Report10: 高級ホテル
その日の午後、ラッシュこと俺と、ゾフィは例の女社長が経営するスパホテルへと向かった。
建物には“Bangkok MAYA Hotel"という表記がある。
「随分と、良いホテルじゃあねぇかよ」
「確かに……かなり儲けているんだろうな」
「一泊、数千バーツって所だろう」
俺が泊まっているのとは、大違いだ。
屋外には美しいプールと、ビーチベッド。エントランスは大理石のタイルが敷かれ、天井からはシャンデリアが吊るされている。壁面はガラスが嵌め込まれており、採光される為、屋内には透明感があった。素人目にも、高級ホテルである事が窺えよう。
俺とゾフィは自動ドアを潜って、中へと足を踏み入れていく。
「すみません、《リセッターズ》です。話は聞いてると思いますが……」
受付でアポイントを確認していると、奥部からハイヒールで地面を突き刺す音が聞こえてきた。音の方向を見やると、ドレスコードで派手に着飾った中年女性がこちらへと向かっていた。
赤いワンピースの中には全体的に脂肪が納まりきっておらず、紐で縛られたハムのような女である。茶色いサングラスの奥には、性悪そうな二つの眼が、値踏みするようにこちらを覗いていた。
「アナタ達が便利屋、《リセッターズ》ね! 遅いわねぇ~、もう!!」
女性は中々にご立腹の様子だった。
……おかしいな、十三時にホテルに到着すると伝えてある筈なんだが……今は十分前だ。
「え、ああ……すみません」
「何だか面倒臭そうなオバハンが来たな……」
謝罪を口にした俺の後ろで、ゾフィがボソリと呟いた。恐らく、この女性がホテルの社長で間違いないだろう。
「まぁ! 私の息子が居なくなったってのに、随分と暢気な方達なのね! 事件に巻き込まれているかもしれないのよ!?」
(……このババァ、冷静じゃねぇな。一旦ブン殴って正気にするか?)
(やめとけ!)
「何してるのッ! 早く仕事してちょうだい!」
「……貴方が社長ですね。失礼しました。すぐに捜査に取り掛かります」
小さな声でやり取りしていたところ、隔靴掻痒といった塩梅の女社長が、強圧的な態度で迫ってきた。
事前の情報で客室は上階と聞いていたので、ゾフィと共に至急エレベーターに乗ろうとする。
「ちょっと待って。あなたはセブンで飲み物買ってきて」
「……はっ?」
「外にコンビニがあるでしょ? トロピカル系のスムージーがいいわ」
コンビニへの買出しを頼まれた。ゾフィはと言うと、強引にエレベーターに押し込まれている最中だ。
金も貰ってないんだが、俺が買いに行くのか?
「……何してるの。アタシは依頼人よ? 金払ってるのよ?」
俺が呆然としていると、まるで出来の悪い部下を嘆くかのように、女社長は冷ややかな目で俺を見てきた。
「は、や、く、し、て!」
続いて檄を飛ばす女社長。贅肉をたゆんたゆんと弾ませながら、地面を蹴り上げた。
瞬間、俺は頭に血が上ってキレそうになる。それを落ち着け、と必死に言い聞かせた。
生意気な依頼主だ。本気で自分は神様だと信じている不遜なお客様連中と言うのは、どうやらタイにも居るようだな……。
正直腹が立つ。だが、俺の勝手な行動でチームに迷惑を掛けるわけにも行かない。折角の大仕事でもある。
今は雌伏の時。従っておこうじゃないか。
「買ってきます」
「スムージーよ!? 分かった!?」
以前勤めていた商社でも、パワハラ紛いはあった。だから、ああいう人種に対して、耐性がない訳ではない。
だが、あっちでペコペコ、こっちでペコペコ……俺という人間は、何処に行ったって有名無実の存在に謝り続ける宿命なのかもしれない。
理不尽を是とし、義憤をひた隠す。それがこの世の常だと言うのか。だとしたら、そんな世界は滅んでしまえ、と思い続けた。
結果、ストレスの捌け口として、犯罪に手を染めた。
初対面の人間に対して、あんな接し方をする人間が仕事をやれるとは思えない。あの女社長がどれだけ凄いヤツなのかは知らないが、他人を慮れない人間が辿り着ける地位など、高が知れている。
俺はそう思う。いや、思いたい……。
だが、要領の良い人間や、世渡りの上手い人間が成り上がっていくのも、一つの事実ではある。
「ハァ……苦手だな」
俺は思わず、独りごちた。だが、そう思った。だからこそ、この《リセッターズ》に加入した。大森精児にサヨナラを告げ、俺は人生をリセットしたのだ。
小走りでホテルを出て、俺はコンビニを探した。目視できる所に一軒見つけたので、一路を辿る。
道中、タイの土産屋があり、色んな物が売っていた。観光に来た訳ではないので、こういった店を見て回る機会がなかったのだが、気晴らしに見る事にした。
食品が多い。スナック菓子、チョコレート、ドライフルーツ。その他に衣服やバッグ、人形等がある。
タイの人は、信仰心が強いのかもしれないな。
ガネーシャもそうだが、例えばこの人形はどうやら持ち主に幸運をもたらすと信じられているらしい。日本同様、いや……世界中で信仰という文化はあるのだろう。
幸運か……。俺は幸せだろうか、と自問しつつ、コンビニで品物を調達した。そして、帰路を急いだ。
やがてホテルに帰館すると、エントランスで女社長が仁王立ちしていた。俺は小走りで駆け寄り、スムージーを渡す。
「遅かったわね。寄り道していたんじゃないでしょうね!?」
「ハハ……そんな、まさか」
図星だったが故、思わず、乾いた笑いが漏れた。彼女は大した礼も言わずにそれを分捕ると、ストローを刺して中身を吸い出した。
「ふぅ……アナタも早く仕事に移りなさい。客室を見たいんでしょ」
女社長は一息つくと、手で俺を遇った。こちらも長居するつもりは毛頭ない。
失礼します、と頭を下げて、俺も仕事に取り掛かることにした。
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