2-7:子狼、二匹

 リズー・ワーナーは軍人家系の生まれである。

 騎士団と軍は昔から相反した存在のように扱われ、事実折り合いは良くない。騎士団に入団する人間は、自然と、マクスウェルやアリシェルのように騎士家系の人間であることが多くなる。軍人の家に生まれた人間が騎士団に入ることはかなりのイレギュラーであると言えた。

 ただ、リズーは軍人としての縛りを嫌う少年だった。彼にとって、軍でのしあがることとは上の人間に媚びる術を学ぶことであった。それを嫌い、幼少期から野山を駆けることに親しんでいた彼は、家の中でも落ちこぼれとして疎まれた。やがてそんな環境に心を歪ませていった彼を拾ったのが、十四年前、在りし日の前団長ソルドレイク・ラグルスである。彼はリズーのその在り方を、「戦士の素質がある」と評価した。

 リズー・ワーナーは幼少期から、野山を駆けることに親しんでいた。その筋肉は飛び、跳ね、木を掴み、不安定な足場を駆けることに適化していると診断したのはユーフェンだったか。リズーは、騎士団でも有数の機動力を誇った。単純な足の速さと跳躍力では靴型霊技器を扱うアリシェルに劣る。だが、ではリズーに分があった。

「――捉えた、」

 駆ける、翔ける。木々を潜り抜け、根を蹴って、その拳に鉤爪型の霊技器を嵌めて、駆け抜けたリズーは――森の中、小さな黒い影を目視する。

 小さな影。その影は子供のものに見えた。その認識が、一瞬リズーの足を鈍らせる。しかし――影が、振り向いた。黒い外套を被った頭から、青みがかった緑の髪が覗いて、軽く跳ねたその髪の隙間、紫の瞳とかち合う。

 ゾッと、リズーの背筋に冷たいものが伝った。

「(は子供じゃない)」

 歳は若い。アグリと同じか、一つか二つ下だろう、幼い顔立ち。丸みを帯びた瞳は大きく――だが、リズーの騎士団としての経験と、何よりも野性的な勘が、鈍りかけた足を強く踏み込ませる。侮るべきでない、子供ではない――強者だと、直感的に感じ取った。

 少年が振り向くのと、リズーが身を屈めるのはほぼ同時だ。ツパッと、軽い音を立ててリズーの黒髪が短く数本舞う。背後で、何かが木に突き刺さる音がする。屈んだ体勢のまま、リズーの足は木の根を蹴る。

 ――ドシャアッ、と、地面に倒れ込む音が響いた。

「――動くな」

 少年を大地に押し倒し、片手は己の片腕で、もう片方の手は足で踏みつけて、その首元に鉤爪の先を押し当てながら、リズーは低く唸った。つうと、彼の額から流れた液体が、そのまま右目に落ちてくる。そして、その赤は白い制服を汚し、下に敷かれた少年の頬にかかる。

 顔を覆うフードは完全に外れ、少年の顔を露わにしていた。幼い、可愛らしいと言える顔立ち。だがその形の良い眉を顰めるだけで、刃物を首元に突きつけられてなお動じた気配のないその瞳は、凡そ一般の子供のものではない。そしてそれは何よりも、リズーの背後の木に刺さったままのナイフが証明していた。加えて、片方だけ捲れ上がった外套に隠されていた、少年の腰についた長物の剣も。

「……は、カワイイ顔して良い腕してんじゃねえか、掠っちまったよ」

 額を切られ、流れる血を鬱陶しそうに一度振り払い、リズーは笑う。

「お前、何だ。気配の消し方といい投げナイフの腕といい、ただのガキじゃねぇだろ。こんな所で何をしてやがった? ――狼月ラァンュエの関係者か?」

 少年は黙ったままだ。そりゃそうか、とリズーは息を吐く。吐いて、――妙だな、と、どこかぼやけた頭で考えた。息切れが早い。これくらい走った程度で息切れするような鍛え方はしていないはずだった。

「リズー!」

 ソラの声がする。追い付いたのだろうと、下の少年への警戒は解かないまま、視線だけでもそちらに向けようとした。

「――左上だ!」

 その言葉と、ほぼ同時。リズーが反射的に掲げた腕に、衝撃が走った。左上からもう一つの影がリズーに襲いかかってきたのである。交差した鉤爪が受け止めたのは――腕だ。大きめの手袋をつけているとはいえ、武器などは携えていない素手が、刃物と噛み合って血のひとつも出していなかった。その腕の持ち主――フードを被った赤紫の髪の少年が、吠える。

「カリムに触れるな!!」

 狼の吠え声のようだ。そう考えた刹那、リズーの下で金属音が響く。ハッと、リズーは己の失敗を悟る。鉤爪でもう一つの攻撃を防いだ。それはつまり――

 パンッ、と、乾いた音が響いた。


 大地を蹴り、後方へと飛ぶ。ボタボタと、赤い液体が地面を汚した。

「すみま、せん。ソラ様、……しくりました」

 血を垂れ流す左肩を抑え、ソラの傍に戻ったリズーがそう吐き捨てる。視線は先程の――二人の少年から逸らさない。

「いいや。……尻尾を踏んだ。よくやった、リズー」

 ソラもまた、少年達から目を逸らさないままリズーに応える。視線の先で、煙が上がっていた。

「……拳銃の所持。狼月の関係者で無かったとしても、捕縛し話を聞かなければならない案件だな」

 そう、ソラが呟くのに、少年達が答える気配はない――否、赤紫の髪の少年は、きつく目を吊り上げて唸っている。剣とは反対側の腰に着けていたのだろう拳銃を、こちらに向けながら立ち上がった――カリムと呼ばれた少年が、それを手で制した。

