1-5:玉座の間
「ねぇペドロ、シャルル宰相っていつからいるの?」
暫し大人しく頭を撫でられていたアグリが、そう、顔を上げて問い掛けた。
「シャルル……リスベール・シャルル宰相か」
「宰相って皆年寄りばっかだけどさ、シャルル宰相はペドロより若そうじゃん。でもずっと宰相してる気がする」
前半部分には空笑いで返しつつ、今年四十二歳を迎える男はそうだなぁと声を漏らして顎を摩る。
「おじさんの知る限り十年前の戦争の時にゃ宰相として指令を下してた気がするなぁ」
「十年前の戦争……って、【聖戦】?」
「そりゃヴィスリジア皇国内での通称だ」
ペドロの答えに、ぱちくりと目を見開いたアグリが首を傾げる。そんな少年に、ペドロはへらりと相変わらず覇気のない顔で笑った。
「アグリも騎士団に所属して、色んなとこ行くんだから、正式名称で呼ぶ癖をつけた方がいい。
――リゾルディア戦争、ってな」
マキネスには大小様々な大陸が五つある。土地に宿る種々の機械精霊――その本核がある土地【精霊地】との距離によって気候は様々で、常に一定である。ヴィスリジア皇国は常にやや肌寒い。
――五つの大陸のうちの一つ、このヴィスリジア皇国が栄える小大陸。そこにまだヴィスリジア皇国の他に三つの民族小国が興っていた時代、現在はヴィスリジア大陸と呼ばれるその小大陸は、リゾルディア大陸という名だった。
リゾルディア戦争は、十年前、ヴィスリジア皇国にその三つの民族小国が同盟を組んで宣戦布告をしたことから始まった戦争だ。宣戦布告の理由は――定かではない。その当時から他の三国と比べ巨大で、リゾルディア大陸の殆どを占める国土を持つヴィスリジア皇国に吸収されることを危惧したのでは、とも、ヴィスリジア皇国が保有する【太陽の機械精霊】を欲したのだろうとも言われている。
ヴィスリジア皇国はその戦争に勝利し、三国は滅びた。リゾルディア大陸においてヴィスリジア皇国以外の国は無くなり、リゾルディア大陸はヴィスリジア大陸に改名された。滅びた三国が――その民が、どうなったか。ペドロは目を僅かに細める。
「まあ、この国の人間がリゾルディア戦争を聖戦と呼ぶのも仕方ないとは思うが――俺達は、アレが神聖なる神の裁きなんかじゃないと分かってる、だろ?」
「……うん、ごめんなさい」
「深い意味は無かったんだろ。国中そう呼ぶんだ、つられちまうのは仕方ないさ」
罰が悪そうに顔を伏せたアグリの頭を掻き混ぜて、ペトロは笑った。それに少し安堵したように眉を下げたアグリに、「それで」と問い掛ける。
「シャルル宰相がどうかしたか?」
「えっと、いや、ソラ様ってあんまり国王様への報告好きじゃなさそうだし……その時に宰相達も一緒なんでしょ? ヤな人なの? じーさんばーさんは確かに小うるさそうだけど」
「あー……そうねぇ……」
合点がいったと、ペドロは頬を掻く。不思議そうに見上げるアグリは、そういえば騎士団内でもひよっこで、国王に謁見したことは無かったはずだ。
「シャルル宰相はむしろ好意的な方だが……ソラ様が憂鬱なのは、まあ、伯父上様の方だろなぁ」
肩を竦めるペドロに、アグリは首を傾げた。
「お帰りなさいませソラ皇子。ご無事で何よりです」
銀髪の片眼鏡の男、リスベールがそう優しく微笑みかける。国王の甥であり、国宝とも言える太陽の機械精霊に選ばれた皇子に対するには違和感のない、柔らかに歓迎を示すその微笑みは、それでもこの玉座の間においては異質だった。他の宰相は無言で冷たい視線を向けるのみである。それは、彼等の王に倣うかのように。
彼等の王――そしてソラの父の兄、伯父であるヴィスリジア皇国国王、グランチェスト・ゴレイズ・ヴィスリジア。ソラは彼から無遠慮に向けられる――重い、嫌悪の瞳が、初めて謁見した七年前からずっと苦手だ。ずっと、怖い。今でも。
国王の前に跪いたまま、頭を垂れて、その目から視線を逸らした。
「……報告致します、陛下。まずは、災骸の討伐状況から――」
皇国騎士団の役目は、災骸の討伐だ。
皇国軍裏部隊【弔花】は皇都に本部を置き、隊長であるタカミも皇都での活動を主としているが、その支部はこのヴィスリジア大陸全土を意味するヴィスリジア皇国領の様々な土地に置かれている。災骸を殺せる存在が機械精霊との契約者――騎士団長のみである以上、全ての災骸の即時討伐は不可能である。騎士団は弔花と連携を取り、災骸の討伐を行う。各地で発生した災骸を担当の弔花隊員が捕縛、あるいは人民に被害が出ない場所に封じ込め、騎士団が討伐してその魂をマキネスに還すのだ。
