Report6: 微笑まぬ女

 暫く俺は、車窓から景色を眺めていた。

 うんこ、ゾウ、車、うんこ、うんこ、車、車……。

 視界に映るのは、変わり映えしないモノばかり。この世は諸行無常ではなかったのか。人糞を模したようなオブジェは一体何なのか。同様に人糞のようなデザインの建物も散見される。

 ゾウは確か神仏の類で《ガネーシャ》だったか。それはまだ良い。

 他には相変わらず、派手な色をした車やバスが目に付く。

 ピンクのバスを見て何故だか大人が見るビデオの企画モノ、“マジックマラー号”を連想したのだが……きっと緊張が解れてきた証拠だろう。

 新しい環境に、馴染みつつあるのだ。俺は適応力も高いが、そこそこ図太い自負がある。


 微笑みの国、タイ。

 まだ日本に居た頃、タイの女性は可愛いなんて話が、時折話題に上がっていた。だがしかし、可愛い女性は割りと何処にでも居るものだ。

 逆説的に考えると、タイの女性が可愛い訳ではなく、可愛い女性が居るという事は普遍的な事柄なのだと思われる。つまり、タイ人女性が可愛い訳ではない、と結論する事は可能なのだ。

 事実、ガネーシャみたいなデブ過ぎる女が悠然とその辺を闊歩して――


『お客さん、着きましたよ。三千バーツです』


 一際情報量の多い区画に達した所で、タクシーが減速して止まった。風に煽られていたメガミの金色の髪がゆっくりと静止する。

 運転手がにこやかに金額を告げたのだが、その途端、メガミの表情が曇っていった。


「メガミさん?」

「大森、さっきの話の続きだが……よく見ておけ。こうやるんだ!!」

『お客さん、ちょっと!?』


 メガミは腕を組んだまま運転手を直視し、シートを蹴り上げた。そして、俺の知らないタイ語を運転手に浴びせる。

 察するに、何か汚い言葉を喋っているのではなかろうか。


 運転手がメガミを宥めると、結局三百バーツ程を支払って、俺達は表に出た。


「ちょっと……あんなのって、やり過ぎじゃないですか?」

「いいや? あれは、ぼったくり運転手の良い例だ。お前も気をつけろ」


 そう言い残して、足早に歩き始めるメガミ。それに倣って俺も歩いていく。

 怒ってはいないようだが、正直言うと、手が震えるくらい怖かった。

 ……思えば、この金髪女も傭兵部隊の一員であり、しかもリーダーなのだ。

 前科持ちの俺が法を説くのも可笑しな話だけど、何よりこの女自身、紛れも無いアウトローなのだろう。

 彼女にちょっかいを出そうものなら、間違いなくボコボコにされるに違いない。今しがたのやり取りで確信したのだが、気が荒いだけではなく、パワーも尋常じゃない。

 この細い体の一体どこに、そんなパワーがあるのか……。


 辺り一帯を見渡してみると、まさしく中華街といった様相だった。あの世界の宮崎監督が作りし超名作<千と千尋の何がし>よろしく、中国語で書かれた飲食店が乱立し、赤い提燈や看板、ド派手なネオン看板が自らを主張していた。

 もし俺が欲望に忠実な豚であれば、娘そっちのけで屋台の飯を掻っ喰らい、徹子を魔改造したババァみたいな魔女に豚にされた挙句、千尋による大スペクタクル冒険活劇が幕を開けるのだろう。

 そんな事を考えていると、メガミがこちらを振り返って建物を指差した。


「ここはヤワラートという地区だ。見ての通り、タイのチャイナタウンだな。あそこの建物の二階が、事務所となっている」


 時刻は夕方。タイの空は日が傾き、店舗の照明が輝きを増していた。多くの飲食店は店外に椅子とテーブルを設置しており、そこで既におっ始めているオッサンや家族で夕食に来た連中を尻目に、俺とメガミは通りを進んでいく。

 先ほどメガミが指差した建物の一階部分から、薄暗い階段を上っていくと、テナント名の入っていない扉があった。


「ここですか」

「ああ。……私だ、開けてくれ」


 インターホンを押して、マイクに向かってメガミが喋りかけた。

 扉が開き、中からガタイの良い黒人が現れる。こちらを一瞥すると俺たちを招き入れ、メガミは無言で入っていく。俺も後から続いた。

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