1-6:神の怒りの克服者

 かち、こち、かち、こち。機械的な音が、一定のリズムで響く。鎧と上着を脱ぎ、ソラはぼんやりと椅子に座って、調整室の――機械精霊との契約者にとっては実質医務室である――白い壁を眺めていた。

「……心音に歪みは無いね。それじゃあ精霊器を見せてもらえるかな」

 聴診器を耳から外し、ユーフェンが微笑む。その言葉に捲りあげた服を戻しながら頷いて、ソラは手を掲げた。その胸部から溢れた光は、ソラの手元に集まって、光り輝く剣の形を成す。

 その剣を、ソラの手に持たせたまま、ユーフェンは軽く触ったり、叩いたり――手際良く【点検】していく。

「――うん、特に大きな問題は無さそうだ。少し疲れているかな? 僅かに光が鈍っている。支障が出るほどのものでは無いだろうけど、常に万全を期しておくに越したことはない。調整薬を出しておくから、寝る前に飲んでね」

 機械精霊との契約によって、ソラの心臓と成り代わった太陽の機械精霊の本核。そして、その本核から造出される武器――精霊器。一通り、それらの点検を終えたユーフェンがそう笑った。

「分かった。有難う」

「これも僕の仕事だからね」

 機械精霊。それは神とはいえ、機械仕掛けだ。機械には調整が必要である。精霊器や霊技器、精霊種、その他機械精霊に関するもののメンテナンスや作製――それを請け負うのが、聖技官という者達であった。

 ユーフェン・セルスタール。彼はそのうちの一人であり、ヴィスリジア皇国で最も優れた聖技官に与えられる【聖技祭】の称号を与えられた男である。その名に恥じぬ技術を以て、彼はソラが騎士団長となってから七年間、ソラを主治医として支えている。

「それにしても」

 そんな優秀な男、ユーフェンが、目を細めてソラを見下ろした。


「……また筋肉をつけたねソラ様! この前より――腕、足、腰周りもかな? うんうん、良いね、とても良い! 剣を振るうに適していっている肉体だ! 昔のような柔らかな体も劣らず魅力的だけれど生活に沿って見える成長というものはやはり堪らないね剣も前より振るいやすくなったんじゃないかなちょっと触ってみても「ユーフェン殿、セクハラはお止め頂きたい」


 大きな音を立てて――恐らくわざとである――開かれた扉に、ヒートアップしかけたユーフェンが「おや」と首を傾げた。開かれた調整室の扉の先には、武器を積んだ箱を抱えたルークレイドが顔を顰めて立っている。

「やあルーク副団長。霊技器の点検に来たのかな?」

「ええ、一通り点検と補充を――と思ったらこちらの部屋からやたら楽しそうな声が聞こえたので嫌な予感がしまして。大丈夫でしたかソラ様」

「問題ない。先生のには慣れている」

 ユーフェンには冷たく告げたルークレイドは、ソラの答えに「そうですか」と少し顔を和らげた。

「ルーク副団長もソラ様も冷たいなぁ……変な気持ちはないのに……ああでもルーク副団長も前より体を鍛えているね」

 よよ、とユーフェンが泣き真似をしつつルークレイドに手を伸ばすので、呆れ顔のルークレイドは溜息をついてその手を叩き落とした。

「いっそ性的な感情が少しでもあれば叩き切ってやるんですが。

……貴方は本当にその人体フェチさえ無ければ優秀なんですけどね、【神の怒りの克服者】殿」

「その呼び方はやめておくれよ」

 へらりと笑って、ユーフェンは己の椅子に深く腰かけた。ソラが、そういえば、と顔を上げる。

「……先生。また遠征に向かうことになると思うが、精霊種の数に少し不安がある。補給したい」

「分かったよ、手配しておこう」

 微笑む、この整った顔立ちの男が聖技祭の名を冠するのは、彼の優秀な技術だけではない。


 彼は十年前――リゾルディア戦争直後、当時十八歳にして【精霊種】を開発した、正しく災骸という脅威の克服者なのである。


 機械精霊の恩寵を宿した種という意味で、それは精霊種と名付けられた。それを原料にして作られた武器――霊技器もまた機械精霊の恩寵を宿しており、それ故に災骸を殺せずともその甲殻を切り裂くことが出来る、という。