騎士団が討伐する災骸は無力化されたものばかりではない。道中で発生した災骸や、弔花隊員が抑えきれなかった災骸も、同様に騎士団の役目として討伐する。
命懸けで災骸から人民を守る弔花も、休みなく領土を回る騎士団も、巨大な負担を負っている。【精霊種】――霊技器の原料であり、弔いの儀式にも用いられるそれが開発される十年前までは、犠牲は今よりずっと多かった。勿論、今でも犠牲者は少なくない。だが、弔いの儀式によって死者の災骸化が抑えられたことは犠牲者を格段に減らした。
――しかし。
「……以上、今回の遠征での災骸討伐は全区域完了しました。殉職者は先にお送りした通り――
――そして、ご報告致します。昨夜皇都周辺にて、ライランディア大陸のレスティア商船上に人間の災骸化が発生。ここ数年で起こっている、突然死による災骸化かと見られます」
ざわ、と玉座の間がどよめく。
「突然の災骸化だと」
「レスティア……隣国ではないか……」
「ラヴィニア砂王国の件は一年前だったか……いやしかし……」
「皇都周辺だと……なんと……」
――突然の災骸化。弔いの儀式によって災骸の脅威を抑えた、たったの九年後に現れたこの問題は、ヴィスリジア皇国にとっても当然無視できるものでは無い。
宰相達の嗄れた声が空間を包む。しかし、グランチェストがこつんと爪先で玉座の肘掛を叩いて静めた。グランチェストの金の瞳がソラを見下ろす。
「商船はどうした」
「……災骸による被害が大きく、やむなく旧セラル村虚無区に墜落させました」
「ふん……虚無区か……」
鼻を鳴らして、グランチェストは玉座に深く凭れ掛かった。
「……十年前、我が国に戦争を仕掛けた三国が虚無区となったのが始まりだったか。あの時は神の裁きと言われたが、最早皇国、そしてマキネス中にて起こる脅威だ。忌々しいものよな」
――リゾルディア戦争にて、敗戦国となった三国は、講和条約を結ぶ予定だった前日に虚無区となった。
当時五歳だったソラにはあまり鮮明な記憶ではないが、衝撃的な出来事だった、であろう。国が、人も土地も纏めて黒に呑まれたのだ。黒の内容物質は不明。調査しようと近付いた者も消滅する――だが、そうなった三国がヴィスリジア皇国の敵国であったこともあり、人々は「機械仕掛けの神を作り出した皇国に敵対した者達へ、機械仕掛けの神が下した裁きだ」と考えた。リゾルディア戦争についた聖戦という通称はそこからだ。
だが、最早人々は、虚無区化が悪への鉄槌ではなく、至る所で起こる脅威であることを知っている。それでも、染み付いた聖戦という呼び方は変わることは無いが――
「……その事ですが」
ソラが少し顔を上げ、口を開いた。
「遠征中、ヴィスリジア皇国領土であるシゼリア山脈の虚無区化を確認致しました。間にあった二つの村の村人達の状態は……恐らく、虚無区に呑まれたものと」
「……ふん」
こつん、とグランチェストの短い爪が肘掛を叩く。
「災骸化も、虚無区化も、詳しい内容は不明か」
「……申し訳、ありません」
「大層に持ち上げられても、殺すしか能がない」
顔を上げて、ソラは歯を食いしばる。
――この目だ。
グランチェストが向ける、この目が怖い。
「報告が以上ならば下がれ。後程命令を出す」
金の瞳が。
――化け物だと、蔑んでいる。
「……はい、国王陛下」
跪くことが楽だった。その目を見ないでいられるのだから。
玉座の間を出て、ソラは息を吐く。手を、握り締めすぎていたらしい。指先が白くなっていた。
「――ソラ様? 陛下への報告が終わったのかな」
声をかけられて、ソラはそちらに顔を向けた。そこにあったのはよく見知った顔だ。
「……せん、せい」
ぴょこんと頭頂に立った毛と、長く後ろに伸ばした三つ編みが特徴的な緩く癖のある金髪。眼鏡をかけた碧の瞳。白を基調とした、軍服とはまた違う制服の男。
ソラの主治医であり、精霊器や霊技器の調整を行う聖技官であるユーフェン・セルスタールは、憔悴しきったその姿を見て、困ったように微笑んだ。
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