で、死んだことを確信することのどれほど難しいことかを――そして、死んだことを確信出来ずに甘い想像に囚われる、苦しさも。

「分かっています」

 そう、ルークレイドは目を合わせずに答える。どうせまだ、暫く寝ないのだろうと分かって、今度こそランドルフは深く溜息をついた。



「只今戻りました」

 子供の、幼さを残す声が無機質な部屋に響く。コンクリートを打ち付けた、その場所の冷たさとは裏腹に、奥からは食欲をそそる香辛料の香りが漂ってくる。それを敏感に感じとって、赤紫の髪の少年――ラルスは、ひょっこりとカリムの横から顔を出した。

「肉の匂いだ!」

 目を輝かせ、ラルスは両腕を前に突き出し――四足で駆けていく。普段は言いつけを守り控えている獣のような走り方だが、興奮のあまり出てしまったのだろう。そんなところもカリムには愛おしいが、心配でもある。なにせ皇国騎士団にカリムの名前や機械精霊のことをうっかり漏らしてしまったばかりだ。

 ラルスの後を追って部屋に入ると、そこでは青銀のメッシュの入った黒髪を後ろに撫でつけた大柄の男が、顔に似合わずシンプルなエプロンをつけて料理台に立っている。男は二人の到着に振り向いて、「お帰り」と端的に返した。

「肉! 肉だ! ガイにい肉!」

「はいはい、先に手ぇ洗ってこい。味見させてやるから……あー、ついでにラムラス呼んできてくれ」

「ラムにいまた部屋にこもってんだな!」

 分かった! と素直に頷いてラルスは洗い場へと駆けていく。それを見送って、カリムは男――ガイに歩み寄った。

「垓兄様、今日は肉が手に入ったのか」

「おう。新鮮なやつだ、たんまり食え。紅花ホンファも直に帰ってくる」

 生命が死ねば災骸になるマキネスで、人工のタンパク質を肉風味に味付けした人工肉ではない、家畜の肉というものは希少である。屠畜してすぐに解体し――精霊種から作られた保存用パックで数日程度はもたせることができるが――売り捌き調理して食い切らねばならない本物の肉は、競争率も高くなかなか手に入るものではない。香ってくる良い匂いに、カリムもそわつきを抑えられそうになかった。

 だが、報告はしなければならない。カリムはごほんと一つ咳払いをし、料理番であり――自分達と同じ狼月の幹部である男を見上げる。

「垓兄様。虚無区となったパスル村付近で、ヴィスリジア皇国騎士団と遭遇した」

 ぴくりと肩を動かした垓が、息を吐いて目をカリムに向けた。無言で続きを促され、カリムは頷いて口を開く。

「一目見て、私達を狼月だと判断した。何らかの理由で既に私達を追っている可能性がある。遭遇したのは分かる範囲で――太陽の機械精霊の契約者である騎士団長と、聖技祭ユーフェン・セルスタール。聖技祭の方には動きだけでラルスの『足』に気付かれた」

「……ほぉ。流石の観察眼だな」

 言葉だけは冗談めかして、垓は呟く。カリムの表情は固いままだ。

「垓兄様……やはり、聖技祭が怪しいのではないか? ラルスが感じてきた匂いとは違うようだが……」

「その最終判断は俺じゃねぇな。騎士団が追ってんなら、拠点の移動も視野に入れるべきだと思うが」

 くい、と垓が顎で示した先に、カリムも目を向ける。その先で、革張りのソファに一人の男が腰掛けていた。

「どうする、シィアォ

 垓がそう声をかける。宵と呼ばれたその男は暫し無言で、己の膝に転がる黒い狼を撫でていた。

「……太陽の機械精霊か」

 やがて、ぽつりと声を落とした。低い、静かな声だった。

「デュオネスが落ち着かない。惹かれ合うものがあるようだ」

 宵の膝で、狼がひとつ、尻尾を振る。ぱさりと軽くソファを叩いた黒い毛並みは、夜闇のように深い色をしていた。

「興味があるか?」

「興味……そうだな、俺も、興味がある」

「そいつぁ結構だ」

 宵の返答に、垓は笑う。

「飯を食いながらでも、方針を決めようじゃねぇか。俺達はお前に従うぜ」

 その言葉に、カリムも頷いて宵を見た。そこに迷いはない。

「決定をお願いします、私達の、」


 ――ボス。

 その声に、宵はゆるりと振り返り――「俺だけ兄様じゃないのは寂しい」と呟いた。

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