1-4:ヴィスリジア皇国

 白亜の城の廊下を歩く。その足が鈍らぬよう、止まらぬよう、一定の歩みを続けて行く。立ち止まらずに歩き続ける。そうでなければ、きっと進めなくなってしまうから。

 廊下に並ぶ、歴代王の肖像。その横を通り過ぎて、歩いて。――ソラは一瞬、一つの肖像へと首を傾ける。

 赤い髪、赤い瞳。穏やかな笑みを讃え、並ぶ肖像のどれよりも存在感を放つ男。

 その肖像には、クルシャ・ソレイラージュ・ヴィスリジア――太陽王として、永く国に愛される男の名が刻まれている。



「ペドロー!」

 城内において騎士団のメンバーに与えられた待機室の一つ、ペドロ・アンドラに割り当てられた部屋の扉が勢いよく開く。そうして飛び込んできた少年に、ペドロは目を丸くして――それでも、火の機械精霊の加護によって常に温もりを保つ絨毯の上で仰向けに寝転んだまま、起き上がることもなかった。

 その様子に、飛び込んできた少年――アグリがさらにその頬を膨らませる。

「やっぱ自分の部屋でダラダラしてた! ソラ様が状態を整えて次に備えろって言ってただろ! サボるなよ!」

「えぇー、だからおじさんはこうして英気を養ってるんだよー」

「ペドロいつでも養ってるじゃん!」

 へらへらと笑ってペドロは絨毯の上で寝返りを打つ。リラックスモードだからか、乱雑なオールバックもどきにした黒髪を抑えるためにいつも被っているヘアバンドは絨毯の上に放り投げられていた。肩に付くか付かないか程の長さをした髪ごと首元を掻きながら、横向きに寝転んだまま頬杖をついて、ペドロ・アンドラ――ヴィスリジア皇国騎士団に戦闘員として所属する男は、そんな威厳など欠片もなく緩く笑う。

「そんなこと言っても霊技器は副団長が纏めて点検に持ってっちゃったしー。アグリもやる事ないからこうしておじさんとこ来たんだろ?」

「うぐっ」

 痛い所をつかれたとばかりにアグリが呻く。

 霊技器とは、通常の武器では文字通りが立たない災骸を切りつけることの出来る特殊な武器である。機械精霊との契約者――ソラのような者が己の心臓から取り出す武器、【精霊器】よりは威力に欠け、災骸を殺すことはできない。だが、災骸の甲殻を貫くことは可能であり、何より――通常の武器よりは限界があるものの――唯一無二たる精霊器と違ってある程度量産することが出来る上に技術の優劣はあれど誰でも使える。それ故、災骸と戦う部隊に所属するならば必須の物だ。それの点検は不可欠の業務であるが、点検自体は戦闘員の業務ではない。ペドロが笑いながら手招くと、渋い顔のままアグリは絨毯の傍に座った。

「……僕だってソル・ヴィリアの整備とか、レスティアの商船の話とか……参加出来るもん。でも師匠がお前は休んでおけって……」

 膝を抱え、アグリは拗ねたように呟く。

「僕も騎士団の役に立って、騎士団として成果を上げて、軍の奴らにあんなこと言わせないようにするんだ」

 そんな呟きに、ペドロがふは、と笑った。

「嫌うねぇ、俺も元は皇国軍の人間なんだけど」

「……でも何か嫌になったから騎士団に転属したんじゃないの?」

「嫌って言うかなぁ」

 曖昧に笑って、ペドロは身を起こす。彼の左目は眼帯で隠されていて、それはアグリの知る限り、騎士団に入る前からそうだった。

 ペドロはアグリの前で胡座をかいて、ぱちんと手を叩く。

「よーしアグリ、おじさんと国のお勉強しようか。ヴィスリジア皇国に仕える二つの集団とその第一目的は?」

 突然の問いに、ぱちくりとアグリの目が瞬いた。だが困惑しながらも、頬を掻いてかつて学んだ記憶を手繰る。

「何さ急に……ヴィスリジア皇国聖騎士団とヴィスリジア皇国軍だろ。えっと、騎士団は皇国領土の災骸を討伐するためで、軍が国内の治安維持と防衛」

「せいかーい。んじゃなんで弔花以外の――表の軍は災骸と戦わないの? 軍が嫌われ者なのは偉そうな割に国民にとって一番の脅威である災骸からは守ってくれないからなのに」

