2-6:黒の覆いは何と為す
「――虚無区の広がりの、停止を、確認」
操縦室、その最も広く地上を見渡せる場所から、ジラフがそう報告した。
やがて、船首に立つソラの元へルイーゼが歩み寄る。彼女には聖技官として、操縦班や整備班のサポートの元、虚無区の範囲を調べさせていた。
「虚無区となったのはパスル村を中心として半径約百キロメートル区間。付近の村との境界線は越えませんでしたが、いくつかの村に水を引いている川が巻き込まれました」
「……分かった。国王陛下に報告し、対応の申請を」
痛む頭を抑え、嘆息混じりにソラは返答する。そして、己の背後に並ぶ騎士団員の方へと振り向いた。
「調査を行う。操縦班、出来るだけ虚無区の近くに着陸を。下船メンバーを下ろしたら付近を飛び、上空から詳しい観測を頼む。整備班も上空の観測に加わってくれ。
医療班、戦闘班。数人に別れ、周辺の住民への指示と混乱鎮静を。ルークレイドはそちらの指揮に。
ユーフェン先生は私に同行し、地上での虚無区調査を頼みたい。リズーはこちらに同行してくれ」
ソラはそれぞれに指示を出し、最後にリズーに目を向ける。リズーは戦闘班の中でもアリシェルに並び機動力が高く、小回りが利く男だ。成人男性相応に力も強い。ソラとユーフェンに加えるならば最もバランスの良い存在であり――何よりも、彼は騎士団で最も交渉事や荒事の鎮静には向いていなかった。
「任せて下さいソラ様! お守りしますから!」
指名されたリズーはにぱっと大型犬のような笑顔を浮かべる。その隣で、マクスウェルが顔を顰めた。
「ソラ様は当然だが聖技祭にも気を配れ馬鹿犬」
「あぁ!? んなもんテメーに言われなくても分かってるっての豚野郎が!」
「何だと!?」
ソラへの忠義は本物だが喧嘩っ早く細かいことには向かないリズーと、真面目で神経質なところのあるマクスウェルは反りが合わないらしい。それでも戦闘になれば良い連携をするのだが――と、ソラが止めようとする前に、ヒュッと、鋭く風を切る音が響いた。
「もう、リズーさん、マー君。こんな時に喧嘩はダメよ」
「「すみませんでした」」
最早この二人の仲介役となっているアリシェルの、鋭い蹴りが二人の間、鼻先を掠めたらしい。柔らかい雰囲気のままの彼女だが、この後調査任務に向かうのでなければ二人を地面に埋める程度はしたのだろう。何せ、アリシェルは戦闘班の中でもライナルト、ペドロに並んで三本指に入る実力者である。
「流石だな、アリシェルは」
「……その一言で済ますソラ様の胆力もかなりっすよ」
青い顔でそそくさとソラの傍へと歩み寄るリズーにソラが首を傾げると、片隣に居たユーフェンがクスクスと笑った。
傍に森が広がる、平地。そこにソラ達を下ろしてから、もう一度飛行艇は上空へ浮かぶ。それを見送り――ソラは、己の背後に聳える黒い壁へと向き直った。
黒い壁――虚無区を覆う、構築物質さえ謎に包まれたドーム状のナニカ。確かなことはそれに触れたものは消え失せ、消滅しているのか内部に入ったのかも分からないまま、外からの反応は失われるということ。それに近付きすぎることは得策ではない。数メートルの距離を置いて、ソラは虚無区の前に立ち止まり、見上げる。
距離を保っていても、こうして虚無区の目の前に立てば、ソラは何かゾワゾワするものを感じていた。心臓が――太陽の機械精霊の核が、カチコチと、いつもよりも早く鳴る。
「機械精霊がざわめくかい、ソラ様」
ユーフェンが声を掛けるのに、ソラは首だけを彼に向ける。
「……ああ。リュオネスが落ち着かない」
「虚無区に機械精霊も何か感じる所があるのかもしれないね。分核の位置なんかも、機械精霊には感じ取る力があるから」
ソラの隣に、ユーフェンは並び立つ。そして、同様に黒い壁を見上げた。
「……虚無区。直で見るのは十年ぶりだね」
「リゾルディア戦争っすか」
そう苦く呟くユーフェンに、二人よりもやや後ろに待機していたリズーが問う。
「悲しい、酷い戦争だった。三つの民族小国跡地は未だに黒いドームに覆われたままだ」