 そして――精霊種は、生命体の血によって発芽する。死者の肉体に種を埋め込むことで、それは死体に根を張って芽吹き、緑は死体を包み込み、やがて一本の剣のような花を咲かせる。グラジオラス、と名付けられたその花を燃やすと、死体は災骸に成り果てることもなく、花と共に静かに灰となるのだ。それを、人々は【弔いの儀式】と呼び、儀式はこの十年でマキネス中に急激に普及した。

 それまでは家族だろうと親友だろうと死ねば災骸と化し、人々の脅威となることが避けられなかった。それ故に死が近い者の迫害や、大切な人の死体を泣く泣く崖に捨てるといったことが当たり前に起きていた。十年前まで、死が近い者のいる家には弔花が見回った。それは災骸化が起こる前にするためだが、まるで死骸を狙う烏のようなその姿に感じられた嫌悪や恐怖は、十年経った今も残っているだろう。

 精霊種が開発されたことにより、災骸化は防げるものとなった。それは非常に大きな希望だった。死んでも災骸にならなくて済む、大切な人の死体を弔うことが出来る――と。

 また霊技器の開発によって、災骸が発生してしまえば機械精霊の契約者でなければ傷を付けることすら出来ずに食われるか逃げるしか無かったのが、人々はある程度の対抗手段を得た。災骸は精霊器によって消滅させるまでは手足を切り落としても生き続け、切り落とされた手足もやがて生え変わる。だが生え変わるまでに捕縛、あるいは封じ込めることが出来れば、騎士団の到着までもたせることができるのだ。

 霊技器も、弔いの儀式も、精霊種を作り出したユーフェンによって生み出された希望である。それ故に、彼が最も素晴らしい聖技官――聖技祭なのだった。

 とはいえ、ユーフェン本人はその賞賛をあまり受け取ろうとする人間ではないと、ソラは感じていた。ユーフェンが困ったように笑う。

「騎士団から聞いたよ、レスティアの商船の話。突然の災骸化――頭が痛い話だね」

「……精霊種、弔いの儀式の発明者としてはやはり気になりますか」

「まあねぇ。マキネス中の皆が突然災骸化するようになってしまった、とかじゃないのが幸いかな」

 ルークレイドに頷きを返して、ユーフェンは溜息をつく。

「突然災骸化する者と、今まで通り災骸化に時間がかかる――弔いの儀式で対応出来る者。何かが違うのだろうね」

「何か……」

「流石にそれが何かまでは分からないけれどね。まあ考え込んでいても仕方が無い。国王陛下のことだ、きっとまたすぐに騎士団を皇都から飛ばすだろう。今はゆっくり休むといい、ラァ様も寂しがっていたから」

 ユーフェンの言葉で、考え込んでいたソラが顔を上げる。ソラの隣に並んでいたルークレイドも「そうですね」と頷いた。

「神殿への手配は終えております。きっとソラ様のお帰りをお待ちですよ」

「……うん」

 ソラは立ち上がり、かけていた上着を羽織る。扉に向かう前にユーフェンとルークレイドに顔を向けた。

「有難う。弔花本部で捕縛された災骸を還したら、神殿に向かう。霊技器と精霊種は準備が終わり次第騎士団に届けてくれ」

 二人が了解の意を返したのを確認し、ソラは扉へと早足で駆ける。ひらひらとユーフェンが手を振ってそれを見送った。

「それにしても――ルーク副団長はケチだし、良い体を見て昂った僕のパッションはどうすればいいのだろうね。キティの所にでも行こうかな? 最高の体なんだよねぇ、筋肉の質と言いつき方と言い無駄がなくて」

「……貴方は本当に、そういう所が残念ですよね」

 彼の言う子猫ちゃんキティはユーフェンを分かりやすく嫌っていたはずだ。それだけは気持ちが分かってしまうと、ルークレイドは溜息をついた――その時。


《弔花隊員及び騎士団員に告ぐ! 皇都北区城壁門付近で災骸発生! 直ちに出動せよ!》

 けたたましく鳴り響く警報が、一時の平穏を壊した。

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