第2話:影追い航路
2-1:闇夜の行先
日は落ち、暗い空を月が照らす。その光は淡く、城の外廊下を照らした。
見上げれば、満月が大きく浮かび上がっている。白い息を吐いて、タカミはそれを眺め――すぐに、頭を振って歩き出した。
こんなにも月が美しい夜は、嫌なものを思い出すから。
“――君はいつから、僕とそんなに親しくなったの?”
脳裏に蘇るその言葉と、その顔を。忘れてしまえと、黒の軍帽を深く被り直す。
軍靴を高く鳴らし、彼は城の中へと消えた。
せめて、紅い月でなくて良かったと思う。
己の目に似ているのだと、だから好きなのだと、彼が笑ったあの夜空を――もう、誰も好むことは無いだろう。
“きみ、――いきてる?”
“ぼくが、きみを、たすけたくて。めがさめて、よかった”
“ねえ、きっと、ぼくたちおとなになっても、ともだちだよ”
*
ユーフェン・セルスタールには二つの評判が存在する。一つは精霊種を作り出し、災骸の脅威を抑えた【神の怒りの克服者】だと称えるもの。もう一つは――度の過ぎた、博愛について、であった。
「色々噂聞きますけど、実際どんな人なんれす? 聖技祭って」
夜、飛行艇ソル・ヴィリアの一室。出航に備え、騎士団員が物資の積み込み作業に励む中、そう問うたのは操縦班の若手、ブリジット・ブロッサムである。そばかす顔とつんつんの髪を側頭部で二つに括った赤茶の髪が特徴的な彼女の、少々滑舌の悪い質問を向けられたのは、医薬品の整理をする医療班の面子であった。
「聖技官も医療士も同じ医者れしょ」
「あのなぁ、ルイーゼはともかく、聖技官と医療士は別モンだっての」
答えたのは眼鏡をかけ、黒髪を無造作に一つに括った無精髭の男、ラインバッハだ。その後方、医療班を纏めるオズワルドが乾いた笑いをあげた。
「まあ、他よりは関わりがあることは確かですね」
「あっしも精霊種のことは知ってんすよ、有名れすし。でもほら、あの……」
少し言い淀み、ブリジットはううんと唸る。しかし結局、口を開くことにしたらしい。
「たまーに、聞くんすよね。『聖技祭ユーフェン・セルスタールは博愛主義だ』とか、……『誘われれば誰とでも寝る色情魔だ』、って話」
アレ、ホントなんですか?
そう付け加えて、ブリジットは首を傾げる。それに今度こそ医療班は顔を見合わせて沈黙した。ブリジットは二十四歳だ。そういった話に配慮が必要なほど子供でもない。だが、堂々と話す内容でもないことは事実である。
とはいえ、ブリジットの顔は真面目だ。彼女は騎士団に深い思い入れを持っている――そういう団員は珍しくはないが、ユーフェンの臨時加入によって騎士団の空気が歪むことを危惧しているのだろう。
「……真か偽で言えば、真、みたいですね」
困ったように笑って、声量を落としてルイーゼが言った。
「男でも女でも、年齢も問わず。実際私が聖技官の修行中、朝帰りも何度か見掛けましたし……聖技祭から誘っている、という訳では無さそうでしたけど。特定の誰かが居るという感じでもないですし、乗り気かというよりは……頼まれ事をこなした、って感じで」
「はぁ、つまり別に自分が求めるわけじゃないし、特別にもしないけど、求められたら断らないと……それで『博愛主義』、っすか」
ブリジットが訝しげな顔をして、鼻を鳴らした。
「それ、どっちかってと、無関心じゃねっすか? それともあの人体フェチとかいうのが実は誘いだったりして?」
「いんや、アレは無欲だろ」
ブリジットにそう返したのは医療班の三人ではなく、背後の扉からの声だった。振り向くと、薄い茶髪の男、整備士ランドルフが木箱を抱えて立っている。
「アレはガチで性欲の欠片もねーし、本人より人体そのものに芸術品として興奮してるだけだ。個人に対して欲も関心もねぇんだよ、俺には分かるね」
「あー、ランドルフさんは性欲の塊っすもんね」
「んだとテメー連れ込んでやろうか」
「騎士団として不適切な発言は謹んでくださいね、ランドルフさん」
ランドルフとブリジットの応酬をオズワルドが溜息混じりに止めると、サーセン、と軽い口調でランドルフは笑った。