 拳銃。コストと災骸討伐との相性の問題で、銃器が霊技器として採用されることは少ない。逆に言えば、銃器は『対人用』と言える。だからこそ拳銃の所持は原則認められていないが、裏社会では密やかに流通しているという。すなわち、認可された軍人が申請を経て任務中に持つ以外は――拳銃を持っていることは、裏社会に属する人間である証左である。

「ソラ、様。……気ぃ付けてください、あのカリムってガキ、投げナイフに毒塗ってやがる」

 は、と、左肩の怪我のせいだけではない息を吐いて、リズーは唸る。カリムは冷ややかな瞳のまま、ソラ、リズー、そして後方に控えたユーフェンを順に見た。

「……その肩当てと、制服。ヴィスリジア皇国の聖騎士団だな。赤髪が、太陽の機械精霊の契約者か」

「キカイセイレイ?」

 反応を返したのは隣の赤紫の髪の少年だった。カリムと、次いで三人に視線を向け、不機嫌に唸りを上げる。

「ボスと全然違う! 嫌いだ! カリムに痛いことした!」

「……成程、狼月が機械精霊を保有しているという噂は本当なのかな。ボスが契約者なんだ?」

 カリムが無言で赤紫の髪の少年の服を引っ張る。ユーフェンの指摘に、しまったというような顔をした少年は、すぐに唸ってユーフェンを睨んだ。

「お前嫌い!!」

「嫌われてしまった。悲しいね、遠目で見ても良い体つきをしていて好ましいと僕は思うんだけど」

 ユーフェンの人体フェチは皇国内では有名すぎて誰も気にしないが、流石に外の子供にその発言は――相手が裏社会の人間とはいえ――少々危うい気がする。それをリズーが言及する前に、ユーフェンは再び口を開いた。

「でも、君の足。なんだか動きに違和感があるね。人の関節の動かし方だと、そういう跳躍はしないはずだ」

 ――その言葉で、少年二人の纏う空気が一気に張り詰める。赤紫の髪の少年のズボンはオーバーサイズなうえに股下が随分深い。さらに少年の体格にはオーバーサイズと言っても大きすぎるブーツも履いており、その下半身のシルエットは伺えなかった。ユーフェンがにこりと笑う。

「デリケートな話題だったらごめんね? 医者としてつい気になってしまって」

「……長い三つ編みの薄い金髪。神の怒りの克服者、ユーフェン・セルスタール」

「そちらにも知られているんだ。大層な名前だけ独り歩きしていると思うと居心地が悪いけど」

 低く、名を呼んだカリムは、微笑むユーフェンにさらに顔を顰めた。赤紫の髪の少年が擦り寄るようにカリムに口を寄せる。

「どうする? 殺す?」

「いや、一旦退く。無計画に相手取るには相手の名がでかい。それに――」

 その後呟いた言葉は、ソラ達には聞き取れなかった。だが赤紫の髪の少年は頷いて了承を示す。

「……逃がすわけにはいかない。捕縛させてもらうぞ」

 全文を聞き取れずとも、少年達が離脱しようとしていることは分かった。リズーの手当てをユーフェンに任せ、ソラは一歩踏み出す。だが、カリムに動じた様子は無い。赤紫の髪の少年の頬を撫で、その目を眇めた。赤紫の髪の少年が、素早くカリムを抱え上げる。

「災骸を倒すのに長けていたとしても、対人戦はどうだ?」

 パンッと発砲音が響いた。その音はソラが精霊器を構え大地を蹴ると同時に、もう一発。その銃弾はソラ本人ではなく、地面に撃ちこまれた。その先にあったのは――数日の間に雨でも降っていたか、木の根の隙間に出来たぬかるみ。

「――ッ!」

 飛ばされた泥が、ソラの目に向かう。咄嗟に腕で庇った時――少年達を視界から外してしまった。加えて、何かが投げ込まれる。それが何かを把握する前に、煙がその場に立ち込めた。

 咄嗟に目を閉じ、鼻や口を抑えて――次に目を開けた時、既に少年達の姿は森の闇に消えていた。人の気配をたどるのは、ソラはリズーほど手馴れていない。息を吐き、耳の通信機を操作する。

「上空から追えるか」

《……上手く森の影を進んでるみたいです。見失いました……》

「あちらに地の利があった。気にするな」

 アグリの落ち込んだ声が響く。返答と共に通信を切り、ソラはユーフェンとリズーの方へ顔を向けた。リズーの息は荒く、ぐったりと木に凭れ掛かっていた。

「リズーは?」

「傷はそう深くないよ。上手く避けてる。毒についても命に関わるものじゃないみたいだ、飛行艇に戻って毒抜きをすれば元の調子を取り戻せるよ」

「……そうか」

 安堵の息を吐いて、ソラは上を向く。青空に、近くに戻ってきた飛行艇が見えた。

「とにかく……一度、集合だな」

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