1-7:黒と白

《繰り返す! 皇都北区城壁門付近で災骸発生! 数は五体! 野生動物の災骸化と見られる! 弔花隊員及び騎士団員は直ちに出動せよ!》

 警報は、城の廊下にいたソラの耳にも当然届く。ハッと顔を上げ、即座に駆けだした。あの警報はルークレイドにも聞こえただろう。ならば、今動ける騎士団員の指揮は彼が執るはずだ。ならばと、ソラは真っ直ぐ、北へと急いだ。


 ――そう、時間はかからなかった。軍人から馬を借り、最短時間で、ソラは警報の場所に到着した。

 皇都で発生する災骸は、ほとんどの場合が皇都を囲む城壁の外にある山や森の野生動物が変性したものが人々の集まる皇都に降りてきたものだ。それらはどうしても作りとして脆くなる門付近を狙い、集まる。故に、皇都には弔花本部が城内にあるほか、東西南北、門の傍に基地を置いている。だから今回も、弔花隊員達が霊技器を手に、災骸を門の外で抑え込んでいるのだろうと予想していた。

「おや、殿下。お早い御到着、誠に痛み入ります。鉄縄を用意する手間が省けました」

 ――北区城壁門の外は、静かだった。

 黒い制服を身に纏い、そう笑うのは弔花隊長タカミだ。黒い返り血も浴びた様子の無い彼は、手足と首を失って山積みにされた災骸達の上、刀の形状をした霊技器を一つ払う。そうして、血が飛ばされたその白銀の輝きを、流れる動作で鞘に納めた。


 ――ああ、そういえば、この男はそういう男だった。そう、ソラは息を吐いた。


 霊技器が開発されて犠牲は格段に減ったとはいえ、災骸と第一線で戦う弔花は殉職者が絶えない。遠征中にも、何人もの死体を弔った。それが弔花という組織だ。

 その中で、隊長を務めるこの男の年齢をソラは知らない。ユーフェンと同世代だとは思われるが、彼の出身も、タカミという名が本名であるかどうかすら定かでない。風の噂で、ヴィスリジア皇国の出身ではないと聞いた程度だ。この男について確かなことは――ただ、彼が人間離れした身体能力と自己治癒力を持ち、殉職者が絶えない弔花において長年隊長を勤め多くの災骸の四肢を切り刻み捕縛してきた、ヴィスリジア皇国随一の実力者であるということだけだった。

「……手早い対処、感謝する」

 何とか、そうとだけ言って、ソラは懐の通信機を探る。ルークレイドに騎士団の出動を停止させるためだ。最早騎士団員は必要あるまいと――タカミの足元、蠢く猪型の災骸を見る。その数は一、二、三、四――四――?

《A、Aaaaaaa――!》

 鳴き声は、後ろ。城壁門の外、すぐ傍の森、その木々が大きく揺れた。黒い甲殻が反射する鈍い光がソラの目を刺す。

 ――考えるよりも先に、体は動いた。

 振り向きざま、剣を振るっていた。そうすれば――ソラの握る光の剣が、後ろから襲い掛かった災骸の首を貫く。それでも、ぐ、と災骸が僅かに動いて、また、ほぼ無意識でソラはその手の柄を捻った。ごきり、中で、何かが折れる音がする。人間であればその場所は、頚椎、だろう。

 光の刀身が災骸から引き抜かれる。液体が噴き出て、びしゃりと、血生臭さがソラの身を頭から濡らした。その赤い髪は、白い制服は、黒く汚れる。何か、災骸が鳴いた。それさえ飲み込むが如く、光は二叉に裂け、災骸を喰らう。

