2-2:火中戦線

「見えました! パスル村です!」

 飛行艇ソル・ヴィリアの甲板にて、帽子を被った茶髪が揺れる。その髪と同色の瞳を見開いて、船首に乗り出したアグリが叫んだ。

 アグリは、整備士である。だが彼は非常に視力に優れ、騎士団内でも真っ先に状況を視ることが出来た。それがアグリの――勿論グロリーという、代々皇国騎士団の整備を託されてきた由緒正しき血を持ち長らく整備班長を務める女史に、弟子として認められた整備士の腕前もあれど――本来十八を超えた者が所属を許される団にて、十六の若さで飛行艇に乗ることを許された所以であった。

 飛行艇が更に近付いた事で、その目はパスル村の現状を捉える。

「災骸は二足歩行――救援信号の狼煙を出している建物を囲んで、一、二……二十! うち二匹は巨大化しています! でかいのと、すごいでかいの! 扉の周りに集まってるけど、周りにも二、三匹ずつくらい!」

「……既に幾らか、『喰った』のだろうな」

 アグリの後ろ、装具を身に纏ったソラが歩み出た。手には精霊器――太陽の如く輝く剣を持ち、次第に鮮明に見えてくるパスル村を見据える。

「――高度を下げろ! 向かう!」

《御意!》

 ソラの命令は通信機にて操縦室に響き渡った。飛行艇はその通り、高度を下げながらパスル村へと近付いていく。もう随分と近付いて、その村の姿は夜闇でもよく見えた。倒壊した家屋についた火に照らされて、壊れた家、空になった家畜小屋、荒らされた道、そして狼煙をあげる建物の周りを取り囲む黒い甲殻達――それらが騎士団の目に届く。

「――戦闘班は周辺の災骸を無力化せよ! 一匹たりとも他所へと出すな!」

 甲板を蹴り、ソラが船首に乗り上げた。外套は風にはためくも、その体は揺らがない。

「私は中心を叩く! ルークレイド、援護を頼む!」

「っ、は!」

 赤髪が飛び降りる。体の軸は保ったまま、災骸の黒で蠢くその最中へと。それを追ってルークレイドも続き、彼の腕は空中にて己よりはるかに小柄な騎士団長の身へと伸ばされ、その足を己の掌に乗せるように抱えた。

 空中にて、光の刀身はぐにゃりと揺らぎ、輝く龍を模す。それは、風に包まれソラを抱えるルークレイドの足を拾い上げ、真っ直ぐに黒の中心へと下る。

「太陽の機械精霊、リュオネス。哀れな骸を喰らいに行こう」

 言葉を落とす。ソラの赤い瞳は、最も建物に近く、今まさに――弔花隊員の持つ盾に噛み付いている災骸に向けられる。盾が、既にひび割れていた。そのひびは深くなり、長くなり――

 パシン、そんな、小さな音。破片が飛ぶ。

「――弾け!」

 ルークレイドの掌がソラの足場となって、ソラは彼に押し飛ばされる形で蹴り出した。光の龍は、災骸が割れた盾を持つ弔花隊員に噛み付く前に、その頭を飲み込む。

 喰らうように、災骸の頭を薙ぎ切って。ソラの足が地上に至る前に、その赤髪が靡く背に、ひとつの黒い腕が伸ばされる。未だ何も喰らっていない小型の――それでも五メートルほどの体躯をした災骸の――それは、小さな身を握り潰そうとして。

 黒い液体を噴き上げ、落ちる。

 ソラは建物を、弔花隊員を守るように大地に降り立ち。その後ろに、剣についた黒い血を振るい飛ばしてルークレイドが構えた。


 ――ソラに次いで、何も告げずに飛行艇から飛び降りたのはヘアバンドで乱雑に上げた黒髪。

 その表情を唯一視界に留めたライナルトが、渋く眉を顰める。だが首を振り、腕を横薙ぎに振り払って叫んだ。飛行艇に高らかに声が響く。

「我等も続け! たとえ小型でも災骸だ、連携を忘れるな――マクスウェル、アリシェル、リズー!」

『はっ!』

 霊技器の煌めきと共に、風に守られるように包まれた四人が同時に飛び降りる。それを見送って、ラインバッハが呻いた。

「毎度の事ながら飛んでる飛行艇から飛び降りるなんて良くやるよ、いくら風の機械精霊の加護があるからって」

「言っている暇はありませんよ、霊技器を」

「わーってますよ」

 オズワルドに言われ、ラインバッハは懐のペンダントの形をした霊技器を握り締める。オズワルドもまた、同様に備えた。

「……またペドロ、ライナルト班長の言う事聞かずに一人で行っちゃったよね? 大丈夫かなぁ」

 アグリがそう零すのに、オズワルドは少々頭の痛む思いをする。この、を人と信じている純朴な少年にどう言ったものかと――

「あの男なら問題ないさね、そんな事よりちゃんと戦況を見な」

 だがグロリーの言葉で、アグリは未だ不安げながらうんと頷く。それに安堵と感心を覚えつつ、オズワルドは黒の中に飛び込んだ色彩を目で追った。


「――っは!」

《A、Aaaaaaa――!》

 薄桃色の長く癖のある髪が舞う。戦闘班の紅一点、アリシェルは、飛び降りざま災骸の目に刃を仕込んだ靴型の霊技器を踏み付けるように突き刺した。そして、まるでもがき苦しむように暴れ出すそれをそのまま蹴り付けて少し離れた場所に降り立つ。