「そんなの……」

 やや言葉を詰まらせて、それでもアグリは顔を上げてペドロを見た。

「……出来ないからでしょ、災骸を完全に消滅させることができるのは機械精霊に選ばれた人だけで、太陽の機械精霊に選ばれた人は騎士団長になるって決まってるから……霊技器は軍全体に渡せるほど多くないから、騎士団と、弔花にしか回せないし」

「そっそ、災骸を殺せる唯一の騎士団長がいるから、騎士団は皇都を離れてこのひろーい領土を飛び回って災骸を殺し回る【遠征】をしないといけないわけだ」

 笑うペドロとは反対に、アグリの顔は曇る。ぐっと拳を握りしめ、騎士団としては幼すぎる少年は顔を顰めた。

「……ソラ様が機械精霊に選ばれたのは、ソラ様がすごい人だからだよ。騎士団長に相応しいのはソラ様だもん」

 そう言って、顔を再び膝に埋めてしまう少年の脳裏には、先程軍人にかけられた心無い言葉が響いているのだろう。

 溜息をついて、ペドロは口角を上げたまま俯いたその丸い頭を撫でる。いつも被っているアグリの帽子が転げ落ちた。

「ま、力ってのは怖がられるものだからさぁ」

 顔を上げたアグリに笑いかけて、ペドロは帽子を拾い、その頭に乗せてやる。

「弔花がその例でしょ。皇国軍裏部隊【弔花】は、俺達騎士団がいない間、発生した災骸をして閉じ込めておく。殺せるのはソラ様だけだけど、霊技器があれば災骸の手足ぶった斬るくらいはできるから――っても弔花は実際殉職率が高い。多分一番身を呈して国民を守ってんのに、扱いはああだ」

 ああ、との言葉に、アグリは先程のことを思い出す。喪服のような黒い制服、それが現れた途端、国民は逃げるように去っていった。

「……あれはタカミの性格のせいだと思うんだけど」

「んーまあそれはおじさん否定しないけど」

 へらりと笑って、ペドロは肩を竦めた。

「騎士団は恵まれた場所にいるんだよ。団長は機械精霊に選ばれたから災骸を殺せるし、団員はそんな人の傍に居るから災骸に殺されない。騎士団でも弔花でもない普通の軍人には霊技器は回ってこない。怖いんだよ、あいつらは」

「俺達だって怖くないわけじゃ……」

「そうでも、他人にそれは分からない。お前もあいつらの怖さは分からないだろう」

 ぐっと口を閉ざしたアグリに、相変わらずペドロは笑う。今度は帽子の上からその頭をかき混ぜて、帽子のつばでアグリの目を隠した。

「ソラ様はご立派だとも。立派に、太陽の機械精霊との契約者としてお役目を果たそうとなさっている。全くおじさんにゃ頭が上がらないほど立派だが――」

 帽子が邪魔で、アグリにペドロの顔は見えない。口角は上がっているとだけ、分かった。それだけだ。その口が、開く。


「神様を宿すには、人間の体は脆すぎるのかもしれないなぁ」


 その声は、どこか遠くを向いていた。



 扉を開く。白亜の城で、とびきり白いその場所の空気は、重い。この部屋に常に濃く焚かれている白檀の香が、ソラの鼻に纏わりついた。

 玉座の前に、六人、二列になって向かい合わせに並んでいる。彼等は宰相で、その殆どが老いた男女だが、一人だけ、最も玉座に近い位置に、褐色肌の、若い男がいる。彼は開いた扉――そこに立つソラを見て、片眼鏡越しに微笑みかけた。その銀糸が揺れる。

 ソラは歩いた。一人、歩いて、歩いて、行くべき場所まで。そうしなければ、この重みに耐えかねて、立ち止まってしまうだろうから。逃げ出してしまうだろうから。それは、己には、許されないことだから。

 宰相達の間を通り過ぎて、玉座前、二段程の段差は登らずに、その手前で跪く。胸に、心臓の上に、手を。敬礼を示して、ソラは顔を上げた。

「ヴィスリジア皇国聖騎士団及びソレイラージュ・ラグナス・ヴィスリジア。総員無事に、此処に戻りました」

 顔を上げた先に、男が居る。白髪混じりの長い赤髪と、金の瞳を携えた男。

 グランチェスト・ゴレイズ・ヴィスリジア。

 ヴィスリジア皇国の国王であり、ソラの父の兄にあたる彼は、化け物を見るような目で、ソラを見下ろしていた。

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