「まーそういうワケ、無関心で無欲で平等! カミサマみたいだよなぁ【神の怒りの克服者】サマは。
まあつまり、弔花隊長サマはあー言ってたがこっちから誘わなきゃ騎士団で問題は起こんねぇよ」
「……兄さんも誘ったりしてはいけませんよ?」
「誘わねーよ!!」
ルイーゼの微笑みに、ラインバッハが吠えた。妹の目が笑っていない。
「相変わらずだねぇルイーゼちゃん。あ、そうそうブリジット、操縦班長が呼んでたぜ。積み込みこれで最後だし行ってこいよ」
「そーいうの先に言ってくだせえ!」
ブリジットは慌てて荷物を置き、部屋を飛び出す。けらけらと笑ってそれを見送るランドルフに、オズワルドが何度目かの溜息をついた。
「あまり遊ばないであげてくださいね。……ブリジットさんが呼ばれるということは、航路が確定したのでしょうか」
「らしいっすね。ま、さっさと片付けて寝ちまいましょうや。また明日も早い」
特に、異議の声は無い。後は多少の世間話と、外を歩く団員達の声と足音が響いて、夜は更けていく。平穏に――
――そのはずだった。
「伝令! 伝令! パスル村にて災骸が大量発生! 在駐の弔花隊員では抑えきれず救援要請を発令!」
声が、飛行艇中に響き渡る。それは当然、操縦室で操縦班長チャドと話をしていた――騎士団長であるソラにも届いた。
「団長! パスル村から救援要請が!」
「聞いている! ソル・ヴィリアの準備は!」
「はっ! 荷物の積み込みは完了! 遠征メンバーは全員揃っております!」
操縦室に飛び込んできた灰色の長い髪の男、マクスウェルにソラが機敏に返す。マクスウェルは素早く敬礼し、声を張り上げた。
「燃料準備も完了! ソル・ヴィリアはいつでも飛び立てる状態にあります!」
「――分かった!」
パスル村は、皇国領土全体で見れば皇都からそう遠くない――馬で向かえば時間がかかるが飛行艇を使えば一時間で到着する――場所である。ソラの決断は早かった。
「出航時間と経路を変更する! 我々はこれより、可及的速やかにソル・ヴィリアを飛ばしパスル村へと向かう! 戦闘班は直ちに支度を整えよ!」
『御意!』
操縦室内の団員が一斉に敬礼し、それぞれすべき事を遂行すべく駆ける。団員全員に命令が行き渡るまでそう時間はかからないだろう。ソラもまた支度を整えるため、操縦室を出ていった。
そして――緊張感が走る飛行艇の、船首。そこで寝転がっていたペドロは、アイマスク代わりにずり下ろしていたヘアバンドを上げて、目を開く。
「――災骸か!」
口角を吊り上げて、飛び起きる。その銀の瞳は、この状況には不釣り合いなほど愉しげに煌めいていた。
――ソラは足早に廊下を渡り、己の部屋の扉を開く。机には既に装具が並んでいた。
利き腕である左に、龍を模した肩当てを。両腕に軽く頑丈に作られた腕当てと篭手を。足は、膝までを硬く覆う鎧を兼ねる、精霊種の力を宿した特殊な軍靴を。そうして臙脂色をした外套を。
己を騎士団長として、【骸喰らいの御子】として奮い立たせるための、全てを。
これらを身に付けるのに、もうルークレイドの助けも要らない。八歳の頃はややこしく、重かったそれは、既に己の身に馴染んでいる。
ノック音。それに短く応えると、開いた扉の先にいたのはルークレイドだ。
「伝令です、皇子。現在パスル村は集会所として使われている大きな小屋に村人を集め、その周囲を盾の霊技器で弔花隊員がなんとか防線を維持している状態とのことです。あと一時間、もつかどうか」
「酷だが、もってもらわねばならない。団員の状態は?」
「総員問題ありません。いつでも戦えます」
頷きで返して、ソラは前を向く。
「――ソル・ヴィリア、準備完了! 離陸します!」
声が響いた。ごうん、鈍く起動音を立て、ソル・ヴィリアは動き出す。白く大きな機体は、風の機械精霊の加護を以て、大きく輝く満月に向かって飛んで行った。
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