 痛覚があるかは定かでないが、確かに災骸は生き物と同じ感覚器官にて知覚をしている。耳で物を聞き、目で物を見る。霊技器では殺す事は出来ないが、目を潰せば視界の回復には時間がかかる。

「――アリシェル!」

 背後から、声。アリシェルは迷わず飛び立った。彼女の足元を銀の一閃が過る。

《Aaaaaa――ッ!!》

 がくんと、災骸の頭の位置が低くなる。否、その両足が切断されて体ごと落ちたのである。その巨体は前に倒れ、頭部は両足を切り落とした男の上へと――至る前に、黒い液体が吹き出した。ごとんと、首が落ちる。精霊器でしか殺せぬそれは、首と両足を失って尚藻掻くが、暫くはろくに動けないだろう。

「素晴らしい太刀筋ですわ、班長」

 倒れた災骸の上に降り立って、アリシェルが微笑む。己に覆い被さりかけた災骸の首を己の真上にて落とした男、ライナルトの長い銀髪は、彼を護るように広がった透明な覆い――支援用霊技器による遠隔障壁――によって、黒い液体に汚れることすらなかった。

「有難う。だが少し、オズは心配性が過ぎるな」

 戦闘班が戦っている間、支援用霊技器の障壁による補助と防衛を行うのが医療班や手の空いている操縦班、整備班の仕事である。とはいえ災骸の血からも守る必要は無いだろうと、ライナルトは己の幼馴染みたる医療班長オズワルドに肩を竦めた。

 ――そんな、他愛ない話をしながらも、彼等は災骸から目を離さない。武器の切っ先を緩めない。ライナルトは身を翻して、アリシェルは飛び去って、次の敵へと。


「――ッは、ぁ!」

《Aaaaaaa――ッ!!》

 灰色の長い髪と、銀縁の眼鏡。生真面目な優等生然とした風貌のその男――マクスウェルは、その印象を覆す大斧の霊技器を、薙ぐ。それは目の前の災骸の左足を切り落とした。巨体が傾く。

 傾いた災骸の背後、飛行艇からの援護として出現した障壁を踏み台に、男が飛び出す。焦げ茶の髪とアンバーの瞳が周囲の炎に照らされ、男、リズーは身を翻した。

「あらよっとぉ!」

 その両拳には鉤爪型の霊技器を備え、その刃は身を支えようとした左腕を刈り取る。そのまま、支えを失った災骸は砂煙と轟音を立てて転がった。リズーが降り立つ。

「さァ次だ! 着いてこいよ豚野郎!」

「貴様が取り仕切るな駄犬が!」

 吠え上げ、リズーとマクスウェルは己に襲いかかる別の災骸のその伸ばされた一本の腕を、両側から半分ずつ抉った。それは黒い液体を吹き出して、自重に耐えられず千切れ落ちる。

 しかし霊技器を振り下ろし――無防備になった二人に、両側から二匹の災骸が牙を剥いていた。

「もう、マー君もリズーさんも喧嘩しないで頂戴な」

 その牙は、二人の身に届かない。片方はアリシェルが、言葉と共に頭を蹴り飛ばし、片方は飛行艇からの障壁によって弾かれたからである。さらに、障壁に弾かれた側の災骸の足元に、銀が迫っていた。よろけ、無防備になった足を、銀は一閃して胴体から切り離す。

「油断するな。孤立せず、仲間と離れすぎず、一体ずつ確実に災骸を無力化せよ。災骸は自分達を害する者に集まってくるぞ!」

『はっ!』

 足を切り落とされ、後ろから倒れた災骸に背を向けて、銀――ライナルトが毅然と叫んだ。三人は同時に応え、霊技器を構える。

 三人だ。ライナルトを含めて四人、もう一人いる戦闘班員について、誰も言及することはない。最早、いつもの事すぎる。

 ――ドゴシャア!!

 そんな轟音と共に、四人から少し離れた場所で災骸が一匹倒れ伏す。ソラとルーク、ではないだろう。ソラが居るならば、災骸を形も残さず喰らうことができるのだから。

「……毎回一人で暴れやがって。タカミのヤロー程じゃなくたって、あいつも大概バケモンだろ」

 吐き捨てるリズーに、誰も否定は零さなかった。


「これだよなぁ、これなんだよ。軍じゃだめだ、騎士団じゃないとなぁ」

 爛々と、銀の瞳が輝く。何匹倒したのか定かではない。頭から黒い液体を被ったのだろう、ヘアバンドも顔も白い制服も黒く染め、男は笑う。男は、ペドロは愉しげだ。だが建物の屋根を、壊れた家屋を、折れそうな木々を。そういった物を足場に飛び回り、災骸に囲まれる隙を作らぬままに一体ずつ刈り取る。その動きは理性的だ。理性的に動きながら、狂気的に笑いながら、彼は片手剣型の霊技器を振るった。そこに、ホットカーペットでだらける男の面影はない。

「騎士団じゃあないと――だから、なんだよ。アグリ」

 飛行艇にいる少年にその言葉は届かない。届かせる気もない。

 また一匹、災骸をその目に捕える。他より大きい。家畜だか人間だかを食らって強化したという、二匹のうちの一匹だろう。

 周りの、他の災骸との位置関係を観る。ルートを、予測されうる動きを、あらゆる可能性を、観る。どれほど経験を積んだとて、災骸の破壊力は甚大だ。少しの油断が、ミスが、危険を呼ぶ。いつでも死はそこにある。

 ――嗚呼、それこそが。

「……堪んねぇなぁ」

 屋根を蹴って、ペドロは標的に向かって飛び降りた。

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