記憶と絡繰り糸の魔剣

 剣が嫌いだ。

 魔剣は、特に嫌いだ。


 師匠は、それでもいいと言ってくれた。

 師匠は、嫌いを無理に押し殺す必要はないと言ってくれた。

 師匠は、いつか視点を少し変えるくらいでいいんだと教えてくれた。


 でも、それでも。深く心に刻まれた傷は、一生記憶に残って消えないんだと思う。

 あまり思い出したくない記憶を遡って、辿り着くのは父親の記憶だ。


 僕の父親は、鉱山で働いていた。僕の生まれ故郷の近くにあった山は、なんでも少し珍し鉱石が取れたらしい。

 だから力自慢の男たちはこぞってそこで働いていて、父親もその一人だったわけだ。


 僕の父親は優しかった。僕の母親は病気で早くに亡くなってしまっていたから、父親は仕事を終えるとすぐ家に帰って僕のそばにいてくれた。

 仕事仲間からの誘いはほとんど断っていただろうから、僕が見る限り友人と言える人物はいなかったことを覚えている。僕がそれを心配すると、父親は曖昧な表情でこちらを勇気づけてくれた。


 日常が歪み始めたのは突然だった。

 家に帰ってきたのは、明らかに怯えた表情を浮かべた父親と、それを虚ろな表情で見つめる鉱山用の作業着を来た男の人。


 それは、今より更に幼かった当時の僕ですらわかる異常な光景だった。

 その時の僕は、父親がなにか脅されているのではないかと考えた。何かあったらすぐに父親を守れるよう、草刈り鎌を持ってドアの前で待機していたのを覚えている。


 そうして、しばらく時間があって――部屋から出てきたのは、機嫌が良さそうに笑う父親と、先程までとは違うなにか疑問そうな様子で父親の後ろを着いていく男の人だった。


 その光景を見た僕は、ただただ困惑していた。

 そしてその日から、父親は色んな人と話をするようになった。


 父親から相手にされる時間は減ったけれど、代わりに父親自身の時間が増えるならそれはいい事だ。と、なんとなくの不安感を飲み込むように自分に言い聞かせる。

 そんな、少し壊れた日々を送っていたある日のことだ。


 夜、ぐっすりと寝ていた僕が思わず起きるほどの鋭い痛みが手のひらに走った。

 跳ねるように起き上がって、驚きのまま辺りを見る。


 僕の横には、普段居ないはずの父親が立っていた。

 父親が、見たこともないような、変わったデザインの剣を持って立っていた。


「ああ……命令だ、今起きたことは忘れて、そこでぐっすり寝ていなさい」


 理解できない出来事の連続に硬直した僕に対して、父親は面倒くさそうに、指示するように冷たく言い放った。


 混乱したままの僕は、ただ一言。なんで、と震えた声を漏らすので精一杯で――、



 顔を歪めたのは、父親の方だった。


 そんなはずは無い、魔剣は絶対のはずだ。

 そうやって騒ぐ父親を見て、僕は対照的に冷静になっていた。


 父親の持っている剣が、お話でよく聞く魔剣なのだと知った。

 あの日、父親が男の人を連れて不審な様子で帰ってきたのは、この魔剣を見つけたからだとなんとなく予想出来た。

 父親が、その魔剣を使って僕に何かをしようとしていたことを理解した。理解してしまった。


 そこから先は、よく覚えていなくて。叫びながら、逃げて逃げて、今いる山の中で師匠に拾われた。


 そんな中で、一つ。強く強く、脳に刺さって消えない光景をあげるなら。

 ありえない、と言いながら。何をするのという怯えた僕の声を無視して、ただ性能を確認し直すように剣を再び振り上げた父親の姿だ。




 ――ちょうど、今のように。


「……私の弟子に、一体なんのつもりですか?」


 剣を振り上げる父親とその場に座り込む僕、その間に割って入りながら、師匠は普段からは想像できないくらい冷ややかな声でそう問いかける。


 ノックする音に、客だと思ってドアを開けた向こう側に、僕の父親が立っていた。

 そして、僕を見た瞬間まるで化け物でも見たかのように顔を歪ませながら、剣で斬ろうとしてきたのだ。


「あなたは、噂の魔剣研ぎ師ですか?」

「ええ、その通り。魔剣の研ぎの依頼であれば、あなたがどのような人物でもおうけしますが……違う目的でしょう」


 剣を上げたままの父親に対して、師匠は何も構えずに、ただ凛とした赤い目で見据えている。

 僕はといえば、そんな二人の様子をみたまま体を動かすことが出来なかった。そんな僕を目で示しながら、最初に静寂を破ったのは父親の方だ。


「研ぎ師さん、悪いことは言いません……アレは、殺した方がいい。アレは……いてはいけない生き物だ、アレには、何故か魔剣の効果が効かないんだ」


 そんな異常な存在、いていいわけが無い。

 怒りと、若干の恐怖を含んだ声で、父親は僕へとそう告げた。ズキッと、心が殴られたように痛む。師匠はその言葉を聞くと、ゆっくり口を開いて、


「それが、どうか?」


 静かに、ただ一言そう言った。


「……魔剣を、作ることの出来る人がいます。探すことの出来る人がいます、話すことができる人も、上手く使うことができる人もいます」


 効かないということが、そんなに異常なことですか?