 目の前の巨体は消え失せて、森に静寂が戻った。

「申し訳ありません殿下。ですがこれで五匹――この四体を滅して頂ければ、討伐完了です」

 見事なお手並みでした、と。

 タカミが手を叩いていた。ぼたぼたと、髪から黒い血が滴り落ちるのをそのままに、ソラはその音に振り向く。

「……私が、やってくるのを。気配で気付いていたな」

 一匹取り逃していたのは、わざと、だろうと。暗に問うたソラに、タカミは笑みを崩さない。

「弔花は、騎士団を支えるために命を懸ける。それを率いる者としては、我々が命を捧げる相手が確かにそれに値するか、確認したいのが人情というものでしょう」

 ソラはその顔を見上げる。相変わらず、瞳も、歯も見せない笑い方をしていた。

「迷いなく生命の変性体の首を狙う太刀筋。お見事でございました、殿下」

 きっと、目の前のこの男は、己の心も全て見透かしているのだろうと思った。目を伏せ、ソラは剣を下ろす。タカミが、災骸の山から軽やかに降りた。

 ソラが切っ先をそちらへ向けると、剣は光の竜となり、黒い山を飲み込む。その場には二人のみが残されて、馬が駆ける音が近付いてきていた。

「ソラ様!」

 ルークレイドが馬から飛び降りて駆け寄った。真黒の返り血に汚れたソラの姿にまず目を見開き、次いで、災骸の気配のない周囲と、黒い制服に目を向ける。

「タカミ――殿」

「どうも。増援は結構ですよ、終わりましたから」

 そう言って、タカミはルークレイドの横を通り過ぎる。何か言いたげに眉を寄せたルークレイドは、しかし口を閉ざして、代わりにソラへ再び目を向ける。

「……ソラ様。湯浴みの用意をさせましょう。着替えと――」

「それは後でいい」

 優しい声を、しかし途中で遮って、ソラはタカミの後ろ姿を見る。

「タカミ。このまま、遠征中に捕縛された災骸を還す。案内してくれ」

 その声に、タカミが振り向く。相変わらず笑みを浮かべたまま、彼はソラへと向き直り、「承知致しました」と敬礼をしてみせた。




 全て終えて、真っ先に己の部屋に戻り、湯を浴びた。

 暖かい透明は、髪を伝って、黒く染まって排水溝へと流れ落ちる。血が乾いて硬くなった毛が解けて、その赤が顕になる。

 ソラは、湯浴みは一人で行いたい。召使は必要ない。王城で、皇子の為に用意された風呂場は広いが、もっと狭くていい。それこそ、飛行艇のシャワー室が丁度良い。

 鏡に映る己の体は、細い。タカミにか弱いと言われても仕方ない、とすら思えるほど。ユーフェンは筋肉がついたと言ってくれたが、それでも、きっと足りない。分かっているのだ。

 ――言われた言葉の意味も、正しさも、誰よりも自分が分かっている。分かっているから、痛いのだ。

 流れる湯を止めた。風呂場を出れば真白の制服が用意されていることだろう。それを着れば、また、そこに居るのはソレイラージュ・ラグナス・ヴィスリジアだ。


「ラァ」

 ソラは城を出て、真っ直ぐに神殿に向かった。

 神殿は、城よりもさらに真白に造られている。潔癖に、一点の穢れも許さぬとでもいうように、柱も廊下も壁も天井も、純白だ。それでも、暫し歩けば中庭に出ることができる。そこでは――木々の緑と、滝、木々の間を縫うように流れる清流が、まるで小さな森のような空間を彩っていた。

 木陰に腰かけ、水の流れを眺める白い後ろ姿がある。中庭に出たソラの声は、滝の音にかき消されて届かなかったらしい。ソラは、もう一歩近づいて、「ラァ」と呼んだ。

 少女が、振り向く。長く伸びた白い髪と、瞬く白い瞳。透き通った肌。まるで純白の神殿が人の形を為したのかと思う程、白いその姿。かつては、その髪は黒だった。かつてはその瞳は、お揃いの赤色だった。

 ソラの心臓が――機械精霊の本核が、カチンと動く。そして、その胸から飛び出るように光の塊が目の前に躍り出た。それは龍の形を形作って、白の少女の前に飛んで行く。

 そのまま、光の龍は少女の周りを一回転して、その頬に擦り寄った。少女がくすくすと笑い、龍の頭を撫でる。太陽の機械精霊、そう崇められ、多くの信仰を集めるその龍は、まるでよく懐いた犬のようにくるると甘えた声を上げた。

 そうして、少女は顔を上げる。ソラを確かにその目に映して、彼女は笑う。

「おかえり、ソラ」

「……ただいま、ラァ」

 ラァシス・リエルス・ヴィスリジア。

 双子の姉が――変わり果てた色を除いては――七年前と寸分変わらぬ幼い姿で、微笑んだ。

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