2-5:影は密かに忍び寄る

 遠く、蒼々とした大空へと飛行艇が飛ぶ。パスル村を飛び立った、聖騎士団保有飛行艇ソル・ヴィリアの影を仰ぎ、村人の一人が息を吐いた。

「やっぱり、頼れるのは騎士団だよな」

 そう言葉を落とした男に、別の男が歩み寄る。

「聞いたか? ソレイラージュ皇子は伝令が入ってすぐに出発を早めて助けに来てくださったらしい」

「流石は太陽の御子だわ。誰より私達のことを考えてくださる」

「肝心な時に役立たずの弔花とは大違いだ。見たか?あの怯えた顔」

「騎士団が来てくれなければどうなっていたことか――」

 男も女も集まって、意味もなく声を潜めて笑う。通りがかった一人の弔花隊員は、顔を顰め足早に通り過ぎた。こんな影口はそう珍しいことでもない。精霊種が発明される十年前までは死期の近い者達へのを行ってきた弔花に対する偏見と嫌悪は十年経っても拭い去られることは無い。怪物じみた強さで皇都を守護する弔花隊長・タカミを除き、弔花の殆どの隊員はただ霊技器を与えられているだけの肉壁に近い。災骸と渡り合う力など、持たない者ばかりだ。その弔花隊員自身も、軍での不祥事が原因で左遷された男だった。

「(そういえばタカミ隊長は自己志願入隊なんだっけ)」

 力のある者はわざわざこんな割に合わない戦いに首を突っ込んだ上で、成果を出すことができるらしい。ノブレス・オブリージュというやつか。立派なものだ――そう、先程の戦いで痛む肩を抑えつつ、男は誰に対してとも分からない嘲笑を漏らした。

「あれ、全然皆生きてんじゃん。っかしーな、災骸大量にぶちこんだのに」

 ――そんな、声が。

 数年弔花隊員としてこのパスル村の管轄に居て、聞いたことの無い声だった。若い男の声だった。その言葉の内容も汲み取り切れないまま、顔を上げる。

 次に目に入ったのは、鮮血。

 ――痛み。熱さ。どう形容するべきか、そんな感覚が、その首を走った。噴き上げたあかいろは、そこから出ているらしかった。息が出来ない。声が出せない。はく、と、一人の哀れな弔花隊員が口を一度開閉した。

「まあいーけど。邪魔は殺せば済むしな」

 膝から崩れ落ちた黒い軍服の横を、男は通り過ぎる。その手に大鎌を携えて。

 え、だか、何、だか。そんな声を、弔花隊員は聞き取った。先程弔花を嘲笑った村人達が、自分達に近付いてくる奇妙な男に、困惑する声だった。

 その弔花隊員に、力は無かった。喉を切り裂かれ、倒れ伏し、仰向けになったまま、男が村人達に近づいて行くのを見ることしか。

「――ぇ゛、ろ゛、」

 その弔花隊員にとって、弔花など望んで入隊したわけではない。一刻も早く軍に戻りたかった。守られるだけのくせに、弔花を嘲る村人達が嫌いだった。その弔花隊員に力は無かった。故に、無様に災骸に怯え、今こうして死にかけていた。ノブレス・オブリージュなんて論外で、

「に゛げ、ろ゛!!」

 それでも、人として、彼は狂刃の迫る村人達に、潰れた喉で叫んでいた。その声を聞き届け、人々は咄嗟に走り出す。


「意味ねーって」

 嘲笑う。

 男の大鎌が、四方に駆けた村人達の首を全て、撥ねていた。血潮が舞って、赤が大地を汚した。ひゅ、ひゅ、と肺に入らずに傷からすり抜ける空気が、涙を流したままの瞳孔を開いた弔花隊員の喉を鳴らしていた。

「あ、成程な。騎士団が駆けつけて災骸全部消しちまったってわけ。もう飛び立っちまったのはラッキー? アンラッキー?」

 赤い池を踏み鳴らし、人々の骸を蹴りながら、男はふと合点がいったように呟く。そうして、全て、笑い飛ばした。

「ま、いっか。仕事しねーとな、どうせまたアイツ、確認しにくんだろーし」



「次の目的地は都市ベキュラスだって?」

 艇内シャワー室からのそのそと出てきて――今だ湿った髪を適当にタオルで掻きつつ――ペドロは整備室に足を踏み入れる。レンチを持ちながら、アグリが振り向いて「髪ちゃんと拭いて!」と文句をつけた。