 僅かな微笑みさえ乗せて言い放たれたその言葉に、父親は気圧されたように一歩下がる。


「……改めて、研ぎの依頼であれば受けましょう。でも、私の弟子に手を出すつもりなら、容赦はしません」


 今は、私が弟子を守る立場ですから。

 その言葉だけ、どこか遠くの誰かに届けるような言い方だった。


 自論を同じく自論でねじ伏せられた父親は、怒りと恐れでころころと表情を変える。

 そして、何かを決めたような目付き……それが何の表情なのかを、僕は既に知っている。


「お前の意見なんていらない!」


 まるで、癇癪を起こした子供のように、父親は剣を振り下ろす。

 ――あの日のことから考えるに、あれは傷をつけた相手に作用するなにかだ。


 危ない。


 そう伝えようとして、声を出すことが出来なくて――。


「ヨイカガシの糸の魔剣」


 そんな師匠の言葉と、ガキンッという剣同士のぶつかる音が同時に聞こえてきた。


「剣で斬りつけた人を、十二時間だけ単調な命令に従う傀儡にすることが出来る魔剣。ええ、よく使い込んでいるご様子で、魔剣もとっても喜んでいますよ」


 師匠が剣で受け止めた様子はない、魔剣は師匠の肩に当たって、そしてそこで止まっている。


「アマリ、急な出来事だったから……まだ、そんな余裕が無いと思ったら、目を閉じてここから離れて」


 父親は驚いた様子で剣を師匠から離した。

 そして魔剣を突きつけたまま、少し怯えた声で変な動きはするなよと声をかける。その後ろからは、武装した虚ろな表情の男が何人か。師匠の言葉が正しいのなら、父親が魔剣で従えてる人だろうか。


「でも、今、過去と向き合いたいのなら……向き合って、断ち切りたいのなら、ここで見ていて」


 そう僕に告げて、師匠はそっと手を伸ばす。

 父親はそれに対して目立った反応を見せない。そのまま、師匠の手が父親の手首に触れて、


「いっ」


 かすかな声と共に、父親が魔剣を落とした。

 カランと音を立てる剣、それと一緒に、決して少なくない量の血が飛び散る。

 目の前で、信じられないことが起きている。血が出ているのは、師匠のつかんだ手首から。返り血を浴びた師匠の指は、まるで剣のように鋭い刃に変わっている。


 落ちた魔剣を拾い上げようとする師匠に、虚ろな男の一人が襲いかかる。手にはツルハシ、振り下ろされたそれに対し、師匠は潜り込むように近づきながら、軽く手を払う。ただそれだけの動きで、持ち手の部分が斬り飛ばされた。

 武器を失った男の動きが止まる、多分、持っている武器で攻撃しろみたいな命令があったんだろう。その様子を見た父親が即座にその場から逃げようとし、


「逃げない方が良いですよ、もう魔剣の力は消えたので、逃げれば魔剣で従えていた人に何をされるやら」


 師匠のその言葉で足を止めた。

 ――嘘だ、現にこの場にいる父親が連れてきた人はまだ虚ろな表情のままである。


 それなのに、父親は師匠のその言葉を完全に信じていた。

 まるで、彼女の言葉を全て信じているというように、彼女の言葉を、一つもと言った様子で。


 動きを止めた父親に、師匠はゆっくりと距離を詰める。

 もう、なんの抵抗も出来ないだろう。このまま捕まって、どこかの国に引き渡されて――それで、どうなるのだろうか。父親がじゃなく、僕はそれでどうなるのだろう。


 消えてほしくない、優しかった頃のお父さんを知っているから。

 消えてほしい、父親がいる限り、僕の傷は消えないのだとなんとなくでわかっているから。


 わからない、わからない。わからないなら――殺すべきではないんじゃないか? そうだ、師匠だって言っていた、そのままでいいって言っていた、なら――、


、感情的な正しさは上手く理解できないけれど」


 思考を、師匠の声が切った。

 声は、強い信念を宿して。


「私は危険を許容できない、私は、あなたが化け物と呼んだあの子の師匠だから」


 だん、と何かが落ちる音がした。

 僕はそれをすぐに受け止めて、そして何も起こらなかった。泣く人も、怒る人も、怖がる人も、そこにはいなかった。


 そして、師匠は僕の方を向いて一言。労るような、優しい声で、


「アマリ、少しお話ししよっか」

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