そう答えて、ユーフェンは懐から小さな瓶を取り出した。その中に入っているのは――植物の、種に見える。五センチ程の大きさの真っ白なそれは、精霊種、によく似ていた。だが精霊種は多くはその二倍ほどの大きさをしており、なによりもこんなところで出すようなものではないだろうと、ソラはその可能性を否定する。
「それは?」
代わりに素直に問うと、ユーフェンは少し笑った。
「元々虚無区の調査も同行の理由に入っていたからね。持ってきておいたんだ。まあ……簡単に言えば、色んなエネルギーの吸引装置、みたいな。虚無区を覆うこの黒い物質に、効けばいいのだけど。あ、この鞄持っててくれる?」
言って、ユーフェンは己の鞄を持たせたソラとリズーを少し離させてから、瓶のコルクを外して口を黒い壁へと向けた。黒い壁は、変化が無い。ユーフェンはそのまま、慎重に、壁へとすり足で近付いていく。それに注意するのはお門違いだろうと、ソラもリズーも分かっていた。知識としてはユーフェンの方があるはずだ。その端正な顔に伝う脂汗が、彼が非常に気を張り詰めて、ギリギリの距離を探っていることを示していた。
ほんの、数ミリ。さらに距離を近付けた時、黒い壁が――揺らぐ。
「――ッ!!」
黒い壁が揺らぎ、その一部、霧のような黒い何かが吸い上げられるようにユーフェンの方へと噴出する。それがユーフェンが持つ瓶へと至るのと、リズーが咄嗟に地面を蹴りユーフェンの首根っこを掴んで引き離すのはほぼ同時だった。勢い余って、二人は後方へと滑るように倒れ込む。
「先生! リズー!」
ソラが駆け寄ると、受身を取ったらしいリズーと尻餅をついたユーフェンが手を振って無事を示した。ユーフェンが振った手に握られた瓶の中、真っ白だった種は真っ黒に染まっている。
「効いて良かった、上手くいったよソラ様。それから有難うリズー君、良い足の筋肉だね触っていい?」
「どさくさ紛れのセクハラやめろや」
問題なさそうな二人に、ソラは安堵の息を吐く。そして、ユーフェンに鞄を返しながら、黒く染まった瓶の中の種を見下ろした。
「……それも先生の発明なのか?」
「ん、まあ、そんなところ」
へらりと笑って、ユーフェンは鞄から様々な器具を取り出していく。何を測定するのか分からないレーダーや開閉式の打ち込み装置など、理解は及ばないが、種と比べれば解析の道具として納得が行くものばかりだった。
「黒い物質の方の解析は流石に皇都に帰ってからになるだろうけど、可能な限りのデータは取っておこう。とりあえずはこの付近の環境値を、」
そうユーフェンが言いかけた時、リズーがバッと顔を上げた。目を見開き、周囲へ首を回す姿は野生動物に似ている。その動作は、ソラとユーフェンに緊張感を与えるに十分だった。
次いで、ソラの耳についた通信機が震える。アグリの声だ。
《――ソラ様、リズーさん! 三人の、虚無区と反対方向に広がってる森に、誰か、居ます!》
「ああ、感じてる」
返答を返したのはリズーだ。威嚇するように、歯を見せる。
「気配が――上手く消してるが、ある。人間、か? 動きが不審だ、それにこの森はそう人間が立ち入る場所じゃない、しかも虚無区化が起こったすぐ後に――」
そう呟くリズーも、ソラもまた、同じことを思い出していた。機械精霊を保有し、各地で不審な動きをしているという、
ピクッと、リズーが肩を震わせる。
「――ッ! 向こうも俺達に気付いた! 気配が遠ざかります!」
――このままでは逃げられる。ソラの判断は早かった。
「っ、先生! すぐに片付けて――いやそのままでいい、私から離れるな!」
「わ、わかったよ」
ソラはユーフェンの手を掴み、リズーを見上げる。突然飛び込んできた手掛かりを、見過ごす選択肢は無い。
「先行しろリズー! 私は先生と共に追う! 必ずや尻尾を掴め!」
「御意、我等が太陽の輝きの導を以て!」
リズーが大地を蹴る。砂煙を散らせた一脚は、一瞬にしてその姿を森の中に消した。
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