「乾かすの面倒臭くてさぁ~……、いて」

「整備室は水気厳禁だよ」

 その文句をのらりくらりと躱そうとしたペドロの足を、背後から初老の女性が蹴り飛ばす。整備室の長である整備班長、グロリー・ジーンだった。

「ジーン女史は厳しいねぇ」

 へらりと笑ったペドロに、背後に立たれた驚きも蹴られたダメージも感じられない。グロリーは溜息をつき、己の灰色の髪を纏めながらアグリに声をかけた。

「アグリ、アンタまだ休憩してないだろう。給水のついでにこの男を叩き出しておくれ」

「あ、はーい!」

 師の言葉に素直に頷き、アグリは道具を手早く片付けてペドロとグロリーの立つ入口付近まで駆け寄る。

「ペドロいつも戦闘班で一番汚れてくるの何でなのさ」

「おじさん汚れに気を遣うの苦手なのよー」

 アグリに腕を引っ張られ、へらへらと笑いながらもペドロは従って歩き出した。


 皆、各々自室なり仕事部屋なりに居るのだろう、食堂には誰もおらず、広さも相まってがらんと静かである。アグリは慣れた様子でウォーターサーバーに駆け寄り、コップに冷えた水を注いだ。

「夢と破滅の街、ベキュラスかぁ。ま、狼月の情報収集には妥当だろうけど、ランドルフあたりが喜びそうだねぇ」

 濡れた髪のまま、ペドロがそう笑った。アグリは一息に水を飲み干す。熱気が篭もる整備室で、自覚していたよりも喉が渇いていたらしかった。ひとつ息を吐いて、アグリはパッと背後のペドロに向き直る。

「ペドロも! ベキュラスに行くのは仕事なんだからね!」

「大丈夫大丈夫、おじさんカジノは興味無いから」

 そうへらへらと笑うペドロが言う通り――ベキュラスはカジノで有名な賭博の大都市だ。そういった街には自然と、グレーやの人間や情報が集まる。国としては大っぴらに認めることは出来なくとも、昏い部分というものは否応なく存在する。そして、昏い部分に存在するものを追うためには、その中に近付いていくしかない。

「ランドルフさんとかリズーはワクワクしてたけど、僕はちょっと怖いな……なんか、危なそうだし」

「アハハ、ま、アグリはあんまり一人にならない方がいいかもねぇ」

 そう笑って、ペドロは俯くアグリを撫でた。



 ――パスル村は、赤く。酷く、静かである。伝令機は使用される前に破壊され、ただの金属の破片となって死体の傍に転がっていた。

 その惨状を作り出した男が歩み寄る。そこにあるのは、祠――その中に納められた、分核。

 男が、大鎌の刃先を分核に添えた。



 ――地響き。

 いや、地響きだろうか。大地から伝わっているのかも定かでなかった。ただ、空気さえ揺らす衝撃が、ソル・ヴィリアを大きく揺らした。バランスを崩し、悲鳴を上げて転びかけたアグリをペドロが支え、彼自身も身を低くする。

「何だ!?」

 真っ先に甲板に飛び出したのはリズーだった。続々と騎士団員が出てくる中、ユーフェンが誰よりも前に出て眼下の地上を見下ろした。目を見開き、ユーフェンの額に汗が伝う。

 その隣に駆け付けて、ソラもまた乗り出して――見た。


 パスル村が。

 まるで、ノイズが走るように。バグとして崩れていくように。ブロック状の黒い点々がパスル村を覆っている。否、パスル村周辺の時空が捻れ、パスル村そのものが断片化して黒いブロックになっていくようにも見えた。まるでモニターがバグを起こしていくようなそれは――現実に、起きている。その光景は酷く不気味で、おぞましく。

「――ッ出来るだけパスル村から距離を取って!! 高度を上げるんだ、何処まで巻き込まれるか分からない! 周辺の村にも連絡を、間に合うか分からないが――ッ」

 ユーフェンがそう、叫んだ。ルークレイドがハッと目を見開いて、操縦班に手で合図を送る。ジラフが放心するブリジットの背を叩いて操縦室へと駆け出した。操縦室に待機しているチャドにもすぐに伝わるだろう。

「――これは、これが……?」

 呟く、ソラに。ソラと並んで再びパスル村を見下ろしたユーフェンが苦く頷く。

「……どうして。さっきまで、異常は無かったのに、これは――」

 パスル村の周囲の時空は、どんどん崩れ、黒いブロックへと変質していく。そして、やがてそれは一つとなり。


「パスル村が、虚無区化した……!!」


 眼下で、巨大な黒のドームが――パスル村を中心として、穿たれた。

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